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1990年代ベトナムにおける紙芝居 ―日越文化交流の事例としてー

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ベトナム国家大学ハノイ校日越大学 地域研究プログラム日本研究専攻 修士学位論文 1990 年代ベトナムにおける紙芝居 ―日越文化交流の事例としてー 主指導教員 副指導教員 PHAN HAI LINH 准教授 斎藤希史教授 学位申請者 NGUYEN THI QUE HUONG (学生番号:18110016) ハノイ、2020 年 論文要旨 紙芝居は日本独自の文化的装置であり、現在多くの教育の場で使用されている。しかし、 戦争時代には紙芝居が戦意高揚のため軍部に利用され、国策によって大量の戦争紙芝居が作 られたという悲しい歴史を背負ったため、今でもこのことで紙芝居に対する偏見を持ってい る人がいるそうである。それで、紙芝居が日本独自の文化として肯定的に捉えられるように するために、運動家の海外に紙芝居を紹介し、普及させることを通じて、国内の偏見をなく すことを目指す活動が盛んになった。この紙芝居文化を広げる活動は文化をメディアとして 利用し、国の影響力を高める日本の対外文化政策の一環であった。紙芝居の海外への普及活 動は1990年代から始まり、ベトナムを中心に行われた。その一方、ベトナム側においては、 1990年代に入り、ドイモイ(刷新)路線の採用を決定し、対外開放政策により日越間の文化 交流も推進されるようになった。紙芝居をはじめ、漫画、映画、日本の伝統的な文化などが 徐々にベトナムに紹介された。その中で、紙芝居は卖にベトナムに紹介されただけではなく、 日本の文化運動家の活動とベトナム側の出版社の協力によりベトナムの児童読書文化の一部 となった。ベトナムでの成果が実ったことは、日本国内での位置づけを求めている紙芝居に 対して刺激的効果があった。紙芝居は日本からベトナムに伝わったものではあるものの、両 者の関係は一方向的なものだけではなく、ベトナムで生み出された紙芝居が日本の紙芝居に 影響を与えるといった双方向的なものとして捉える必要がある。これを通じて日越間の文化 交流の特徴を示した事例だと考える。 近年、日本とベトナムとの交流が活発化するようになり、日本の児童文化財と言われる紙 芝居に対する関心は研究者や教育者の間で高まりつつあるが、紙芝居に関する研究は 1990 年 代からの研究が圧倒的に多く、とりわけ、紙芝居がどのように多くの分野で活用されている のかという課題が注目されてきた。歴史的な発展方向を指摘すると共に、現在における紙芝 居活動の現状を研究した文献が比較的多い。紙芝居を海外に広げる活動ではベトナムへの紙 芝居の普及が最初であったが、その紙芝居がベトナムに輸入されはじめた 1990 年代の活動を 一望する研究がない。当時の紙芝居の普及は卖に日本の文化を広げることにとどまらず、日 本・ベトナムの間の文化交流の典型的な事例であるため、当時の活動を具体的に調べる必要 があると考えられる。 本研究の結果としては、1990 年代にベトナムで行われた紙芝居を普及する活動の成果を示 し、創作・出版・上演・交流などと言った普及活動の各面でどのように日本の紙芝居へ影響 を与えたかということを明らかにしたことが挙げられる。それを通じて、紙芝居を通じた日 越交流関係の一方向性の要素と双方向性の要素を指摘した上で、当時における日越交流関係 の特徴を表すことができた。 i 目次 序論 1.背景 2.研究目的と研究意義 3.研究方法 4 先行研究 5 論文構成 第一章:1990 年代日本における紙芝居と海外への普及活動 1.1.1990 年代以前の状況 1.2.1990 年代からの文化運動と紙芝居に対する再評価 12 1.2.1 日本国内における 実践活動と理論研究の強化 12 1.2.2 海外への普及活動の開始 16 2.1 ベトナムにおける紙芝居研修講座と交流活動 19 2.1.1.紙芝居研修講座と交流活動の総括 19 2.1.2.ベトナムにおける紙芝居団体の形成及び出版活動 2.2 22 日越紙芝居交流活動に関する個人・団体の役割 30 2.2.1.「ベトナムの紙芝居普及を支援する会」の成立と支援活動 30 2.2.2.紙芝居関連団体と個人の活動 37 2.3.紙芝居普及活動の中止経緯とその後の状況 43 2.3.1.紙芝居普及活動の中止経緯 43 2.3.2.2000 年代から日越紙芝居交流の状況 45 第三章:ベトナムの紙芝居と日本の紙芝居との比較 48 3.1.五山賞を受賞した作品:『太陽はどこからでるの』 48 3.1.1.『太陽はどこからでるの』の概要 48 3.1.2. 『太陽はどこからでるの』に対する評価 54 3.2.日本の紙芝居との比較 57 3.2.1 作者と作品の紹介 57 3.2.2.作品の独自性から幸福・平和へのメッセージ 60 3.3.3.『象牙の櫛』に対する評価 71 結論 75 謝辞 79 参考文献 80 付録 83 ii 表の一覧 表 0―1:インタビュー研究の対象 表 1-1:1989 年から 2001 年にかけての紙芝居の日本国内活動 14 表 2-1:1991 年から 2003 年までのベトナムにおける紙芝居についての交流活動年表 19 表 2−2:ベトナムで出版されたベトナム人作家の紙芝居のリスト 24 表 2-3:日本で出版されたベトナム紙芝居のリスト 28 表 2-4:1992 年から 2003 年にかけて「ベトナムの紙芝居普及を支援する会」による寄せられた 金額と物品発売の金額(卖位:円) 32 表 3-1:『太陽はどこからでるの』の粗筋 49 表 3-2:『大きく大きく大きくなあれ』の粗筋 60 表 3-3:『象牙の櫛』の粗筋 63 iii 図版の一覧1 図版2−1:1991 年第一回紙芝居研修講座……………………………………………………… 21 図版2−2:ベトナムで生まれた紙芝居の展示 ………………………………………………… 26 図版2−3:2001 年におけるベトナム訪日……………………………………………………… 39 図版2−4:2001 年サパにおけるのりこ氏とベトナムの子ども……………………………… 41 図版2−5:1996 年のりこ氏が文化功労賞を受賞……………………………………………… 