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Tỉnh lược chủ ngữ trong tiếng nhật và khảo sát tỉnh lược chủ ngữ ngôi thứ nhất trong bài luận của sinh viên trường đại học phương đông

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ハノイ国家大学 外国語大学 大学院 BÙI THỊ HOÀNG HOÀ 日本語における主語省略 及びフォンドン大学の日本語学習者の作文における 一人称主語省略についての調査 TỈNH LƯỢC CHỦ NGỮ TRONG TIẾNG NHẬT VÀ KHẢO SÁT TỈNH LƯỢC CHỦ NGỮ NGÔI THỨ NHẤT TRONG BÀI LUẬN CỦ

Trang 1

ハノイ国家大学 外国語大学 大学院

BÙI THỊ HOÀNG HOÀ

日本語における主語省略 及びフォンドン大学の日本語学習者の作文における

一人称主語省略についての調査

TỈNH LƯỢC CHỦ NGỮ TRONG TIẾNG NHẬT

VÀ KHẢO SÁT TỈNH LƯỢC CHỦ NGỮ NGÔI THỨ NHẤT TRONG BÀI LUẬN CỦA SINH VIÊN TRƯỜNG ĐẠI HỌC

PHƯƠNG ĐÔNG

修士論文

専攻科目: 日本語学 専攻番号: 60220209

ハノイ, 2015 年

Trang 2

ĐẠI HỌC QUỐC GIA HÀ NỘI TRƯỜNG ĐẠI HỌC NGOẠI NGỮ

KHOA SAU ĐẠI HỌC

BÙI THỊ HOÀNG HOÀ

日本語における主語省略 及びフォンドン大学の日本語学習者の作文における

一人称主語省略についての調査

TỈNH LƯỢC CHỦ NGỮ TRONG TIẾNG NHẬT

VÀ KHẢO SÁT TỈNH LƯỢC CHỦ NGỮ NGÔI THỨ NHẤT TRONG BÀI LUẬN CỦA SINH VIÊN TRƯỜNG ĐẠI HỌC

Trang 3

ここに提出する本論文は、私自身の研究である。引用・参考文献等に明記している場合を除いて、私の知る限り、本論文中には、私以外の人物の既存刊行物もしくは著作物は含まれてはおらず、また、本論文の主要な部分を、他の大学院等に学位等請求のために用いたことはないことを誓う。

ハノイ、2015年

Trang 4

本研究を行うにあたり、日頃ご指導、有益なご助言やご討論をいただいたハノイ国家大学外国語大学東洋言語・文化学部の Do Hoang Ngan 教授に心から感謝いたします。研究に経験がない私をいつも丁寧にご指導をし、暖かいご助言をしてくださったお陰で、ここまで頑張ってこられました。改めて厚くお礼申し上げます。また、人文社会科学大学、外国語大学の東洋言語と文化学部、ベトナム社会科学アカデミー研究所、ハノイ大学の先生方が貴重なご意見をくださったことにも心から感謝いたします。

そして、研究論文の形にすることが出来たのは、フォンドン大学の外国語学部日本語学科の先生方のご応援及び、調査のための日本語科の学生達のご協力のおかげです。

ここに名前を挙げた方の他に、数えきれない多くの方に日頃から支えて頂き、心から厚くお礼申し上げます。

Trang 5

本研究では日本語の主語省略についての概要、そして、ベトナム語における主語省略との比較を通じ類似点・相違点を明確した。フォンドン大学の一年生と二年生の作文を調査した上で、学習者が一人称主語を過多使用しまだ適切に省略していないという結果を明らかにした。誤用の要因は学習者がベトナム語母語の影響を受けていることである。しかし、よく省略できる学習者が多尐いる。教科書を考察した上で、教科書の作文が学習者の作文における一人称主語の省略かつ使用に影響を与えたが、数多くの一人称主語を使用している学習者に影響を与えないということを明らかにした。学習者の作文中の一人称主語省略の誤用と要因に基づき、いくつかの指導法を提案した。

