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ベトナム人中級日本語学習者における終助詞 「ね」「よ」「よね」の使用実態 CUA TRUONG DAI HOC VIET NHAT DAI HỌC QUOC GIA HA NOI

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THÔNG TIN TÀI LIỆU

Cấu trúc

  • 第一章 日本語の終助詞の概要及び関連する理論の枠組み (0)
    • 1.1 日本語の終助詞の概要 (11)
      • 1.1.1 終助詞の概念 (11)
      • 1.1.2 終助詞の特徴 (12)
      • 1.1.3 日本語の終助詞の分類 (14)
      • 1.1.4 終助詞とそのイントネーション (15)
      • 1.1.5 終助詞の歴史的変化 (16)
    • 1.2 関連する理論の枠組み (16)
      • 1.2.1 誤用の概念 (16)
      • 1.2.2 誤用の要因 (17)
      • 1.2.3 誤用研究の目的 (17)
      • 1.2.4 誤用には段階がある (17)
      • 1.2.5 誤用の種類 (18)
      • 1.2.6 誤用分析研究の展開 (18)
  • 第二章 ね」、「よ」、「よね」についての考察 (0)
    • 2.1.3 まとめ (27)
    • 2.3 日本語の終助詞「よ」「ね」「よね」とベトナム語の終助詞の対照についての考察 (33)
      • 2.3.1 日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の共通点 (33)
      • 2.3.2 日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の相違点 (34)
      • 2.3.3 終助詞「よ」「ね」「よね」に対忚しているベトナム語の終助詞とその機能 (35)
    • 2.4 まとめ (39)
  • 第三章 べトナム人中級レベルの日本語学習者に対する 日本語終助詞についての調査 (0)
    • 3.1 各教科書における終助詞の導入と出現数 (41)
    • 3.2 中級レベルのベトナム人日本語学習者の「ね」「よ」「よね」の使用実態についての調査 (43)
      • 3.2.1 調査対象者および調査方法 (43)
      • 3.2.2 調査結果および考察 (44)
    • 3.3 ベトナム人の日本語学習者に対する日本語の終助詞「よ」、「ね」、「よね」の指導法 (52)
      • 3.3.1 視覚教材を使用する指導法 (53)
      • 3.3.2 漫画を使用する指導法 (55)
    • 3.4 まとめ (56)
    • 付録 1 日本語の終助詞の使用に関するアンケート調査 (0)
    • 付録 1 のアンケートの問題解答 (66)

Nội dung

ベトナム人中級日本語学習者における終助詞 「ね」「よ」「よね」の使用実態 CUA SINH VIEN TRUONG DAI HOC VIET NHAT DAI HỌC QUOC GIA HA NOI TIENG TRUNG

日本語の終助詞の概要及び関連する理論の枠組み

日本語の終助詞の概要

1.1.1終助詞の概念

終助詞は古来からあり、また種類がたくさんある。終助詞は助詞の種類の1つである。 主に文末に現れる助詞は文に様々な意味を添加する。イントネーションによって、異なるニ ュアンスになる場合もある。それに、2つの終助詞があわさり、新しい意味になることもある。 例えば、「よね」(「よ」+「ね」)

終助詞は対話の中でよく使われ、重要な役割を持っている。しかし制限も多く日本語 学習者にとっては、習得が難しいと言われている。

また、多くの終助詞は話し手と聞き手に関係がある。例えば、野田(2002:261)は、他 の専門家の定義を整理し、「よ」「ね」「さ」「わ」「ぞ」「ぜ」「な」などの代表的な終助詞は「話し 手と聞き手のあいだの認識のギャップをうめることにかかわる表現手段」として性格づけられ ると指摘している。つまり、終助詞は対話する時、話し手と聞き手の距離を埋め、対話を円滑 に進めていく働きがあることが分かる。

主な終助詞の注意点について、マグロイン・花岡(1993:121)は、いくつかの重要なポ イントを挙げている。その内容を以下のように整理してみた。

①「よ」は話し手の判断を聞き手に主張する機能があり、「ね」は話し手が判断を示し、聞き 手にその最終判断を任せることを意味する。

②「ぞ」「ぜ」「さ」「な」は、独言の場合以外は、男性専用の終助詞である。

③「ぞ」「ぜ」などは、聞き手に有無を言わせず判断を押しつけるものである。

④「よ」「わ」「ね」のように主張度の低いものであり、女性も使用できる。女性は社会的に男 性より低い立場にあったので、自己の主張を強く相手に押しつけるような表現は使え なかったという社会背景がある。

このように、終助詞は、話し手の聞き手に対する態度を示すと共に、性別による制限もあ ることが分かる。

終助詞が何であるかということについては、従来から様々な定義がある。まず、「日本 語の男女差』という本に出されている定義を紹介する。終助詞とは文の終わりにあたって、命 令、疑問、反語、願望、禁止などの意味を決定し、または陳述の意味を強めたり、感動を表 わしたりする助詞である。

しかし、上述のような定義は、単に話し手の感情的な態度の側面だけを捉えたものであるという批判がある。このように辞書などの記述はまだ不充分であるため、その後の研究では終助詞を次のように定義している。