42 図版2−6:2005 年ルオンソン幼稚園でブー氏とのりこ氏…………………………………… 46 図版2−7:1996 年べトナム大使館てベトナム政府による「文化功労賞」授賞式………… 46 図版2−8:1997 年ブーさん子どもの文化国際賞受賞………………………………………… 47 図版3−1:1996 年ヒエウ氏が「五山賞」を受賞……………………………………………… 58 図版3−2:講座で講師である松井のりこ氏が『太陽からどこからでるの』の特性を説明する …………………………… …………………………… ……………………… ………………………60 図版3−3:松井のりこ氏がホア・ビン省にあるキュウ・ロン幼稚園で『大きく大きく大きく なあれ』を上演 …………………………………………………………………………………………62 図 版 3 − 4 : リ エ ン 氏 が 描 い た 子 ど も の 絵 ………………………………………………………72 図版3−5:2006 に 年リエン氏が『象牙の櫛』を上演 …………………………………………79 本論文で使用された写真や絵画はすべて「紙芝居文化の会」が提供してくれたものである。 iv 序論 1.背景  社会背景 紙芝居は日本独自の文化的装置であると言われている。その流行は1930年代後半から1960 年代のことであり、街頭紙芝居を皮切りに、国策紙芝居・教育紙芝居・伝道紙芝居が誕生し た。しかし、1960年前後から、テレビの出現と普及により街頭紙芝居は衰退してしまった。 その後は、1930年代の流行には及ばないものの、日本文化の一つとして今日まで残っている。 最近では、世界の時流に応じたデジタル社会が成立しつつある一方で、日本においては紙芝 居が幼児教育の場だけではなく、高齢者の介護の場、民間の図書館等、地域の絆づくりに用 いられることが全国的に広がっている。 紙芝居には時代の移り変わりとともに変化してきた歴史がある。戦争時代には紙芝居が戦 意高揚のため軍部に利用され、国策によって大量の戦争紙芝居が作られたという悲しい歴史 を背負った。今でもこのことで紙芝居に対する偏見を持っている人がいるそうである。その ため、紙芝居が日本独自の文化として肯定的に捉えられるようになるためには運動家の活動 が不可欠である。そこで、海外に紙芝居を紹介し、普及させることを通じて、国内の偏見を なくすことを目指す活動が盛んになった。その結果として、紙芝居への注目は、日本だけで はなく、外国にも及ぶようになった。国内での紙芝居の地位向上と海外への普及を目的に、 2001 年 12 月 日 に 「 紙 芝 居 文 化 の 会 」 ( The International Kamishibai Association of Japan、略称IKAJA)が創立された。この会は以上に述べたように、紙芝居文化を広げること を目指し、各地で紙芝居講座を主催している 。国内はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、ア ジア等といった国々においても紙芝居に関する活動を継続的に行っている。IKAJAの誕生経緯 は、「1990年代のベトナムとの活発な交流、さらにオランダでの紙芝居講座やボローニャ国 際児童図書展訪問といった経験をとおして、日本で生まれた紙芝居文化を海外へひろげるこ との大切さを実感していたから」(紙芝居文化の会、2017)であったとされる。これに従え ば、海外への普及活動は1990年代から始まり、ベトナムを皮切りに世界のさまざまな国で行 われるようになったということである。 紙芝居文化を広げる活動は文化をメディアとして利用し、国の影響力を高める日本の対外 文化政策の一環と思われる。対外文化政策が日本社会で強調され始めたのは明治時代以降2で あったが、1990年代に入って以来、より強化したという。冷戦が終わったが、経済不況によ り、日本は「失われた10年」という時期に入り、経済大国という位置を失った。経済力が後 退し、日本の国際的な影響力も減退したため、新しい影響力を見いだす必要となった。そこ 佐藤卓己(2012)『「文化立国」日本におけるメディア論の貧困』。 で、文化を利用して、対外文化政策を推進する方針が打ち出された。紙芝居は日本ならでは の文化として、この時期に積極的に広められた。 ベトナムは、1986 年末の第 回共産党大会において、ドイモイ(刷新)路線の採用を決定 し、それ以降、経済改革、対外開放政策を本格化していった3。ドイモイ開始以前のベトナム は日本を経済的には強力となったが、戦略的に米国や中国に同調するジュニアパートナーと 見なしていた。しかし、ドイモイ期に入り、日本をアジア太平洋地域の「大国」の一つと見 なし、日本文化にも注目が集まるようになった。特に、対外開放政策により、政治面での差 し支えがなくなり、越日間の文化交流も推進されるようになった。紙芝居をはじめ、漫画、 映画、日本の伝統的な文化などが徐々にベトナムに紹介された。1986 年のドイモイ路線の開 始から 1990 年にかけて、生け花、茶道、漫画(特にドラえもんのシリーズ)といった日本の さまざまな文化が多くのベトナム人に知られるようになった。 上記のような背景で紙芝居文化がベトナムに伝わった。1991 年に紙芝居講座が始まり、1990 年代中に紙芝居研修講座、交流会、紙芝居を楽しむ会などが開催された。紙芝居は卖にベト ナムに紹介されただけではなく、日本の文化運動家の活動とベトナム側の出版社の協力によ りベトナムの児童読書文化の一部となった。特に幼稚園といった教育の場に活用する風潮が 広がっていた。また、子ども向け紙芝居の創作、上演の活動も活発に行われた。日本側から 見ると、初めて日本国内ではなく、外国であるベトナムの紙芝居が日本で出版され、その上、 五山賞を受賞した作品もあったということが注目される。ベトナムでの成果が実ったことは、 国内での位置づけを求めている紙芝居に対して刺激的効果があったと言われている。すなわ ち、1990 年代における紙芝居を通じて交流を見れば、当時の両国間の文化的関係の特性が分 かると思われる。紙芝居は日本からベトナムに伝わったものではあるものの、両者の関係は 一方向的なものではなく、ベトナムで生み出された紙芝居が日本の紙芝居に影響を与えると いった双方向的なものとして捉える必要がある。  