Trang 6

表リスト

1 表1.学習者の概要 38

2 表2.一人称主語の出現別・レベル別における作文数 41

3 表3.作文中に見られる一人称主語の語別・レベル別の使用回数 43

4 表4.作文に見られる一人称主語の「私」のレベル別の総使用数と総省略数 44

5 表5.作文に使用された一人称主語の省略可能な数及び割合 45

6 表6.省略可能な数別・レベル別における作文数および作文割合 46

7 表7.作文に省略された一人称主語の「私」の省略不可能な数 50

8 表8.学習者の一人称主語「私」の使用の原因 53

9 表9.教科書と学習者の一人称主語の出現別における作文数 57

10 表10.教科書に見られる一人称主語の語別における使用数及び省略数 58

11 表11.教科書と学習者の各作文における一人称主語「私」の使用数別で見た 作文数と作文割合 59

Trang 7

目次

序論 1

1 研究の背景 1

2 研究目的 2

3 研究対象と研究範囲 3

4 研究方法 3

5 論文構成 3

6 先行研究 4

第1章 日本語の主語省略についての概要及びベトナム語の主語省略との比較 13

1.1 日本語の省略についての概要 13

1.1.1 日本語の省略の定義 13

1.1.2 日本語の省略の特徴 13

1.1.3 日本語の省略の分類 15

1.2 日本語の主語省略についての概要 18

1.2.1 日本語の主語省略の頻度 18

1.2.2 日本語の主語省略の条件 20

1.2.3 日本語の一人称主語の省略の条件 21

1.2.3.1 主観的表現による一人称主語の省略 21

1.2.3.2 授受動詞による一人称主語の省略 22

1.2.3.3 受身文による一人称主語の省略 23

1.2.3.4 敬語による一人称主語の省略 23

1.3 ベトナム語の主語省略との比較 25

1.3.1 ベトナム語の省略について 25

Trang 8

1.3.2 ベトナム語の主語省略について 25

1.3.3 ベトナム語の主語省略との比較 26

1.4 第1章のまとめ 36

第2章 フォンドン大学の日本語学習者の作文における一人称主語省略の調査 38

2.1 調査の概略 38

2.1.1 調査の目的 38

2.1.2 調査の対象 38

2.1.2.1 フォンドン大学の日本語学習者及び作文について 38

2.1.2.2 一人称主語について 38

2.1.3 調査の方法 40

2.2 調査結果と分析 40

2.2.1 一人称主語の出現がない作文と分析 41

2.2.2 一人称主語の出現がある作文と分析 43

2.2.2.1 省略可能な一人称主語「私」について 44

2.2.2.2 省略不可能な一人称主語「私」について 50

2.2.3 フォンドン大学生の作文における一人称主語の使用かつ省略の要因 52

2.3 調査結果のまとめ 54

第3章 教科書の作文における一人称主語の省略の考察及びベトナム人日本語学 習者の作文における一人称主語の省略の指導法の提案 56

3.1 教科書の作文における一人称主語の省略の考察 56

3.1.1 教科書について 56

3.1.2 結果と分析 57

3.2 ベトナム人日本語学習者のための作文における一人称主語の省略の指導法の 提案 65

3.2.1 提案1 括弧によって日本語の省略の特徴の導入 66

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3.2.2 提案2 主語省略があるベトナム語の例文の紹介 67

3.2.3 提案3 教科書の作文と学習者の作文との比較 68

3.2.4 提案4 主観的表現・授受動詞・受身文・敬語等の運用 70

3.3 第3章のまとめ 72

結論 73

1 本論の内容のまとめ 73

2 今後の課題 74

参考文献 76

調査資料 78

付録 79

Trang 10

序論

1 研究の背景

フォンドン大学では、作文という科目は日本語学科の一年生と二年生に最初の4学期(2年間)で教えられている。この科目は担当したことがないが、日本語フェスティバルやスピーチコンテストなどに参加した日本語学習者の作文を読んで、いろいろな問題点が見つかった。何のために書くかという作文の目的や、作文の構成、文体などの基本的な問題のほかに、主語としての一人称代名詞の過多使用も1つの問題である。言い換えれば、学習者が主語としての一人称代名詞

(以下は一人称主語と略称する)を省略しないという問題である。

成山(2009)は日本語学習者は省略しないで全部言うと、実は、次の問題がでてくると指摘した。

例 中級学習者の作文

「前島さんは漢字を廃止しようとしました。前島さんは漢字廃止の議を書きました。それから、1866 年に前島さんは漢字を覚えすぎますから、漢字は廃止したいと思いました。前島さんは…」

以上のように小学生が書いたような作文になってしまうという問題である。それで、全部言わないほうが簡潔であるという。

以上の例のように、多くのベトナム人学習者は日本語で学習や生活などの身近な話題の作文を書く時、一人称主語を適切に省略せず使いすぎる。一人称主語はよく使用されると、文章に人称代名詞が重なり、脈落性がなくなる。そして、読み手に読書中に不愉快な感じを与える。

日本語はベトナム語と違って、「誰が、誰に」などをあまり言葉にしない。会話だけでなく、文章にもこの現象がよく見られている。特に、一人称主語はあまり

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使用されていない。使用されなくても且つ省略されても、文の理解に支障がない。しかし、ベトナム人日本語学習者はこの一人称主語の省略に身を付けず、自然に一人称主語ばかり使用して作文を書くことが多い。これはベトナム人学習者の問題の一つであると思っている。学習者は日本語の主語省略をはじめ一人称代主語の省略について適切な知識がなければ、自然な日本語文を書けないと言える。だが、日本語の授業には、主語としての人称代名詞の使用や省略の規則がしっかり取り込まれているとは言えず、ほとんど学習者が独学するという事実である。これも日本語習得上の問題であると考えている。