上野(1972)は「終助詞」を話し手と聞き手の関係を前提として使われるものとし、話し 手の判断を聞き手に主張するものと、話し手の判断を示し、聞き手に最終的判断をゆだねる ものというように二つに分けている。

更に、鈴本(1976)も、上野と似たような観点から「終助は、話し手と開き手との関わり 合いを示すものである」と述べており、終助飼を話し手中心のものと、聞き手中心のものこの 二つに分している

ところが、陳(1987)は、鈴本の規定する「話し手と聞き手との関わり合い」というのは、

「話し手と聞き手のどのようなかかわりあいであるのかといったところまでは規定のなかにくみ こまれていなかった」と批判しており、終助詞について以下のように定義している。

終助詞は話し手と聞き手のあいだの認識のギャップをうめることにかかわる表現手段 である。

しかし、陳の「話し手と聞き手のあいだの認識のギャップをうめる」という表現も充分と はいえない。陳は、話し手か聞き手のどちらかが、認識の度合が高い情報あるいは低い情 報を持っており、終助詞がその両者の認識のギャップをうめるために使われるとしか考えて いない。しかし、実際の認識の度合とは関係なく、終助詞が使用される例が存在しているた め、筆者は終助詞について次のように考える。

関連する理論の枠組み

1.2.1 誤用の概念

誤用は、言語学上の概念ではない。記述的な言語学では母語話者の言語の運用に ついて、正誤の判断をしない。しかしながら、一般的には日本語に正用・誤用があると考えら れている。また言語教育の場面では正用・誤用の区別は必要である。言葉の乱れなどとして 指摘されるもののほか、比喩や慣用句の誤用がしばしば話題とされる。

第二言語として日本語を学習するさい、「書かない」を「書きない」などとする誤用が 見られ、何となくおかしいのだけれどもどこがおかしいかはっきり指摘できない場合があり、こ の「おかしい」と感じるものが誤用(error)と呼ばれる。従来の誤用研究は文法的正確さが重 視されてきたが、現在は伝達・コミュニケーションに関わる誤用が重要視されている。外国語 の学習過程では誤用が生じるのが当然であり、ことばを習得するための一つのステップとと らえ、誤用とはとらえず中間言語(interlanguage)という呼び方をする。

間違いを犯すことは、学習者が目標言語を習得する上で避けられない部分である。 間違いを犯すことは学習の一部であり、それを通じて、学習者が外国語を習得するために 使用した戦略を検出できる。

学習者が文を書いたり、話したりするとき、私達は何か間違っていると感ずることがあ る。その間違いは、「を」でなくて「に」だとか、「書きない」でなくて「書かない」だとか、聞き手

(読み手)がはっきりわかる場合と、何となくおかしいのだけれど、どこがおかしいかはっきり指摘できない場合がある。このように「おかしい」と感ずるものが誤用(error)と呼ばれるものである。

誤用研究では、従来、文法的正確さに関わる誤用が重要視されてきたが、現在は、 伝達、コミュニケーションということを重視し、それらに関わる誤りについても重要視され始め ている。

Hendrickson によると、「誤用とは、特定の語学教師が、不適切な使用または不在の

ために受け入れられないと判断した発話、表現形式、または構造のことだ」。

1985 年のロングマン出版の忚用言語学と言語教育の辞書では、次のように定義され

ている。学習者のエラー(第二言語または外国語を話したり書いたりする際のエラー)とは、 その言語のネイティブまたは流暢な話者が正しくない、または不十分であると考えるような方 法で言語単位を使用することである。

1.2.2誤用の要因

第二言語習得研究の立場では、外国語を学習する過程で誤用をおかすのは当然で、 それはそのことばを習得するための一つのステップであるという考え方をする。誤用とはとら えずに中間言語(interlanguage)という呼び方をする。

習得研究が学習者の習得過程を追う「たて」の(縦断的)研究であるのに対し、誤用 研究はある時点での学習者(多くの場合複数の学習者)の誤用をとらえて研究するもので、

「よこ」の(横断的)研究ということができる。

誤用の要因は、母語干渉(interference of mother tongues)による誤りと母語干渉以 外の誤りに分けられる。母語干渉以外の誤りは、 言語内の誤り:目標言語(target language) の構造そのものが困難であったり、既習の言語規則を未知の構造に適用しようとした際の誤 り{類推(analogy)・過剰般化(overgeneralization)}、発達上の誤り、 誘発された誤り、 伝達 方略に基づく誤り、学習方略による誤り、また、単に不注意による誤りもある。

1.2.3 誤用研究の目的

誤用研究は何に役に立つかという、誤用研究の目的は大きく二つある。一つは、第 二言語習得理論や日本語文法研究として専門化される、理論的アプローチに向かう方向で、 もう一つは、日本語教育への貢献である。後者は、誤用を分析評価し、それを用いて(資料 の直接的利用)、教材やテストを作成したり、教授法に忚用したりすることができます。最近 の辞書の中には、このような言い方はしないと、学習者がおかしがちな誤用の例を示してい るものもありますが、それなどは誤用研究の成果を生かしたものと言える。