研究背景 近年、日本とベトナムとの交流が活発化するようになり、日本の児童文化財と言われる紙 芝居に対する関心は研究者や教育者の間で高まりつつある。しかし、 伝統的な文化と比較す れば、紙芝居の研究の歴史は浅く、研究論文が尐ないと言える。また、紙芝居は大衆的な娯 楽、高尚な芸術ではないものとされたり、俗悪的・荒唐無稽な内容を持つ街頭紙芝居と戦意 高揚のために作られた紙芝居に対する否定的な評価が存在していたりしため、研究者にとっ て紙芝居は魅力的な対象とされなかったと思われる。筆者が調べた文献の限りでは、紙芝居 に関する研究は 1990 年代からの研究が圧倒的に多い。その中でも、教育界・高齢者ケアに活 白石昌也(2000)『ベトナムの対日認識・ドイモイ期前後の比較を中心に』。 用する活動を対象にした研究が圧倒的に多く、言い換えれば、社会に紙芝居の特性を認めさ せるために、紙芝居がどのように多くの分野で活用されているのかという課題が注目された。 歴史的な発展方向を指摘すると共に、紙芝居活動の現状を研究した文献が比較的多いと見ら れる。 上述のように、外国に紙芝居を普及させる活動は 1990 年代初頭から始まった。先行研究に おいて、その活動は紙芝居の今後の課題について述べる際に言及されることはあるものの、 具体的にそれをどうのように展開したか、結果はどのようなものだったかということに関す る研究がない。一方、どの文化においても、その位置づけを求める過程では国内での承認を 促す事業のほかに、海外に関心等を持たせる事業も重要ではないかと思われる。そこで、紙 芝居に関する国内事情と海外への普及活動の両方に注目する必要がある。紙芝居を海外に広 げる活動ではベトナムへの紙芝居の普及が最初であったが、その紙芝居がベトナムに輸入さ れはじめた 1990 年代の活動を一望する研究がない。当時の紙芝居の普及は卖に日本の文化を 広げることにとどまらず、日本・ベトナムの間の文化交流の典型的な事例だと言っても過言 ではない。そのため、当時の活動を具体的に調べる必要があると考えられる。 上記の社会的背景と研究的背景から本研究は「1990 年代ベトナムにおける日本の紙芝居― 日越文化交流の事例として」を題目とする。 2.研究目的と研究意義 1990 年代から紙芝居がベトナムに広がったという事実から、当時のベトナム・日本の間の 文化交流関係にはどのような特徴があるのかということを明らかにする。言い換えれば、紙 芝居を両国間の文化交流の対象と見なし、その対象の特性を捉えていきたい。つまり、本研 究は 1990 年代におけるベトナムへの紙芝居の普及活動とその結果を調べた上で、ベトナムの 紙芝居の特徴と日本への逆影響を示すこととする。それによって、紙芝居を通じて日本とベ トナムの文化交流を双方向的なものとして捉える。 上記の通り、1990 年代には日本の文化政策によって、紙芝居をはじめ、多くの日本独自文 化がベトナムに紹介された。その中で、ベトナムへの紙芝居の普及は際立った活動の一つで あり、希尐な事例だと思われる。なぜなら、これは紙芝居をベトナムに紹介することだけに とどまらず、普及させること、海外で新しい文化風潮を創ることを目指し、広げた活動だか らである。また、他の文化と異なり、紙芝居がベトナムへ伝えられた後、ベトナム人のオリ ジナリティを有する作品が日本に「逆輸入」4され、「逆影響」を与えた。絵本、漫画、生花 などの場合は、ベトナムに紹介することが主な目的とされ、生花の体験活動の実施や漫画の 人気作品の出版が行われた程度であった。紙芝居の場合は、長期的な輸入を視野にベトナム 女性ニュース 1996 年7月 29 日号による。 に根付かせることを目指し、運動家は創作と出版の活動を重点的に行った。最初に講座を開 き、紙芝居に関する理論を紹介し、紙芝居の創作・演出の方法を伝えることが行われた。日 本国内においても出版活動を促進するために、ベトナムの紙芝居を支援する会が結成された。 つまり、ベトナムへの紙芝居の普及は紹介、創作、演出、出版、交流など多角的に行われた。 その結果、ベトナムでは紙芝居に関する活動が日本国内と同様に展開されたという。そのた め、この事例を具体的に研究することを通じて、1990 年代における日本・ベトナムとの「全 面的な発展」、すなわち全体像の特徴を明らかにできるという学術的な意義がある。その上、 本研究の実践的な意義として、海外に紙芝居を普及させる活動についての一つの参考資料と なるということが挙げられる。 3.研究方法 本研究では、主として日本の資料を中心に文献の分析を行う。管見では、活動に直接に参 加した人々の個人的な記録以外に、当時のベトナムにおける紙芝居の普及活動について書い た資料がほとんどない。そのため、紙芝居の普及に関する団体の記録、その団体の事業報告 といった資料を分析する。また、マスコミの報道(主には新聞、ニュース)も考察する。 日越文化交流を具体的に明らかにするため、個別の事例に着目する。紙芝居は交流の卖独 活動ではなく、全体的な交流の「絵」の一つの「景色」のような役割を果たしていた。その ため、紙芝居をどのように広げたか、どの政策、方法によって普及させたかということは日 本と外国との文化交流の一環であるため、その特性を表す事例だと言える。つまり、紙芝居 活動という事例研究を通じて、全体的な交流活動の特性を指摘することができると思われる。 もう一つの方法は関係者にインタビューするものである。具体的には以下の三人にインタ ビューを行った。 表 0―1:インタビュー研究の対象 対象 松井エイコ インタビューの 役目 インタビュー時間 インタビュー当時、紙芝居作 一回目:2019 年 12 一回目:「紙芝 家・紙芝居の会の国内統括会 月 30 日 居文化の会」の 員。 二回目:2020 年 事務所(日本) 松井のりこ氏 (ベトナム紙 月 11 日 にて直接面談。 芝居の開拓者)の長女。 三回目:2020 年 二回目:メール 場所と方法 本人は筆名として「まついのりこ」、あるいは「松井紀子」という書き方を利用することもある が、本論文には一様の「松井のりこ」と言う。 紙芝居の普及活動に関する資 鈴木孝子 月 12 日 でのやりとり 料と松井のりこ氏についての 三回目:メール 資料を所有する人。 でのやりとり インタビュー当時、「子ども 2019 年 月 21 日 子どもの文化研 の文化研究所・子どもの文化 究所・子どもの 学校」の事務所長。 