現在、ベトナムでは日本語の作文における一人称主語の省略についての研究がまだ尐ない。そのため、この研究はベトナム人日本語学習者が尐しでも一人称主語を適切に省略する際に助けとなることを期待したい。

本研究では、まずフォンドン大学の日本語学科の一年生と二年生の作文における一人称主語の使用かつ省略に関する問題点を明らかにするつもりである。また、大学で使用されている教科書の作文にも一人称主語の使用かつ省略を考察する。それから、学習者の問題点に基づき、作文における一人称主語を適切に省略する指導法を提案する。

2 研究目的

本研究では以下のことを目的とする。

 日本語における主語省略についての概要及びベトナム語の主語省略との相違点・類似点を明確すること。

 フォンドン大学の一年生と二年生の作文中に一人称主語の省略かつ使用上の問題点を明らかにすること。

 教科書の作文における一人称主語の省略かつ使用は学習者の作文における一人称主語の省略の運用に影響を与えたかどうか、どのように与えたか明らか

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にすること。それから、調査・考察の結果に基づき、日本語学習者が作文における一人称主語を適切に省略できるように、指導法を提案すること。

3 研究対象と研究範囲

研究の対象は、日本語における省略、その中で主語省略を注目する。具体的には日本語における省略の特徴、分類、主語省略の条件、日本語とベトナム語の主語省略の比較である。本研究では一人称主語の省略を絞って研究し、一人称主語の省略の条件を焦点に述べる。

省略は主語省略・補語省略・述語省略・助詞省略などのいろいろな種類に分けられる。本研究の範囲は主語省略、特に一人称主語の省略である。

4 研究方法

本研究では資料分析、比較対照、調査、インタビューという方法をする。

まず、理論的面では、省略、特に主語省略に関する文献や資料を参考し、日本語における省略の特徴、分類、主語省略の条件、特に一人称主語の省略の条件をまとめ、ベトナム語の主語省略と比較する。

次は、フォンドン大学の一年生と二年生の作文や大学で使用されている教科書の作文における一人称主語を対象に、その使用と省略を調査・考察し、学習者にインタビューをし、結果を分析した後、一人称主語を適切に省略する指導法に関する提案を取り上げる。

5 論文の構成

本研究は3章から構成されている。

「序論」には研究の背景、研究目的、研究対象、研究範囲、研究方法、論文構成、先行研究を述べる。

第1章では、様々な文献及び資料を概観してから、日本語の省略について概要で、必要な情報を掲載する。次は日本語における主語省略の頻度、条件および一

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人称主語の省略の条件を取り上げ、そして、ベトナム語と日本語の主語省略を比較する。

第2章は調査に集中する。調査目的、調査対象、調査方法、調査結果の分析を述べる。まず、一年生と二年生の作文における一人称主語を対象に、使用かつ省略の問題点を調査する。調査結果をまとめ、分析する。次に、学習者にインタビューを行い、学習者の一人称主語の省略かつ使用に影響する要因を調べる。 第3章ではフォンドン大学で使用されている教科書における一人称主語の使用かつ省略を考察して、学習者の作文の一人称主語の使用かつ省略にどのように影響を与えたか検討した上で、日本語学習者が一人称主語を適切に省略できるようにいくつかの指導法を提案する。

本研究の「結論」には本論の研究結果をまとめ、今後の課題について述べる。

6 先行研究

どの言語でも省略の現象がある。この省略現象が注目を集め、多くの研究者によって議論されている。

1)省略について

ハリデー&ハッサン(1976)は、省略とは「いわずにおかれた部分」であり、指示と代用、接続と同じく、テクストの決束性を保つ重要な手段であるとしている。ハリデー&ハッサン(1976)によれば、省略のあるところには、必ず補うべき語句、あるいは「省略されている」語句があるという前提があるが、省略を可能にするのは、構造ではなく、「ある項目が省略されるのは、その構成に関わっている全ての特徴――その構造の中に具体化されている全ての有意味な選択――を表していない場合である。」とされている。また、「省略は、テクスト内での関係であり、大多数の場合、前提とされる項目、先行テクストの中に存在している。即ち、省略は普通、逆行照応的な関係である。時には、省略構造の中の前提要素

Trang 14

が外界照応的である場合もある。しかし、外界照応的な省略は、結束性とは全く無関係である。」とされている。

久野(1978)は、省略の基本原則に関する見解を述べている。「省略の根本原則」とは、「省略されるべき要素は、言語的、あるいは非言語的文脈から、復元可能(recoverable)でなければならない。」ということである。