1.2.4 誤用には段階がある

その文が、絶対におかしいのか、ちょっとおかしいのかというように、誤用には段階

(程度)がある。この段階は、二つの方向からとらえることができる。一つは、文法的な正確さ

ね」、「よ」、「よね」についての考察

まとめ

このように、終助詞「ね」は、人の心情を明らかにすると同時に活発な対話を成立させ る機能を持つ。特に「ね」はを使い、聞き手を自分の話に引き込ませ、心的交流 を促す。以下、本章で述べた終助詞「ね」の基本について、いくつかの重要なポイントをまと めてみた。

1 会話促進の「ね」は話し手が聞き手との情報や判断を一致させる場合に使われる ものである。また、同意要求の「ね」もこの分類に含められている。

2 注意喚起の「ね」は話し手が自分の発話を強調し、聞き手の注意を引き、話題に 引き込むのに使われる。

3 発話緩和の「ね」は話し手が聞き手に知らない情報を提示するためのやわらかい ニュアンスを与えるのに使われる。

4 発話内容確認の「ね」は話し手が聞き手に自分の不確定の情報を確かめる場合に 使用される。

5 発話埋め合わせの「ね」は話し手が話の途中に口ごもる時や時間を稼ぐために、

会話の間隙で用いられる。

6 他に、終助詞「ね」は違う意見を唱える場合、自分の行動を聞き手に宣言する場合、 聞き手に自己確認する場合、回想、または拒絶表明の場合にも使われている。

7 聞き手の反忚を求める場合には一般的に上昇調の「ね」となるが、例外もある。

8 下降調、または非上昇調となる場合、普通は聞き手の反忚を求めない用法である。

2.2「よ」「よね」についての考察

「よ」は、話し手のほうが聞き手より認識の度合が高く、 また、聞き手にとって、その情 報を得る必要があると話し手が考えて聞き手につたえる文にくっつけられる。

「よ」に対する先行研究の定義にはそれぞれ異なる点があるが、それらの説の中では

陳 の説が最も妥当であると考えられるので、ここでは隙の説のみを取り上げる。 しかし、 第 二章でも触れたように、陳の定義では説明できない用法、または陳の論文中で述べられて いない用法も存在している。

「よ」は「ね」に比べて、使わないと不自然になる場合が尐ないこと、目上の人に使うと 失礼になりやすいことから、あまり積極的に教えられず習得も遅いようである。次に、「よね」は

「ね」と比べると、微妙な違いがあるものの、どちらでも基本的には話し手が発話の命題内容の事柄に対する認識を聞き手に確認したり、聞き手と共通の認識であることの同意を求めたりする機能を持つとされる(伊豆原2003)

終助詞「よ」の機能について、曹(2000)は、いくつかの重要なポイントを挙げている。 その内容を以下のように整理してみた。

1.「よ」は基本的に、相手が知らないことに注意を向けさせる働きをする。

2 強調の意味を表わす。

3 言い張る、言い聞かせる気持ちで念を押す。

4 疑問の意を表わす語と呼忚して、相手をなじる気持ちを添加する。

5 命令、依頼の気持ちを尐し強める。

6 勧誘・ねだりを表わす。

日本語の終助詞「よ」「ね」「よね」とベトナム語の終助詞の対照についての考察

2.3.1日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の共通点

日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の特徴と用法を個別に考察した上で、次のよ うな共通点が挙げられる。

① 日本語の終助詞およびベトナム語の終助詞の特徴として日常会話でよく使用さ れている言葉である。日本語の場合は、終助詞を付けないと話し手の聞き手に対する気持 ちを表現するのは難しい。また、ベトナム語の場合は終助詞が付けられないと会話がおかし くなり、話し手の感嘆も出てこない。

② 日本語の終助詞もベトナム語の終助詞も主として文末に置かれる。

(50) ちょっと待ってくださいね。

“Bạn chờ tôi chút nhé”

③ 日本語の終助詞およびベトナム語の終助詞は二つとも話し手の感嘆・疑問・命 令・依頼・確認などの意味を表す。また、日本語の終助詞およびベトナム語の終助詞はどん な意味を表しても語形が変わらない。

意味 ベトナム語の例文 日本語の例文

感嘆 Đẹp thật! きれいだわ。

疑問 Ngày mai bạn đi đâu vậy? 明日どこに行くの

命令・依頼 Về sớm nhé! 早く帰ってくださいね

確認 Cái này của cậu nhỉ? これはあなたのものですね

勧誘 Đi uống café nhé! コーヒーを飲もうか

主張など Món này ngon lắm đấy この料理はおいしいですよ

④ 日本語の文における日本語の終助詞およびベトナム語の文における終助詞の使 用により、話し手と聞き手の関係(地位・親しみ)が確定できる。ベトナム語の場合は、例文

「Anh cần gì ạ?」の「ạ」により、話し手が聞き手より年下の人だと分かってくる。日本語の場合は、「なんだい」の「だい」により、話し手が聞き手より年上の人あるいは友達同士だと解釈できる。そして、話し手と聞き手がかなり親しい関係を持っているとも分かってくる。