文化学校の事務 元々、「ベトナムの紙芝居を 所(日本)にて 支援する会」の会員。実際に 直接面談 ベトナムでの紙芝居の普及活 動に参加した人。 ベトナムの紙芝居の作品を所 有する人。 ブイ・ドク・ 元キムドン出版社の作家、元 リエン ホーチミン支社社長、「ベト (ベトナム)に ナム紙芝居協会」の单部担当 て直接面談 Đức Liễn) (Bùi 2020 年 月 日 リエン氏の家 委員。 日 本 で 出版 され た 『象牙 の 櫛』『大切なうちわ』と題し た二つの紙芝居の作者。 以上の3つの研究方法を利用することで、1990 年代に行われた紙芝居の普及活動を多角的 な視点から考察することができると考えられる。 先行研究 ベトナムと日本との関係を研究する際、古田元夫(2013)『日本・ベトナム友好協会の 58 年間の活動』と題した研究が注目される。この研究は、「日本・ベトナム友好協会」の活動 を通して日越の文化交流の関係を分析した。古田氏は両国の関係を つの時期に分け、各時 期においての出来事を考察した上で、関係の特徴を示した。特に、両国関係停滞の時代 (1975〜1990)の後、「ベトナムのドイモイと、冷戦の終結によって、1990 年代初頭以降、 日本・ベトナムの関係は完全的な発展の時期を迎えた」7とした。1990 年代からは日越新時代 と呼ばれ、その例として古田氏は3つの具体的な事例を取り上げた。それはホイアンの町並 み保存、ベトナムへの留学、ベトナム 1945 年大飢饉の調査である。日越新時代を「切り開く 7古田元夫(2013)「日本・ベトナム友好協会の 58 年間の活動」『越日交流史』世界出版社 P.108。 小括 第三章ではベトナムの紙芝居から『太陽はどこからでるの』と『象牙の櫛』という 点の 作品を選択し、分析した上で、ベトナムの紙芝居の特徴の一端を明らかにした。具体的に注 目されることは、まず、作家が戦争体験者、旧兵士であっため、作品の奥底に平和への願い、 真実の価値を追求する願いを込めて表現したということである。また、作家は現実の要素と ベトナム文学を題材として活用しながら、紙芝居の特性も合わせて創作した。言い換えれば、 日本独自の文化である紙芝居にはベトナムの作者により、戦争の現実から平和への願いが込 められた。卖に反戦思想を持ち、子どもへの平和、幸福をもたらすことを願いうだけではな く、戦争体験者の立場から、誰よりも真実を追求する意志を持ち、独立、平和、幸福のある 未来を強く求めていた。この点から見れば、紙芝居を通じた両国との文化交流の特徴が分か ると思われる。つまり、ベトナムの作者は紙芝居の特性を発揮しながら、戦争の題材、文学、 民間文化などといったベトナムならではの要素を活用した。色彩を使わず、スケッチの絵を 利用した『象牙の櫛』、真実を追求する兵士の心が込められた『太陽はどこからでるの』の ようにオリジナリティのある作品が生み出され、「ベトナムほどオリジナルの多い国はない」 123 という位置づけを与えられた。言い換えれば、ベトナム紙芝居には日本紙芝居から学んだ ことだけにとどまらず、創作のオリジナリティ・独創性が有る。この独創性があるため、日 本で出版された時に、ベトナム紙芝居が注目を集めた。それは日本への逆影響の要素だと思 われる。その上、赤旗新聞 1995 年 月 25 日号に掲載された記事によれば、戦意戦場の紙芝 居が流行った時代に育てられた紙芝居愛好者が 1995 年の「ベトナムの紙芝居の集い」に参加 した後、「今、日本の紙芝居がベトナムでこんなに広がり、日本とベトナムの平和の交流に なっていることに感動した」、「紙芝居を通じての国際交流を実感させる」と発言した。ま た、「今のような交流によって、日本でも紙芝居の素晴らしさに改めて気づくことができた」 と記事が書いた。これにより、ベトナムの紙芝居は日本への刺激的な影響を与えたと言える。 すなわち、日本とベトナムとの文化交流には一方向的な特徴を有するだけではなく、双方向 の影響関係もあるという結論が出される。 123 毎日新聞(2001)による。 74 結論 戦前戦後に子どもの娯楽手段とされた紙芝居は、教育の場に活用された後、1990 年代に入 り、大きな変遷を遂げた。国内における実践的な活動を通じて理論形成を推進することを中 心にしながら、日本の独自文化であるという位置づけを追求するために、海外への普及活動 も強化した。当時の日本の文化交流に見合った紙芝居は日本と外国との文化交流の手段と見 なされ、ベトナムをはじめ、多くのアジアの国々に広がった。文化を通じて相互理解を促し、 文化交流を重視していた日本が、海外の文化潮流を積極的に受け入れていたベトナムに出会 うことにより、紙芝居を通じた日越国際交流が実施された。最初の 1991 年の「紙芝居研修講 座」から最後の 2001 年の「第 回紙芝居研修講座」までの 10 年間、両国は紙芝居で学び合 い、交流の会が連続的に開催された。当時の紙芝居の普及は日本・ベトナムの間の文化交流 の典型的な事例だと思われる。そのため、本研究では 1990 年代における日本の紙芝居を広げ る活動を考察した上で、両国間の紙芝居を通じた交流関係はどのようなものだったか、また、 それを通じて、当時の日越の交流関係の特徴はどのように表されるのかということを明らか にした。特に、ベトナムで実った成果が日本国内における紙芝居理論の形成に実践的な経験 として重要な役割を果たしていたというベトナムからの逆影響も指摘した。つまり、本研究 では 1990 年代におけるベトナムへの紙芝居の普及活動とその結果を調べた上で、ベトナムの 紙芝居の特徴と日本への逆影響が示された。それによって、紙芝居を通じて日本とベトナム の文化交流が双方向的なものとして捉えられた。 具体的には、第一章において日本国内の紙芝居事情を考察した後、第二章では、1990年代 のベトナムにおける紙芝居の普及・交流活動を考察し、両国間の紙芝居を通じた文化普及と 交流の特徴を明らかにした。その特徴は次のとおりにまとめられる。 第一に、ベトナムでは紙芝居研修講座や交流会が連続的に行われたということである。紙 芝居はベトナムに紹介されるだけに止まった他の文化とは異なり、日本の文化運動家の活動 とベトナム側の出版社の協力によりベトナムの児童読書文化の一部となった。特に、紙芝居 が両国の政府や社会的威信がある組織に認められたことが注目される。