また、久野(1978)は、次のような省略順序の提案している。「省略はより古い

(より重要度の低い)インフォメーションを表す要素から、より新しい(より重要な)インフォメーションを表す要素へと順に行う。」

ベトナム人の言語学者も省略についていろいろ議論している。ほとんどの言語学者は省略とは情報を減らすために、繰り返し要素(語彙・文法の繰り返し、いわゆる同一指示の要素)を省く手段を示している。発話連鎖には繰り返し要素が多く、つまり、前文と次々文に同一指示の要素があって、それらを省略できる。カオ・スァン・ハオ(Cao Xuan Hao)(1991)は省略によって文や総合文の脈絡性を支持し、文章中に同一指示を持つ語句の重なりを避けるためであるとしている。カオ・スァン・ハオ(1991)は「省略とは提示しなくていい語句を省くことである。言い換えれば、語句をゼロ代名詞にかえることである」と指摘している。

Trang 15

2)日本語における主題と主語の省略について

日本語には主題と主語の違いがある。詹凌峰(2004)は、日本語の主題には、主語から成る主題、目的語からなる主題、他の成分からなる主題があると述べている。本研究では、主語からなる主題も「主語」と見なす。そのため、日本語における主語と主題の省略に絞り、先行研究を再検討する。

① 三上(1969)の研究

日本語における省略に関する研究がいつ始まったのか明らかではないが、おそらくよく知られているものでは、「X ハのピリオド越え」を主張した三上(1969)である。「X ハ」がピリオドを越えて、次の文まで提題の役割を果たすと指摘する。助詞「ハ」によって明示された話題がいくつかのピリオドを越え、一連の文を一つの話題を持つひとまとまりの文章としてまとめあげる。

(2)父は茶の間へは入らなかった。〔父は〕隣の間に座った。

(2)では、前文の 「父ハ」は、次の文「隣の間に座った」まで及び、省略されている。

三上(1969)は、「前文の題目におんぶして、その一文としては題目の言表を欠くこと」を略題と呼び、「題目「X ハ」は非常に大切な成分であるが、相手にわかっていると思えば、一回一回繰り返さなくてもいいものであるし、場面の状況で了解が成立していれば、はじめから一回も言わなくてもすむことがある」と述べている。そして、略題の範囲として、「前文と前々文の題目が響き続けているとき、提示の形ではなくても前文で注意の焦点にあった単語が、自然に題目の地位にせり上がったとき、暗黙の了解が成立したとき」という三つの場合を挙げている。 三上(1969)のピリオド越え現象や略題の範囲についての指摘は、主題の省略についての研究にとってきわめて有意義であるが、同じ話題が続くからといって、いつでも省略できるわけではない。それに関しては、久野(1978)が興味深い指摘をしている。

Trang 16

② 久野(1978)の研究

久野(1978)は、省略の根本原則の他に、様々な談話上の制約といくつかの構文法的制約により、省略できるか否かが決定されるとしている。具体的には、機能主義という観点から主題の省略現象を談話法規則として明示的に整理し、同じ主題が第一文から第二文に引き継がれる時、第二文では主題を省略することができると主張する。

(3)私は議論をして、勝ったためしが無い。〔私は〕必ず負けるのである。 〔私は〕相手の確心の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるので ある。

(3)では、最初の文の主題「私ハ」は、次の文「必ず負けるのである」までだけでなく、「相手の確心の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである」まで及び、それぞれの文で省略されている。

久野(1978)は主題の省略に関わる構文を下のような「反復主題省略」、「主語を先行詞とする主題省略」、「新主題省略」、「異主題省略」という四つのパターンに分け、それぞれの適用条件について例を取り上げ、議論している。

反復主題省略:第一文と第二文の主題が同一である場合は、第二文の主題を省略できる。反復主題省略は「X ハのピリオド越え」と同じパターンであると考えられる。例文は(3)のようである。

主語を先行詞とする主題省略:「X ガ・・・。X ハ・・・。」の「X ハ」は省略できる。

(4)太郎が尋ねて来た。〔太郎ハ〕一年間会わないうちに、すっかり大人っ

ぽくなっていた。

(4)では、主格主語「太郎が」が次の文で省略されるべき主題の「太郎ハ」の先行詞である。

新主題省略:「Y ガ・・・X・・・。X ハ・・・。」という二つの文の連続があ

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る時、「X ハ」が省略できるのは、第一文も第二文も X の目から見た記述であるか、Y よりも X 寄りの視点から見た記述である場合に限られる。