⑤ ベトナム語の日常会話には文末における終助詞のイントネーションによって、同じ 終助詞でも表す意味が異なっている場合もある。特に、非難や皮肉の意味を表す時の文末 における終助詞のイントネーションはよく注意される。

例文として、「Anh đi chƣa?」という表現を考察する。会話にはこの文の文末における

「chƣa」のイントネーションを尐し上げるかそれともそのまま続けると、話し手は単に聞き手が 出発したかどうかと確認するという意味を表す。しかも、同じ表現で文末の「chƣa」の発音を 強く伸ばせば、話し手が単に聞き手が出発したかどうか確認したいこと以外に、聞き手が早 く出発するように促すというニュアンスも含む。

ベトナム語の終助詞のように、日本語の終助詞は文末のイントネーションの違いによ って、異なった意味を表す。

(51)「午後買い物に行くの」↓ (Buổi chiều tôi đi chợ)

(52)「午後買い物に行くの」↑ (Buổi chiều chị đi chợ à ?)

例 (51)には,終助詞「の」が低いイントネーションで発話されたので、話し手の「午後 買い物に行く」という主張が分かった。また、例(52)には、終助詞「の」のイントネーションを高 く上げることにより、話し手が聞き手に「午後買い物に行くかどうか」といった内容を確認する ことが理解できた。日本語の終助詞は日常会話によく使われるが、ビジネスの場面それとも 上の人(年・位置)と話す時、日本語の終助詞を文末につけるのは非常に尐ない。また、ベト ナム語の終助詞も会議などのビジネスの場面に使用されることがほとんどない。

2.3.2日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の相違点

ベトナム語は日本語と別の語族に属しているので、言うまでもなく、両者は相違点が ある。日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の特徴と用法を個別に考察した上で、次のよう な相違点を挙げる。

① 日本語の会話には、日本語の終助詞の使用により発話者の男女差が見られる。

例えば、終助詞「かしら」「わ」は女性の専用語であり、男性がそれらの終助詞を使う ことがあるが上品ないい方ではない。逆に、終助詞「だ」「や」「かい」は男性の専用語であり、 女性が使うこともあるがぞんざいでくだけた言い方になる。ベトナム語の会話には、文末にお ける終助詞の使用は発話者の性別に変わらない。

女:Em đi học đây.(これから学校に行きます)。

男:Tôi cũng đi làm bây giờ đây.(僕もこれから学校に行きます)

② 日本語の終助詞はよく日常会話に出現するが、目上の人に話すときに終助詞を 使用するのは尐ない。それに対して、ベトナム語の終助詞は目下の人が目上の人 に対する会話にも使用される。ベトナム語の会話には目下の人が目上の人と話す 時、目上の人に対する丁寧さや敬意を表すために終助詞「ạ」をよく使用する。それのみならず、「nhé」、「nhi」などの親しみを表す終助詞を文末に付けられる。

(54) [Bác đi du lịch cùng gia đình cháu bác nhé?]

(おじさん、私の家族と一緒に旅行に行きませんか)

例(54)は話し手(目下)がおじさん(目上)を旅行に招待するという勧誘文である。この 場合では、目上に対する発話に親しい勧誘を表す終助詞「nhé」が付けられる。

まとめ

つまり、終助詞「よね」は「ね」の相手に確認する機能と、自身の意見や知識について確信、断定する「よ」の機能の両方を兼ねそなえていることが分かる。しかし、「よ」が話し手と

聞き手の情報が対立する場合にも使用されるのに対して、「よね」は「ね」と同様両者が一致 する場合にしか使われないとされている。

本章で説明した終助詞「よ」と「よね」の機能について、以下に整理してみた。

①「よ」は相手が知らないことへの回答を提示し注意を向けさせる。

② 相互の食い違い及び自身の情報の正確性を強調する。

③ 言い張る、言い聞かせる気持ちで念を押す。

④ 相手に対して反問してなじる気持ちを添加する。

⑤ 相手に対する命令、依頼表現に添加する。

⑥ 勧誘、ねだり等をする時に添加する。

⑦「よ」は基本的には、独話で使用されにくい。

⑧ 3人称、1人称、2人称の順序で「失礼さ」の度合いは強まる。

⑨「よ」は目上の人に対して使うのは避けた方が良い。

「よね」の機能

①「よね」は「よ」に聞き手に確認・問いかけをする「ね」を加えるため、自分の意見を 提示し、相手の助けを借りて結論を出そうとする話し手の心的態度を表現する。

②「よね」は強い主張を表す終助詞「もの」と共起しないが、軽い断定を表す「の」で は共起が可能になる。

③ 話し手のストレートな感情を表現する文と「よね」は共起しにくい。

日本語の終助詞「よ」「ね」「よね」の用法と似たベトナム語の終助詞はかなり多いと明 らかにした。そして、これらの終助詞は日本語の終助詞「よ」「ね」「よね」のように日常会話に はよく使用され、話し手の聞き手に対する感情や考えを表現するのに欠かせない言葉であ る。