この成果は、国内で 宣伝効果をもたらすことと共に、活動家を激励したと言える。これはベトナムでの紙芝居活 動が日本に刺激的な影響を与えた一つ目の点だと言える。 第二に、紙芝居は教育施設を中心に普及させることが行われ、カリキュラムへの導入も試 みられたという特徴を持っている。キムドン出版社と「支援する会」が普及の計画を立てた 当初から、幼稚園への普及が目指されていたため、10 年間以上にわたって紙芝居を幼稚園に 配布し、上演することが行われた。娯楽手段、あるいは面白さをもたらすものという性格が 75 強かった紙芝居はベトナムへ伝えられたとき、文化として見なされると共に、それに教育性 が強化された。言い換えれば、教育の場を中心に普及したのはベトナムでの普及活動の特徴 だと思われ、ベトナムへの普及は日本の紙芝居に教育的な要素を求める役割を果たしたと言 えよう。このことは、国内の紙芝居における教育の強化の必要性を示した。これはベトナム での活動が日本紙芝居に影響を与えた二つ目の点だと考えられる。 第三に、ベトナムでの普及活動は日本からの援助により展開したが、ある程度ベトナム側 にも創作の成長と出版の独立性もあったということである。ベトナムの作家は講座から得た 知識をもとに自分で紙芝居を創作でき、さらにオリジナリティを持つ作品を生み出すことが できた。また、ベトナム紙芝居の作品が日本で出版されたこと、及びその中の作品が「五山 賞」を受賞したことはその独立性を示したと考えられる。さらに、『太陽はどこからでるの』 と『象牙の櫛』という作品を分析した上で、作家が戦争体験者、旧兵士であっため、作品の 奥底に平和への願い、真実の価値を追求する願いを込めて表現したというベトナムの作家の オリジナリティが明らかになったと言える。特に『象牙の櫛』の作家であるブイ・ドク・リ エン氏は紙芝居の特性を発揮しながら、戦争の題材、文学、民間文化などといったベトナム ならではの要素を活用し、ベトナム独自の背景を持った紙芝居を作り出した。この独創性が あるため、日本で出版された時に、リエン氏の作品だけではなく、多くのベトナム紙芝居が 注目を集め、日本の紙芝居に題材を補足した。それは日本への逆影響の要素だと思われ、紙 芝居を通じた日越交流関係の双方性を表すと思われる。この点から見れば、当時の両国間の 文化的関係の特性が明らかになったと思われる。紙芝居は日本からベトナムに伝わったもの であり、普及活動は日本の支援金による行われたであるものの、両者の関係は一方向的なも のではなく、ベトナムで生み出された紙芝居が日本の紙芝居に影響を与えるといった双方向 的なものとして捉えることができる。 つまり、ベトナムでの成果により初めて外国で紙芝居の価値が認められ、それが国内での 紙芝居に対する再評価を促すという影響を日本に与えたと言える。特に注目する必要がある のはベトナムで普及活動を行った経験から、日本の紙芝居運動家が正式な理論がある必要性 を認識し、最初の紙芝居の理論書とされる『紙芝居・共感のよろこび』の誕生につながった ことである。つまり、ベトナムでの紙芝居普及は、紙芝居の理論の確立を促した有意義で実 践的な活動だったのである。 以上のように、本研究では 1990 年代から紙芝居がベトナムに広がったという事実から、当 時のベトナム・日本の間の文化交流関係にはどのような特徴があるのかということを明らか にした。言い換えれば、本研究は 1990 年代におけるベトナムへの紙芝居の普及活動とその結 果を調べた上で、ベトナムの紙芝居の特徴と日本への逆影響を示した。それによって、紙芝 居を通じて日本とベトナムの文化交流を双方向的なものとして捉えられたと思われる。また、 76 本研究は紙芝居という事例を具体的に研究することを通じて、1990 年代における日本・ベト ナムとの「全面的な発展」、すなわち全体像の特徴を明らかにした。そのため、本研究は当 時における日本とベトナムの関係についての学術的な意義があると考えられる。また、日本 の文化交流の一環であるものとして、海外に普及させる紙芝居活動についての一つの参考資 料となることで本研究は実践的な意義を持つと言える。 ただし、本研究にはくつかの制限がある。まず、当時の紙芝居普及の活動に直接参加した 多くの人に詳細なインタビューを行うことを予定したが、研究期間が限られたため、実施で きなかった。それで、関連者による多面的な情報、または評価などをまとめられなかった。 また、『太陽はどこからでるの』と『象牙の櫛』をはじめとするベトナムの紙芝居に対する 日本の観客、特に子供たちの反応がどのようなものだったかということを十分に示せなかっ た。その作品を実演する会に参加し、作品に対する観客の感想、また、演じ手の評価も含め てアンケートを実施すれば、本研究の実践的な根拠を与えられると考えられる。すなわち、 ベトナムでの紙芝居活動の成果としてベトナムの紙芝居が日本でどのように迎え入れられて いるかということを示すことも重要であるものの、それは今後の課題としたい。 さらに、2000 年代に入り、紙芝居は衰退し、1990 年代ほどの地位まで復興することはでき ていないのは現状である。1990 年代における、紙芝居普及活動が新潮流となったことは、日 本の支援金及び両国の運動家の活動によるものである。特にベトナムにおける普及活動が順 調に行われたことは当時のベトナムの事情、とりわけデジタル化が進んでいなかった状況が 重要な理由であると思われる。情報社会、デジタル社会に向けた 2000 年代のベトナムにおい て、テレビが普及になった 1960 年の日本社会と同じように、紙芝居が「時代遅れ」と見られ、 魅力性が失われるようになった。筆者はベトナムにおける日本の紙芝居普及活動から下記の ようなことを学ぶべき教訓ができると思う。 第一に、紙芝居の時代と共に更新する魅力性の問題である。上述のように、1960 年代の日 本と 1990 年代のベトナムにおいて、紙芝居は漫画、アニメ、絵本などと比べて若い世代に対 する魅力性を失っていた。その解決を目指して、紙芝居のデジタル化を着目する試みが見え ている。しかし、デジタル化により、紙芝居特有の技法が再現できないという懸念もある 124。 第二に、日本の文化交流の持続的な実施問題である。日本は、紙芝居のような文化を外国 で宣伝することにより親日派を育てる際、その持続性を考慮する必要があると思われる。