(5)太郎が僕に話しかけて来た。だけど、〔僕ハ〕知らん顔をして、返事を

してやらなかった。

(5)では第一文と第二文が共に話し手「僕」の目から見た出来事の記述であるため、第一文の「僕」は第二文の主題として省略できる。

異主題省略:「Y ハ・・・X・・・。X ハ・・・。」という二つの主題文の連続がある場合、「X ハ」が省略できるのは、話者の視点が Y のそれと完全に一致し、第二文も Y の視点からの記述である場合に限られる。

(6)太郎は花子を病院に見舞った。〔花子ハ〕思ったより元気であった。 (7)太郎は病院に花子を見舞いに行かなかった。〔花子ハ〕太郎がいつ来る

かと首を長くして待っていた。

(6)では、〔花子ハ〕主題の省略が可能である。しかし、(7)の主題の省略は不可能である。その要因が「視点」である。(6)では太郎が花子に対する直接的な気持ちについて、自分の「視点」から見た記述であるが、(7)では太郎と花子が対等の位置にあり、「視点」が変わるため、省略されると、不自然になるとされる。

久野(1978)の省略についての研究は、主に視点の一貫性制約を基に行われたものである。しかし、視点の一貫性から省略表現を解釈する方法はどれほど適用可能なのか、その適用性に影響を与える要因が何なのかはまだ不明瞭である。

③ 砂川(1990)の研究

砂川(1990)は、主題の省略と非省略という現象を手がかりにして、談話を構成する際の主題の省略と、「は」による主題提示について考察している。

(1)主題の省略について

砂川(1990)は、主題の省略が許されるのは省略されたものが何を指し示てい

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るのかが読み手に理解可能である時に限られると述べ、その主題の省略を可能にする条件として、「構文的条件」を提示する。この「構文的条件」としては、省略されている主題を指し示す人物が直前の文で言語的に示されている場合は、その復元が可能となるということを指摘している。特に、それが直前の文の中で主文の主語の位置を占めている時は、復元可能性が極めて高くなる。

(8)四人が二階から降りてきたときに、万梨子が子走りに居間へ入ってきた。

〔 は〕セーターの上に急いでレインコートを羽織ってきたという感じで、彫りの深い顔には化粧気も無かった。

(9)“女も手に職をつけなければいけない”それが父の口癖だった。その教

えを忠実に守ったのは、邦子のほう。〔 は〕は大学の時に英検の一級を取った。〔 は〕ついでにガイドの資格を取り、二年ほど航空会社に勤めたが、今はフリーのガイド業通訳業を営んで、なかなか忙しい。

(8)のように省略された主題「万梨子」が直前の文の中で主文の主語の位置を占めているため、復元可能性が極めて高くなる。さらに、(9)のような、いわゆる「分裂文」で、表層では主語の位置を占めていなくても、基底で主語の位置を占めていれば、続く文でそれが省略された場合、主題の復元可能性は極めて高いと砂川(1990)はいう。それで、下線部の「邦子のほう」は再び主題として明示

Trang 19

な ぜ ( 10 ) に 二 つ 目 の 「 マ ル イ ギ ン は 」 は 省 略 し な い の だ ろ う か 。 砂 川

(1990)によると、この談話の第一文の表す内容(マルイギンがあたり一帯を歩き回ったこと)と、第二文の表す内容(マルイギンがライフル銃を見つけたこと)との間に、「時空間的なギャップ」が存在し、談話の「境界」が設定されたためであるという。砂川(1990)は、第二文が第一文の主題を維持することは困難なため、再び「は」を用いて主題を明示することを「は」の「主題の維持機能」と呼んだ。同じ主題が次の文で維持されることが困難な場合は、主題を再設定するのである。「時空間的なギャップ」のほか、砂川(1990)は、「は」の主題維持機能」が困難な場合について、「他の登場人物の介在」、「脈絡の不整合」「語り様式の変化」、「視点の変化」などを取り上げている。

談話を構成する再の主題の省略と、「は」による主題提示の機能について砂川の考察は極めて有意義である。しかし、主語の省略についてどれほど適用できるかについては更なる検討が必要である。

以上の先行研究から、日本語における省略は主題と緊密な関係にあることが分かった。しかし、主語からなる主題も「主語」と見なし、この主語を主題主語と呼ぶので、先行研究の成果を利用し、第2章の主語省略の条件として取り上げる。

3)主語としての人称代名詞の省略について

本研究では主語省略、特に一人称主語省略に注目するので、ここで人称代名詞が主語になる制限について、先行研究として野田(2004)を取り上げる。

野田(2004)は、日本語では主語が文の表面に現われないことが多いとし、それでも聞き手が間違いなく主語を推測してコミュニケーションできるのは、実際には「見えない主語」を知る手がかりがいろいろあるからだとしている。さらに、日本語では主語を明示しなくても、述語の形などから主語がわかることが多いから困ることはほとんどないとしている。