また、ベトナム人の日本語学習者は終助詞を使用する際に、母語干渉の影響を受ける可能性がある。そのために、ベトナム人の日本語の学習や習得には学習者がこれらの日本語の終助詞「よ」「ね」「よね」とベトナム語の終助詞の相違点を深く理解できれば、日本語の学習、特に日本語の会話能力がより速く向上できるだろうと考えられる。

べトナム人中級レベルの日本語学習者に対する 日本語終助詞についての調査

各教科書における終助詞の導入と出現数

高(2011)は教科書分析として選んだ教科書は総合教科書として広く使用され、教科

書分析において多く使われている以下の2種類の初級、中級用の7冊である。

『みんなの日本語初級I、Ⅱ』以下『みんな初I、Ⅱ』と略す全課

『文化日本語初級 I、Ⅱ』(以下『文化初 I、Ⅱ』と略す)全 36 課『みんなの日本語中級』(以下『みんな中I』と略す)全12課

この調査の結果により2種類の教科書から抽出した終助詞「よ」、「ね」、「よね」の 出 現総数は 1327 であた。学習レベル別の出現総数をみると、初級では「ね」が439 例で一番 多く、次に「よ」が 271 例で「よね」の使用はみられなかった。しかし中級に おいては「よ」が

317 例で一番多く、次に「ね」が 284 例で「よね」はわずかであるが 16 例あった。これらの教 科書における終助詞の出現数からは初級の後半(Il)から終助詞の使用が一気に増えている こと、さらに中級レベルに上がると、どの教科書も「よ」の使用が多くなっており、学習者の日 本語のレベルに忚じて終助詞の使用や種類が変更していることが分かる。高(201D の調査 結果の詳細を以下の表のように提示した。

表 5 終助詞の出現数

教科書 「よ」 「ね」 「よね」 合計

これらの「よ」の機能と導入について、文法解説書や教師の手引きでは「相手の知ら ない事柄について注意を向けさせた場合に用いられる。また聞き手の知らないことを強調し て教えたり、自己の判断や意見などを聞き手に強く表現したい場合にも用いられる。さらに

「よ」を強く発音すると、聞き手に強要するかのような印象を与えるので、軽く付ける気持ちで 発音する」と記述されている。このような記述は、具体的な使用場面を伴っていないこともあり、 学習者からすると、「よ」イコール何かの強調ということで認識されやすい。実際、学習者の終 助詞の使用に関する意識調査でも「よ」は強調する時に使うと答えた人が多かった。また、こ のような間違った終助詞のインブットは、実際の接触場面の会話においては非母語話者(学

習者)による「よ」の過剰使用の原因となっている(高2008)。

「みんな日本語」の第 4 課という早い時点で出てくること、そして、それ以降会話に不 可欠な要素としてほとんどすべての課で使用されていることがわかる。文法説明を見ると、第

13 課で出てくる「今日は・・・ね。」は(発話緩和)の「ね」は、この文法説明をかなり敶衍して理解しないといけない。つまり、話し手(B)は自分が日本料理を食べたいという情報を聞き手(A)が共有しているとい う前提で話していると理解するのは難しい。自分についての情報であるから、「今日は・・・よ。」といってもいいところを、発話緩和していると説明したほうが理解しやすいであろう。ーこに書かれている文法解説は、ね」のプロトタイプ機能の①会話促 進には適切ではあるが、発話緩和に関しては別の説明が必要であろう。この発話緩和の「ね」は、

最近日本人の自然発話でもテレビ等でもよく耳にするので、多くの学習 者は、発話緩和の

「ね」の明示的な学習機会はないものの自然なインブットは受けているのではないだろうか。注意喚起及び⑤発話埋め合わせの「ね」については例文もないが、これらは話し言葉の要素がきわめて強いので、どの初級教科書でもとりあげる可能性は低いだろう。

中級レベルのベトナム人日本語学習者の「ね」「よ」「よね」の使用実態についての調査

上述のように高(2011) の学習者の終助詞の使用をどのように理解・認識しているの か、学習者にとって難しいのは「よ」、「ね」、「よね」のどの終助詞で、どのような機能なのか、 学習者の終助詞の不適切な使用はその場のコミュニケーションにどのような影響を与えてい るのか、などの質問に対する回答を見つけるように中級レベルのベトナム人学習者の「ね」

「よ」「よね」の使用実態についての調査を行なった。

3.2.1調査対象者および調査方法

調査対象者はハノイ国家大学外国語大学日本言語文化学部で勉強している 2 年生の

42 名と貿易大学、工科大学、ハノイ大学、国民経済大学、タンロン大学から日本言語学部 で勉強している2年生の学生33名を合わせて75 名である。

日本語能力試験の認定基準では、学習時間 300 時まで(N3 レベル)の学習者を初 級レベル、学習時間がそれ以上で 600 時間まで(N2 レベル)の学習者を中級レベルとして いる。