紙 芝居の普及活動から見れば、NGO や市民交流の自発的な活動は有限性があることが分かる。 JICA や国際交流基金のような日本政府機関を活用し、ベトナムの教育機関や出版機関と連携 し、創作者を長期的に育成する計画を実施すればその成果を維持できると思われる。近年の 124 浅野寛幸(2008)「デジタル紙芝居システムの開発とその応用」はせ研卒研による。 77 新しい動としては、2018 年3月から国際交流基金とホーチミン市にある「スマイル」という 幼稚園との協力により、「越日紙芝居協力プロジェクト」が開始したことが挙げられる。と りわけ、今年の夏に「紙芝居文化の会」とホーチミンにおける「越日紙芝居の会」がホーチ ミンで紙芝居講座を共催する予定がある。本講座は筆者が「越日紙芝居の会」の会員と「紙 芝居文化の会」の国際事業担当者のつながりを築くことによって開催されるが、この活動を 通じて今後ベトナムにおける紙芝居に対する前向きな動きがあることが期待される。 78 謝辞 本論文は、日越大学地域研究科修士論文とし提出するものです。執筆には多くの方々の御 指導・ご支援をいただきました。 本研究の実施にあたり、終始暖かい激励とご指導、ご鞭撻を頂いた東京大学大学院人文社 会系研究科・アジア文化研究専攻中国語中国文学講座の斎藤希史教授に心より感謝申しあげ ます。斎藤希史教授に親切な御指摘や助言をいただきました。それから、ハノイ国家大学人 文社会科学大学日本学科の Phan Hai Linh 准教授に貴重な御指導をいただきました。その上、 ゼンショー駒場プログラム室呼びゼンショー・ハノイプログラムの教授と日越大学の先生方 に貴重な御支援をいただきました。深く感謝申し上げます。 本研究は、多くの研究助成、補助金、資金負担などにより実施されたものです。学位論文 作成にあたり、東京大学と早稲田大学でのインターシップの機会と有用な資料の提供を頂き、 ゼンショ―ホールディングス、日越大学に心より感謝申し上げます。 研究を進めるための環境を整備いただき、日越大学、東京大学大学院総合文化研究科・教 養学部、早稲田大学大学院日本語教育研究科の先生方と大学職員の皆様に、心から感謝いた します。 本研究を進めるにあたり、ご協力・ご支援を頂いた日本の「紙芝居文化の会」の松井エイ コさん、「子どもの文化研究所」の鈴木孝子さん、それからベトナムの紙芝居作家であるブ イ・ドク・リエンさんに心よりお礼申し上げます。 本論文を校閲するにあたり、東京大学総合文化研究科博士課程の飛田英伸さんの熱心な協 力と数多くのご助言をいただきましたことには、深く感謝いたします。 最後に、研究を進めるにあたり、ご支援、ご協力を頂きながら、ここにお名前を記すこと が出来なかった多くの方々に心より感謝申しあげます。 79 参考文献 日本語 赤旗新聞(1995)『紙芝居で交流・作家らが初来日』 月 25 日号 浅野寛幸(2008)「デジタル紙芝居システムの開発とその応用」はせ研卒研 石山幸弘(2008)『紙芝居文化史・資料で読み解く紙芝居の歴史』萌文書林 上地ちづ子(1997)『紙芝居の歴史』、日本児童文化叢書 大分合同新聞(2016)『世界に広がる紙芝居・共感の「喜び」ははぐくむ』1 月 11 日号 紙芝居文化の会(2017)『紙芝居百科』童心社 姜竣(2007)『紙芝居と「不気味なもの」たちの近代』青弓社 姜竣(2000)「街頭紙芝居と教育紙芝居—戦前戦中における紙芝居の展開」 木村汎氏・グエン ズイ ズン・古田元夫(2000)『日本・ベトナム関係を学ぶ人のた めに』世界思想社 10 坂井一『グローバリゼーション国際関係論』、芦書房 11 佐田智子(1996)『ベトナム紙芝居を里帰り出版する絵本作家まついのりこ』 月 29 日号 12 佐藤卓己・渡辺靖・柴内康文(2012)『ソフト・パワーのメディア文化政策 : 国際発 信力を求めて 』新躍社 13 鈴木常勝(2008)『保育に生かす紙芝居・大人と子どもが出会う場所』かもがわ出版 14 鈴木常勝(2005)『メディアとしての紙芝居』、日本児童文化叢書 38、久山社、2005 15 鈴木考子・松井エイコ(2004)『日本・ベトナム紙芝居交流 10 年目で幕・新たな形で 再出発』子どもの文化特集・あそびの伝承 子どもの文化研究所 16 高瀬あけみ(2018)『街頭紙芝居取材日記』子どもの文化研究所の特集 2018 年 号月 17 高橋豊(2015)『日本の近代化を支えた文化外交の軌跡・脱亞入欧からクールジャパン まで』福村出版株式会社 18 第 35 回(1996)高橋五山賞奨励賞の声明書『太陽はどこからでるの 受賞』 19 古田元夫(2013)『日本ベトナム友好協会の 58 年間の活動』「越日交流史」(P.105〜 115)世界出版社 20 毎日小学生新聞(1998)『ベトナムに広がる紙芝居・日本の文化がベトナム独自の 「KAMISHIBAI」に』11 月 27 日号 21 松井のりこ(2012)『紙芝居・共感のよろこび』童心社 22 松井のりこ(2006)『紙鮪の演じ方・Q&A』童心社 80 23 松井のりこ(1998)『ベトナムの紙芝居の今』文化 MONO 語り・アジアの子どもと文化 交流 子どもの文化研究所 24 松井典子(1991)『真実な仲間』ユネスコ・アジア文化センターニュース 25 右手和子・やべみつのり(2013)『演じてみよう・つくって見よう紙芝居』石風社 26 紙芝居研究会・美作太郎(1956)『教育紙芝居』新評論社 27 宮野英也(2017)『ぼくの戦争と紙芝居人生』子どもの文化研究所 28 山本尚由(1996)「紙芝居を通じた日越交流」地域開発 P.66〜68 29 山本武利(2000)『紙芝居・街角のメディア』吉川弘文館 30 横田一(2001)『生活いきいき家庭・交流 10 年、花開いたベトナム紙芝居』毎日新聞 10 月 28 日号 31 読売新聞(1996)『紙芝居アジアで再興・市民グループにベトナム「文化功労賞」』11 月 日号 32 渡辺享子(2004)『特集3:ベトナム発アジアの空の下で永久なる日越国際交流を・ベ トナムの旅の中から』月刊子どもの文化2月号 33 『ベトナムの紙芝居普及を支援するニュース』(1993〜1998)ベトベムの紙芝居普及を 支援する会が発行 34 『日本・ベトナム紙芝居交流の会』のニュース(1999〜2003)日本・ベトナム紙芝居交 流の会が発行 ベトナム語 35 Ngô Hương Lan (2012), “Quan hệ văn hóa Việt Nam - Nhật Bản giai đoạn từ 1993 đến nay”, Trung tâm nghiên cứu Nhật Bản ゴー・フォン・ラン(2012) 「1993 年から現在における日越文化関係」日本研究所。 