例えば、文の中では働きかけを表す「ください」が用いられているならば、そ

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の見えない主語が二人称(あなたなど)であることが分かる。「ようだ」「そうだ」など外面表現が使われた場合、その見えない主語が三人称であることが分かる。それに対して、「~たい」など内面表現が使われた場合、主語が一人称であることが分かる。

句の中では、尊敬・謙譲、授受、相互の方向など話し手と動作参与者の関係によって、見えない主語が捉えられると論じされている。尊敬表現の場合、二、三人称代名詞が主語であるが、謙譲表現の場合、一人称代名詞が主語となる。受益表現の場合「くれる/くださる」が用いられるならば、三人称代名詞がその主語であるが、「あげる・差し上げる」「もらう/いただく」が述語であるならば、一人称代名詞がその主語となる。また、方向表現では、「くる」は二、三人称代名詞、

「いく」は一人称代名詞が主語となる。

以上の研究から、人称代名詞が主語になる場合、文の中に現れないことが分かる。野田(2004)の検討を通して、どのように見えない主語を読みとるかについてはある程度明らかになったが、さらに検証すべきところもある。これはこれらの手がかりが文章にあっても、主語としての人称代名詞を省略しないのである。

4)日本語学習者の一人称主語「私」の使用について

日本語学習者の人称代名詞の使用については、これまでその使用過多が指摘されてきた。村上(1996)は、日本人の日本語の文章および会話では、一人称の主語が多く省略されるが、日本語学習者は、一人称代名詞の「私」を過多使用するという結果も報告している。

日本語の一人称代名詞はよく省略されると言われている。しかし、一般的に新しい話題が導入される時は、それが誰のことかはっきりさせるために使用される。また、一つの文においては主語になる一人称代名詞が文の成分として機能する。 曾儀婷(2004)では、人称代名詞の過剰使用の原因を調べるため、台湾の学習

者 311 名が書いた作文と台湾で使用されている教科書での人称代名詞の使用につ

Trang 21

いて調べた。その結果によると、教科書に比べ、学習者の作文の方が主語としての単数形一人称代名詞「私」の使用が多いことを明らかにしている。

以上の研究から、日本語学習者の一人称主語「私」の使用が多いことが分かる。しかし、曾儀婷(2004)は一人称代名詞の使用の面から研究されたが、本研究では主語省略、特に一人称主語省略を注目し研究することにした。そして、日本語とベトナム語の主語省略の相違点・類似点は何か、ベトナム人学習者が作文中に一人称主語の省略かつ使用上の問題点は何か、一人称主語を省略せずによく使用する原因は何かを明確したい。

Trang 22

1.1.2 日本語の省略の特徴

成山(2009)は日本語の省略の基本ポイント1は「文脈から聞き手にわかることは言わない!」と述べた。つまり、文の前後の関係や状況から聞き手にわかることは省略すると言うことである。例えば、平变文では、話し手は一人称の

「私」は言わないことが多く、質問文の場合、聞いている相手に対する二人称の

「あなた」を省略する。その時話題になり頻繁に文章に出てくる項(誰が/誰に

/何をなど)はふつう言わない。こうした省略によって、簡潔にしかも正確に伝えるように表現する。

Trang 23

* 似ている頃(誰が 誰に/何をなど)が文脈にない場合

例えば、「田中さんに会ったら、とても楽しそうだった」という文では、話の中に出てきているのは田中さんだけで他の頃はないので、「楽しそうだった」の主語である「田中さん」は省略される。

* 文脈の中でその頃を直前に言っている場合

例えば、「私の大学は東京にありとても便利だ。名門大学として有名だ。学生数も多い」のように、すぐ前の主語と同じと分かるので、省略できる。

* 話の内容に関する聞き手の知識が多い場合

説明しなくても相手がわかることは省略されやすい。逆に相手に知識が尐ない時、省略は減る。つまり、話し手と聞き手が共有している話題が多ければ、省略は増える。親しい人たちの間では、言わなくてもわかる共通の認識が多いので、省略が多くなる。

* 話している状況がくだけていて親しい人と話している場合

一般的に、家族や友人と話す会話はくだけていて省略が多く、反対に会議など正式な場での会話では省略が減る。また、話の内容も友人とする世間話などには省略が多いが、講義などの専門的な話では省略が減る。

Trang 25

(11)「これはテツヤの本?