調査方法としてはハノイ国家大学外国語大学日本言語文化学部で勉強している 2 年生と貿易大学 (FTU)、工科大学 (HUST)、ハノイ大学 (HANU)、国民経済大学 (NEU)、タンロン

大学 (TLU) の日本言語学部で勉強している75名を対象にし、学年にかかわらず同じ質問紙

の回答を記入してもらうことである。アンケートの問題は穴埋めテストの形で行なわれ、学習者 の終助詞「よ」、「ね」、「よね」の用法の理解度とそれらを会話に運用する能力を調べることを 中心にされる。回答を収集した後で、学習者の誤用を調べ、誤用率が高い問題を徹底的に分 析し、誤用の原因を取り上げる。

アンケートの問題はよく使われている「みんなの日本語」および「文化日本語」の初級 と中級教科書から抜粋されたものである。アンケートの質問用は付録 1 に提示する。質問の 回答は別紙に付加する。

アンケートの問題が穴埋めテストの形で、合わせて 15 問がある。問題は中級レベル の難しさで作成された。著者は教科書から文章を引用し、最後の助詞を省略しています。回 答者に空欄を選んで埋めてもらいます。それぞれの文には特定の文脈がある。

アンケート回答集計後、Zoom アプリでアンケート回答者 20 名にインタビューを実施する。誤用率が最も高い記事を選んだ:外国語大学の学生 10 名と、ハノイ大学、貿易大学、工科大学などの他の大学の学生 10 名。インタビューを行って、これらの助詞の使用法をど

のように理解しているかを調査した。インタビュー調査で行なわれ、学習者の終助詞「よ」、

「ね」、「よね」の用法の理解度とそれらを会話に運用する能力を調べることを中心にされる。 回答を収集した後で、学習者の誤用を調べ、誤用率が高い問題を徹底的に分析し、誤用の 原因を取り上げる。

3.2.2調査結果および考察

3.2.2.1アンケート調査の結果

図2 調査回答者の年齢 図 3 調査回答者の性別

図 4 日本語を勉強した大学 図 5 調査回答者の日本での経験

図 6 調査回答者の利用カリキュラム 図 7 調査回答者のレベル

図2~7を見ると、次のような結果が挙げられた。送信された 75 件の結果のうち、回答者の大半が 20 歳のグループであることがわかります。性別は 80 パーセント以上を女性が占めています。 研修先はハノイ国家大学外国語大学日本言語文化学部の学習者が 57%、貿易大学の学習者が 20パーセント、ハノイ大学の学習者が 5% を占める。研修期間に対忚して、受講生の日本語能力はほぼ全員が中級レベルの日本語能力証明書を取得しました。

41 そのうち、64パーセント以上が N3 レベルに達し、10パーセントが N2 レベルに達しました。 ほとんどの学習者は日本に行ったことがない。

3.2.2.2ベトナム人中級レベルの日本語学習者の終助詞の使用実態のアンケート調査の考

ベトナム人の日本語学習者に対する日本語の終助詞「よ」、「ね」、「よね」の指導法

日本語教育において、中級レベルである 2 年生の学生の会話能力はそんなに高く ないのに初・中級の日本語教科書には「よ」「ね」の例が頻繁に出されている。しかし大多数 の初・中級の教科書では「よ」は「話し手の主張あるいは強調を表す」と説明し、「ね」は「相 手の同意を要求する」と説明されているにすぎず、これでは日本語学習者が「よ」「ね」の用 法を完全に習得することは困難である。そのために初級・中級の教科書に記載されている例 と説明の以外には、ベトナム人学習者に適する終助詞の指導法を工夫するのが必要である と考える。

「よ」、「ね」、「よね」の指導法に関しては「ね」「よ」「よね」の用法を分かりやすく、正確 に説明するためには一般的な用法から導入する。教科書には「よね」の出現数が非常に尐 ないが日常会話にはよく使われているので、初級段階か ら「よね」についての導入も必要だ と考える。

「よ」の指導法に関して、次の三つの要素について考。

① 情報量②必要性③待遇性

まず「情報量」について、『ここで述べる「情報量」とは話し手によって想定され知識。判 断の量をさす。

既に明らかになったように「よ」の本質は「聞き手が知らない知識・判断を教える」とい うニュアンスを含むことであり、具体的には話し手の方が聞き手より知識・判断を多くもってい ると想定されるときに使われるものである。』

つまり具体な場面を上げると例えば、母が子供に「もう9じだよ」と注意するとき、話し 手の母が聞き手の子供に対する何らかの働きかけが感じられ、「早く行きなさい」とか「早く寝 なさい」などの意味が発言の裏に隠されているのである。

「もう 9 時だ」という文と比較すると区別がはっきりされている。つまり「よ」がない文は 単なる事実を述べるだけで終わって、聞き手に対するはたらきかけは感じられない。この「よ」 は初級段階で導入すべきだと考えられる。また、次の文も 「よ」の使用が必要であることを指 導すべきである。