http://cjs.inas.gov.vn/index.php?newsid=623(2020 年 月 10 日にアクセス) 36 Nguyễn Quang Lập (2010)“Nguyễn Thắng Vu – ông già nghiện sách thiếu nhi“, Báo Thanh Niên số 28/3/2010 グエン・クアン・リァプ(2010)『グエン・タン・ブー児童向け図書に夢中しているお 爺さん』青年新聞 2010 年 月 28 日 (2020 年 月 日にアクセス) 37 Phạm Minh Thuý (2016), “Quan hệ văn hoá Việt Nam – Nhật Bản giai đoạn 19922013”, Luận văn Thạc sĩ chuyên ngành Quốc tế, Đại học KHXH&NV HN ファム・ミン・トゥイ(2016)『1992 から 2013 にかけて日越文化関係』国際学科の修士 論文、ハノイ国家大学人文社会科学大学。 81 38 “ Ông Nguyễn Thắng Vu tặng tỉ đồng cho Quỹ Doraemon”, Báo tuổi trẻ Online (2010) 「ドラえもん奨学基金」に 10 億万ドン寄せたグエン・タン・ブー氏、青年オンライン 新聞(2010)(2020 年 月 15 日にアクセス) https://tuoitre.vn/ong-nguyen-thang-vu-tang-1-ti-dong-cho-quy-doraemon379874.htm 82 付録 インタビューの質問リスト  松井エイコ氏に対する質問 1) ベトナムにおいての紙芝居研修講座は海外への最初の講座だと言われました。ベトナ ムが第一番目の国となった経緯はどのようなものだったでしょうか。 2) ベトナムに紙芝居を広げる活動に対して松井のりこさんは大きな役割を果たしていた と存じます。なぜ、典子さんはベトナムを気に入ったのか、また、彼女の活動につい て尐しお伺いできますでしょうか。 3) 10 年間の後、色々な実績を積みましたが、その講座と他の交流活動を中止した理由は 何でしょうか。 4) 日本で出版されたベトナムの紙芝居の中で、どんな作品に最も強い印象を持っていま すか。その理由も教えてくださいませんか。 5) 日本の紙芝居と比べると、ベトナムの紙芝居の特徴は何だとお思いになりますか。 6) 日本の紙芝居にとって、10 年間のベトナムにおける活動の意義は何でしょうか。 7) 『ごきげんのわるいゴックさん』と『大きく 大きく 大きくなあれ』と題した作品 には典子さんの人生に対する考えなどが込められているとお思いになりますか。即ち、 その作品を通じて、どのような作者の考えが伝えられたのでしょうか。 8) ベトナムと日本の子どもはそれぞれどのような作品に気に入ったとお思いになります か。相違点があるとお考えでしょうか。  鈴木孝子氏に対する質問 1) 1990 年代にベトナムで行われた紙芝居研修講座に参加されたことがあったと存じてお ります。その際、参加経緯はどのようなものだったでしょうか。また、どのような役 目でベトナムにいらしゃいましたか。 2) ベトナムにおいての紙芝居研修講座は海外への最初の講座だと伺いました。ベトナム が第一番目の国となった経緯は何でしょうか。 3) 10 年間でどのような実績を残されたのでしょうか。その中で、一番大切な出来事は何 だとお思いになりますか。 4) ベトナムに紙芝居を広げる活動に対して「ベトナムの紙芝居普及を支援する会」は 大きな役割を果たしていた。その会の成立の経緯および主な活動について説明して頂 けませんか。 83 5) 1995 年に「ベトナムの紙芝居普及を支援する会」を「紙芝居交流会」に改称したこと が分かりました。改称の理由と目的は何でしょうか。また、その後、会の活動方向は 以前と比べると、何か変わったことがありましたか。 6) 10 年間の活動の後、その講座と他の交流活動を中止した理由は何でしょうか。 7) ベトナム人によって作成された作品が日本でも出版されたことをご存じだと思います が、その中で、どのような作品に最も強い印象を持っていますか。その理由も教えて くださいませんか。  ブイ・ドク・リエン氏に対する質問 1) 紙芝居の交流でリエンさんは3回来日したことがあると存じておりますが、来日の目 的、経緯、また参加した活動について話していただけますか。 2) 2000 年に行われた最後の研修講座の後、ベトナムでの紙芝居出版は中止され、紙芝居 普及の活動も低下しました。当時の事情についてお話していただいてよろしいでしょ うか。 3) ベトナムにおける紙芝居普及の活動での松井のりこさんとグエン・タン・ブー氏の役 割についてどうお思いになりますか。 4) ベトナムにおける「ベトナム紙芝居協会」(「ベトナム紙芝居クラブ」)の成立、事 業等はどのようなものだったでしょうか。 5) 『象牙の櫛』と『大切なうちわ』と題した作品は日本で出版され、交流の会から高い 評価を得たと存じておりますが、その二つの作品のことについてお話を伺ってもよろ しいでしょうか。 6) 戦争を課題とした『象牙の櫛』は、ベトナム文学の名作に基づいて創作されました。 その内容、テーマを選んだ経緯を教えていただけませんか。また、その作品を通じて どんな考えをお伝えになりたかったのでしょうか。 7) 紙芝居の観客となったベトナムの子どもと、紙芝居の作者は、それぞれどのような作 品が気に入ったのでしょうか。 8) 日本の紙芝居に対して、10 年間のベトナムにおける活動はどのような意義を持ったで しょうか。つまり、ベトナムの紙芝居は日本にどのような影響を与えたとお思いにな りますか。 本論で考察した紙芝居作品の全文  『大きく大きく大きくなあれ』 84 台詞 ぶーぶー ぶーぶー ぶーぶぶーぶー。 ちっちゃな ちっちゃな ぶたが いる よ。 おおきく なりたいんだって。 