・・・ううん、ぼくの。」

(11)では、所有詞「ぼくの」の後ろにモノ「本」が省略されている。日本語の直示詞における名詞群省略は、所有詞の場合に限って見られる。

(12)「あそこに3人の子供が遊んでいますか。

・・・はい、3人遊んでいます。」

(12)の応答では、主要部「子供」と助詞「の」が省かれ、名詞群省略が起こっている。そのため、日本語の場合は、前提される名詞群内に数詞があり、かつその数詞の後にくる語が省かれているときに限り、名詞群省略が生じていると考える。

(13)「旅をするときは、急行列車と各駅列車のどちらによく乗りますか。 ・・・もちろん各駅だね。」

(13)では類別詞の後にモノ「列車」が省略されている。日本語では類別詞とモノにおいて、名詞群省略が頻繁に見られる。

動詞群省略とは動詞群内における省略を意味する。日本語の動詞群省略は、語彙省略とオペレータ省略の2つに分けられる。オペレータは基本的には「だろう、にちがいない」などの蓋然性オペレータや「なければならない、べきだ」などの義務性オペレータや「たい、てほしい」などの意向性オペレータ、いわゆる助動詞のことを指す。日本語では蓋然性オペレータがあるとき、その蓋然性オペレータが省ける、すなわち「オペレータ省略」することができる。また、蓋然性オペレータを残して、語彙動詞が省ける、すなわち「語彙省略」することができる。 次の例を見てみよう。

(14) トモコは、立川に帰ってしまったにちがいないでしょうか。

(14.1) ああ、帰ってしまった。

(14.2) ああ、ちがいないでしょう。

Trang 26

(14.3) ああ、ちがいないね。

(14.4) ああ、でしょうね。

(14)は完全の文であるが、(14.1)は「にちがいないでしょう」という蓋然性オペレータが省かれているので、「オペレータ省略」となる。(14.2)から(14.4)は蓋然性オペレータを残して、語彙動詞「帰ってしまった」が省かれて「語彙省略」となる。

2)益岡・田窪(1992)の分類

日本語における省略は、益岡・田窪(1992)の文法書などでも言われているように「文脈から予測できたり、一度話題になった要素は省略されることが多い。省略される要素は、主語、補足語、述語、助詞、主節、等、非常に多岐にわたる。」と考えられている。

益岡・田窪(1992)は塚田(2001)のように、詳しく省略せず、ただ省略の分類と例文を短くまとめる。次のようである。

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(20)「この家は高いだろうね。

・・・だろうね。」

以上の研究から、学者によって省略の分類はかなり違うことがわかる。筆者にとって後者の分類はより簡単でわかりやすいと思う。いくつかの分類を取って、自分の浅い知識で自分の分類を試してみる。それは主語省略(主題主語を含む)、補足語の省略、述語の省略、助詞の省略である。その中で主語省略は以下の例で補足語の省略、助詞の省略は益岡・田窪(1992)と同じである。

(21)「あした、行きますか。

・・・ええ、もちろん行きますよ。」

しかし、フォンドン大学の日本語学習者の省略における問題点は主に主語省略を焦点に当てはめるしかないので、次の節に主語省略に注目していきたい。

1.2 日本語の主語省略についての概要

1.2.1 日本語の主語省略の頻度

成山(2009)は、日本語は主語が頻繁に省略される。日本人にとって当たり前でも、日本語学習者は戸惑うとしている。それでは、主語は実際にどのぐらいの頻度で省略されているのだろうか。

参考1 主語の省略頻度

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が日本語では省略されたのに対し、英語の省略は 15.4%とたいへん尐ないことが報告されている。

ちなみに、盛文志氏による『雪国』四十文前後調査によれば、日本語原文では主語が表示されているのは 55.8%、それに対してサイデンステッカー氏による英語訳では 98.0%である。

成山(2009:21-22)の会話例を見てみよう。日本語は全てを語らず文の最後まで言わない方が丁寧になる。下の客と亭主の間でよく聞かれる会話にはたくさんの省略があるが、意味はわかるだろうか。日本のテレビドラマの脚本を分析した研究(Niyekawa,1984)によると、3分の2の文は「会話1」のように、最後まで言わない文だという。

もし省略を補ってこの会話を言うと、会話2のようになる。しかし、このように省略なしで会話すると、押し付けがましく失礼に聞こえる。

「会話2」

「客 :私はもう長くここにおじゃましておりまして/次の予定があり、 そろそろ時間ですので、私はここを失礼して帰ります。 亭主:今、私があなたにお茶を入れますから、あなたはもう尐しここ にいませんか。