(80) A:かばん、開いているよ。

これは簡単な文型なので初級日本語の早い段階で「よ」を導入することができる。

そして、「必要性」について、『「よ」は情報量という基準によって使い分けられるだけ でなく、聞き手に教える必要があるかどうかという制約にも関連しているこでは「よ」の使用上 の「必要性」と呼ぶ。』

外国人の学習者は母語の影響を受けるか、無意識のうちに時々、聞き手には何の関 係もなく、また教える必要がないにもかからわず、「よ」を使ってしまうという誤りをおかす。

(81) (話し手が何気なく話しかけるように言ったとする場面)

昨日遅くうちへ帰りましたよ。

(82) A: 今日はあついですね。

B: そうですよ。

また、「よ」を使うと、文の内容を相手が認識すべきこととして示すことになるので、「は い、わかりましたよ」「私がやりますよ」のような文は不満を述べているように受けられやすいと いう危険がある。

しかし逆に、外国人の日本語学習者が「よ」を使うべきところで「よ」を付加しないとい う誤用もある。

(83) (物を落としたが、気が付かなかった人に対して)

例(83) のでは「よ」が付加されないと、相手に不適切な印象を与えることがある。

このように「よ」の用法は聞き手との関係を前提としているため、情報提供の必要性を 意識しないと、「よ」の誤用に結びつきやすいと考えられる。

最後に、「待遇性」について、 日本語学習者にとっての、「よ」の用法に関するもうー っの問題はおそらく待遇性の制約であろう。特に目上の聞き手に対して「よ」を乱用すると、 人間関係にとってマイナスとなり、丁寧さを欠いた表現となり得る。

すると、「よ」の指導する際に、学習者に基本的な用法をしつかりさせる以外は「よ」の

まとめ

このように調査結果を見ると、学者は殆ど日常会話でよく出ている「ね」 「よ」の用法 が理解し、正しく使用できる。しかし、尐数の学習者はまだ「ね」 「よ」「よね」の用法をしつか り理解しないことが分かった。そして、全体として中級学習の間には差がそれほど大きくない ことが分かった。それより、 ベトナム人の日本語学習者は中級レベルに上がり、文法と語彙 の量が比較的増えてきたのに日本語の終助詞の習得に関してはあまり成長してこないという 事実が見られた。

その状況の原因の一つは各教科書において終助詞「ね」「よ」「よね」が出現数が多 いことに対して説明と終助詞の用法を把握する練習がすくないことであるだろう。

それに加えて、学生たちは日本人との交流機会が尐なく、日本語の日常会話を実感 することがほとんどない。そのように、コミュニケーションの場面に適切に対忚できるようにど んな終助詞を使えばいいか、ベトナム人の中級レベルの学習者が非常に迷うこともある。一 方、終助詞を間違えないように使用するために、文末に終助詞を付けなかったほうがいいと 思っている学習者もいる。

この状態に対する解決方法として、できれば学校の会話、文法の授業で終助詞についてももっと紹介し、より分かりやすい指導法が必要である。

本稿では、日本語における終助詞「ね」「よ」「よね」およびベトナム人日本語学習者 に対する「ね」「よ」「よね」の指導法について考察した。本稿で論じたことを次のようにまとめ る。

まず、日本語の終助詞および「ね」「よ」「よね」の用法を詳細に考察した。

終助詞「よ」は、ある事柄に対する話し手の知識・判断を聞き手に教える必要があると 話し手が想定する時に使われる。この「よ」の用い方という観点からは、普通の伝達文に一よ」 が付く場合を説明できるだけでなく、「か」文や疑似疑問詞を伴う疑問文や形式が固定され、 慣用化された表現などに「よ」が付く場合も説明できた。

次に、日本語教育の視点から、中級段階ではどのように「よ」を導入すべきかについ て意見を述べた。具体的には、日本語教科書の中に実際に出ている「よ」の例を取り上げ、 これを検討し、学習者に「よ」を教えるためには三つの制約、つまり「情報量」、「必要性」、

「待遇性」という要素を考慮しなければならないと提案した。「情報量」というのは話し手によ って想定される知識・判断の量を指す。基本的に話し手のほうが聞き手より知識・判断を多く 持っており、聞き手が知らない情報を知らせたり教えたりする時に「よ」が使用されるのである。 また「情報量」だけではなく、聞き手に教える必要があるかどうかという「必要性」にも関連して いる。日本語学習者がよく「よ」を誤用するのは、聞き手に何らの関係もなく、教える必要がな いにもかかわらず「よ」を使ってしまうことが原因であり、この点に注意して指導すれば、正確 な「よ」の用法を定着させることができるのではないかと考えられる。更に、目上の人に対して 忚答する場面には、「よ」を付け加えることによって「そんなことは当然なこと」あるいは「あな たにとって必要である」などという話し手の判断を示して、押し付けのニュアンスが生じるので、 敬意の表明が必要な時には、「よ」の使用は制限されるので、学習者に指導する際に考慮 すべき点でもあると指摘した。従って日本語教育の初級段階では、「よ」導上、前述の三つ の制約について考慮しつつ、「よ」の基本的な用法から導入し、必須である場合・任意的な 場合・不適切な場合をきちんと使い分けて説明すれば、学習者の理解を深める上で効果的 である。