みんなで 一、二の 三で「おおきく お おきく おおきくなあれ」って、いってみ て。 さあ、一、二の三。 おおきく おおきく おおきくなあれ! (さっとぬく) こんどは たまごが ひとつ。 みんなで 一、二の 三で「おおきく お おきく おおきくなあれ」って いってみ ようよ。 さあ、一、二の 三。 おおきく おおきく おおきくなあれ! (さっとぬく) うまれたのは、きょうりゅうの あかちゃ ん。 がおーん がおーん がーおん がおーん (ぬく) おおきくなった?これじゃあ まだ ちい さいね。 もっと おおきな こえで いってみよう か。 もっと もっと おおきく なるよ。 さあ、一、二の 三。 おおきく おおきく おおきくなあれ! (さっとぬく) 2. おおきくなった! ぶー ぶー ぶー ぶー (ぬく) おおきくなった! あれ? たまごが われはじめた。 なにが うまれるのかな? (「がおーん がおーん がおーん」とい いながらぬく) あれ、こんどは なにかな? ちっちゃいね。 みんなで「おおきく おおきく おおきく なあれ」って いってみようか。 一、 二の さん。 おおきく おおきく おおきくなあれ! (ぬく) ほーら、おおきくなった。 おいしい ケーキよ。 みんなで たべようね。 (子どもたちに、たべるまねをさせる) おいしかったね。ごちそうさま。 85  『象牙の櫛』 10 11 12 台詞 テュちゃんは、ベトナムの-こどもです 七年たった時、おとうさんは三日間だ テュちゃんが、やっと一歳になったころ、 け休暇がとれました。 テュちゃんのおとうさんは、いっさいにな 家のちかくにもどってくると、八歳にな ったところ、テュちゃんのおとうさんは、 ったテュちゃんがいました。おとうさん ベトナムの独立と自由のため、解放軍に は、すぐにテュちゃんだとわかりまし 参加することを 決心しました。 た。おとうさん「テュちゃん、おとうさ 「テュちゃん、元気で大きくなるんだ んだよ!」でも、テュちゃんはおとうさ よ。」 んじゃないとおもいました。 おとうさんは戦いつづけ、長い間家族のい テュちゃん「おかあさん、おかあさ るふるさとに帰ったことはありませんでし ん。」テュちゃんは助けをもとめるよう た。 にかえ家に逃げ帰りました。 (ぬく) (ぬく) 三日間の休暇の間、おとうさんはどこに おとうさんが戦いにもどる日がきまし も行かず、テュちゃんのそばにいました。 た。近所の人たちがおわかれにあつまっ でも、テュちゃんはおとうさんにずっと近 てきましたが、おとうさんは、テュちゃ づこうとしません。「どうして、テュちゃ んを抱きたいと思いつづけていました。 んはおとうさんって呼んでくれないのだろ テュちゃんは、離れたところからおとう う。」 さんをじっと見つめているだけです「じ (ぬく) ゃあ、おとうさんは行くよ。 86 (ぬく) テュちゃんがおとうさんに抱きつきまし テュちゃん「きのうの夜、 『テュち た。 ゃん、どうしておとうさんって、呼ばな テュちゃん「おとうさん、おとうさん、わ いの?』って、おばあちゃんが私にかえ たしのおとうさん行かないで!家にい きいたの。帰ってきたおとうさんの顔に て!」 は、大きなこわい傷があるよ。 おとうさんは、テュちゃんを抱きしめまし 家にずっとあった写真のおとうさんの顔 た。テュちゃんよる「おとうさん、きのう には、傷がないよ。だから、傷のあるお の夜おばあちゃんが…。」テュちゃんは、 とうさんは、私のおとうさんじゃないっ 話しはじめました。 て、私、思っていたの。そういったら、 (ぬく) おばあちゃんが、おとうさんの傷がどう してできたのかを話してくれたの。 『おとうさんはね、ベトナムにかってに 攻めこんできひどいことをしている、ア メリカと戦っているんだよ。アメリカを 追いだして、テュちゃんたちが幸せに暮 らせるベトナムにしようとしているんだ よ。おとうさんの傷はね、アメリカと戦 っている時にできた傷なんだよ。』っ て。 私、わかったの。」 (ぬく) テュちゃん「おとうさん、きっと帰っ おとうさんは、戦いのあいまに象牙を てきて。」 さがしました。ある日、アメリカの爆弾 おとうさん「おとうさんは、かならずテュ にあたって死んだ象を見つけました。そ ちゃんのところに帰ってくるよ。おみやげ の象牙で、おとうさんは、櫛を作りはじ をもって、帰ってくるよ。どんなおみやげ めました。ちいさなのこぎりで、心をこ がいいのかな。」 め何日もかけて作りました。できあがっ テュちゃん「私、象牙の櫛がほしいの。お た櫛に、おとうさんは「かわいい娘のテ とうさん、おねがい。おみやげに、象牙の ュへ」と、字をきざみこみました。 櫛をもって、かえきっときっと帰ってきて (ぬきながら) ね。」 ーびゅーんびゅーん 87 (ぬく) だだーん 9.はげしいアメリカとの戦いのなかで、お 10 そして、さらに十年の年月。ベトナ とうさんが倒れました。ひどい傷でした。 ムの人たちは、屈することなくアメリカ おとうさんは、いつも胸に入れていた象牙 と戦いつづけました。 の櫛をとりだし、友達に差しだしました。 ある夜、おとうさんの友達は、解放軍の 「きみが生きて帰ることができたら、娘の 連絡員にであいました。若い女性でし テュへこれをわたして……」おとうさんの た。 さいごの言葉でした。 「私のおとうさんは、十年前にアメリカ (ぬく) との戦いで死にました。二年前、私たち 家族は、わたしそのことを知りました。 私は、おとうさんの志をついで、ベトナ ム解放のための解放軍にはいりました。 私の名前は、テュといいます。」 (ぬく) 11.おとうさんの友達は、十年間、ずっと 12 解放軍が出発します。アメリカ側の 大切にもっていた象牙の櫛を彼女にわたし 根拠地になっているサイゴンを解放する ました。「かわいい娘のテュへ」ときざみ ためです。先頭にたつのは、象牙の櫛を こまれた櫛を、成長したテュちゃんが、し かみ髪にさしたテュちゃんです。夜明け っかりと胸に抱きました。 の光のなかをテュちゃんが進んでいきま (ぬく) す。 ベトナムの人々がアメリカに勝利し、誇 りたかく独立と自由を勝ちとった日、一 九七五年四月三十日は、もうすぐです。 (おしまい) 88

Ngày đăng: 01/04/2021, 13:45

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