終助詞「ね」は基本的に「会話促進」「注意喚起」「発話緩和」「発話内容確認」「発話 埋め合わせ」という意味を表現する。終助詞「よ」は「注意を向けさせるイ動きをする」「強調の 意味を表す」「言い張る、言い聞かせる気持ちで念を押す」「命令ー依頼の気持ちを尐し強 める」「勧誘・ねだりを表す」。「よね」の機能は「よ」に聞き手に確認・問いかけるをする「ね」を 加えるため、自分の意見を提示し、相手の助けを借りて結論を出そうとする話し手の心的態 度を表現することである。

つぎに、本稿は「ね」と「よね」の共通点と相違点について考察するため、「ね」と「よね」 がどういう場合に置き換えられるか、あるいは置き換えられないかを具体例から検討した。そ の結果、「ね」と「よね」の差異は、「ね」の方は、「話し手は聞き手が知っているとみな

す」という意味を表わし、発話内容自体が確認されるのであるのに対し、「よね」の方は、「話 し手の判断を述べると同時にその判断を聞き手も知っているとみなす」という意味を表わし、 その発話内容に関する話し手の判断が確認されるということが明らかになった。

日本語において「ね」と「よね」をどのように指導すべきかをした。本稿では、学習者の

不適切な例を取り上げ、「知識・判断の共有」及び「共有の期待」といった使用上の制約につ いての考察を試みるべきであると考えた。ここでいう「知識・判断の共有」とは、話し手は聞き 手がある事柄に対する知識・判断をある程度自分と同じように持っているとみなすという意味 である。これは「よ」の意味と対立している。つまり「よ」は「私はあなたが知らないとみなす」と いう話し手の判断を示のに対し、「ね」と「よね」は「私はあなたが知っているとみなす」という 判断を示している。前述のように「ね」と「よね」は置き換えられる場合もあるが、生じるニュア ンスは異なる。更に「共有の期待」というのは話し手と聞き手の間の知識・判断の共有が前提 とされ、聞き手の同感を得たいという話し手の期待が込められているという意味である。そこ で、ときどき「ね」「よね」を付けることによって、聞き手の判断に立ち入って強く同調を求める ようなニュアンスが感じられてしまうこともあり、相手に対して押し付けがましい印象を与えて しまうことになるのである。

このように、日本語教育上の視点から見ると、終助詞「よ ーよね を指導する際には、 上述した使用条件を考慮に入れながら、基本的な用法から一つずつ丁寧に指導し、必須の ものと任意のものを衣状況上明確に区別して説明することによって学習者によりよい理解が もたらされるのではないかと考えられる。

最後にはベトナム人日本語学習者に対する「ね」「よ」「よね」の指導法について考察 した。教科書の機能分析から初級中級教科書において終助詞の機能には偏った使用が見 られていること、それにより学習者が終助詞のある機能だけが過剰使用されたり、または過 小使用されるという問題が予想されることを指摘できた。また、効果的な終助詞の指導のた めには、教科書の会話文などを通じて、終助詞の「よ」、「ね」、「よね」の機能がどのような状 況で使用され、どのような機能を持っているかを普段から学習者に意識させる。また、ベトナ ム人日本語学習者の「ね」「よ」「よね」の用法の理解度に関する調査を行なった。

日本語の終助詞の使用に関するアンケート調査

問題 次の文の( )に入れるのに最も良いものを以下の【「ね」、「よ」、「よね」、「X」】 から一つ選んで書いてください。

① A: 12月の N1 能力試験が合格できた【_よ__】

B: 本当?それはよかった。おめでとう。

②(会議室にAさんはBさんの携帯を見ます。今、Bさんは会議室にいません。)

A:会議室に携帯電話を忘れた【_よ_】。

③(壊れているドアを見て、非常に怒るようになった)

誰がそんなことをやったんだ【_よ_】。

④ 朝11時だ【_よ_】。起きろ。

⑤ 彼女はパーティーに来ない【_よ_】。昨日そう言った【_よ_】。

⑥ 彼は来ると言った【_よ_】、心配しないで。

⑦ 今度何か飲みに行こう【_よ_】。

⑧ (写真を撮るとき、取られる人に取る前に言う)

カメラ見て、笑って【_よ_】。

⑨ A:お酒が飲める?

B: うん、飲める【_よ_】。

⑩ 今日は【_ね_】、会社へ行く最中【_ね_】、だれかが落ちた携帯電話を拾った【_よ

⑪ (課長は社員に言います)

僕にメールして【_ね_】。

⑫ A: 今日、雪が素敵だ【_ね_】

B: ええ、そうだ【_ね_】。

⑬ A: 明日の授業は8時からです【_ね_】。

B: はい、8時です。

⑭ ベトナム人:外国人はマムトムが嫌いです【_よ/よね_】。

外国人:いいあ、たまに好きな人もいますよ。

⑮ A: 英語がお上手です【_ね_】。 B: いやいや、だめですよ。

Ngày đăng: 04/08/2024, 22:24

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