客 :私はすぐここを失礼しますから、あなたは私のためにお茶を入

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れないでください。」

次は教科書における会話例も見てみよう。これは『みんなの日本語』初級 I 本冊の第1課に初めの練習に現れてきた会話例である。

(23)「初めまして。〔私は〕ワシントンです。〔私は〕アメリカから来ました。

うちはニューヨークです。どうぞよろしく。」

『みんなの日本語初級 I 初級で読めるトピック25』ウォーミングアップ1 要すると、日本語では会話だけでなく文章も主語がよく省略されるということが分かった。

1.2.2 日本語の主語省略の条件

序論の先行研究に基づき、日本語における主語省略の条件として、以下の二つを取り上げよう。

一つの条件は三上(1969)の議論に従うことにする。三上(1969)は、「題目

「X ハ」は非常に大切な成分であるが、相手にわかっていると思えば、一回一回繰り返さなくてもいいものであるし、場面の状況で了解が成立していれば、はじめから一回も言わなくてもすむことがある」と述べている。つまり、場面の状況

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が明確であれば、はじめから主題主語を一回も使用しなくてもいい、即ち完全に省略してもいいという条件である。したがって、省略された要素が状況知識を用いて推論を行う推意によって復元される。

もう一つの条件は三上(1969)の「ハのピリオド越え」である。三上(1969)は「「X ハ」がピリオドを越えて、次々の文まで及んいく」という「ハ」のピリオド越え現象を指摘してる。これは久野(1978)の「反復主題省略」及び成山

(2009)の省略のインスタント方法のルール1と同じパターンである。成山

(2009)によると、トピック(何ついて話か)「X は」を主語(主題主語)にして、それを中心に文を作り、文をつなげる。同じトピック「X」について言っている時は、それを省略するという。

1.2.3 日本語の一人称主語の省略の条件

日本語において、文脈とは関係なく、文そのものの表現類型や述語によって、主語の人称が指定され、さらに省略されることが頻繁に見られる。

野田(2004)は、日本語では主語が文の表面に現れないことが多いとし、それでも聞き手が間違いなく主語を推測してコミュニケーションできるのは、実際には「見えない主語」を知る手がかりがいろいろあるからだとしている。さらに、日本語では主語を明示しなくても、述語の形などから主語がわかることが多いか

ら困ることはほとんどないとしている。

1.2.3.1 主観的表現による一人称主語の省略

日本語では、思考や感情のような話し手の内面を表す文の主語に人称制限がかかることはよく知られている。「たい」の他、「思う・考える・気がする・感じがする」などの動詞、「う・よう」などの助動詞、「嬉しい・悲しい・ほしい・怖い」など一部の形容詞のような、話し手の感情、推量など内面感情、感覚を表す語彙が、通例、思考主または発話主の思考・発話時点での心の状態の直接表現に

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なり、一人称主語が暗示されると考えられる。このような場合には、主語を明示しなくても明らかに話し手の思考、感情、感覚、心理状態、意志、願望などを表すことができるのである。

(24)その感想をぜひ聞きたいのです。

『ニューアプローチ中級日本語』第5課『タイムカプセル』 (25)ところが、最近笑いには実は不思議な力が隠されていることが分か

り、これまでの考え方を変えなければいけないと思った。

『ニューアプローチ中級日本語』第14課『笑いの効果』

(24)では、主観的願望を表す「たい」が、(25)では主観的な思考を表す「思う」が述語であるため、それぞれ一人称主語が省略されても意味が伝達できる。 個人的な意志を表すため、その主語が一人称代名詞に限られ、さらに省略されている。

1.2.3.2 授受動詞による一人称主語の省略

日本語では、授受関係を表す動詞は「あげる/やる/さしあげる」、「もらう/いただく」、「くれる/くださる」のように分化され、方向性を持つということになっている。その方向性によって、「誰が誰に何をしたか」が明らかであるため、主語だけでなく、目的語さえも省略できる。

(26)カメもちょっと悲しそうでした。ふるさとに戻してあげたいですね。 『みんなの日本語初級 II で読めるトピック25』第43課『お元気ですか』 (27)きのう、友達にピアノのコンサートのチケットをもらいました。

『みんなの日本語初級 I 漢字英語版』第7課『楽しい土曜日』 (28)占いが好きなのは何か目に見えない力に人生が左右されているとい

う考え方が強いからだと説明してくれた。

『ニューアプローチ中級日本語』第14課『笑いの効果』

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(26)の「~てあげたい」からは書き手の「私」がカメに、(27)の「もらいました」からは「友達」が話し手「私」にというように登場人物の授受関係が明らかであるので、一人称主語が省略されている。(28)の「~てくれた」からは一人称主語と一人称目的語が省略される。

1.2.3.3 受身表現による一人称主語の省略

受身表現における一人称主語の省略もよく見られる。

(29)先日もいい加減に答えたばかりに、子供には「本当はわからないん

じゃないの」と言われるし、妻からは「子供の教育にもっと関心を持ってよ」と怒られるし、ひどい目にあってしまった。

『ニューアプローチ中級日本語』第19課『素朴な疑問』 例文のように、受身文についても主語がなくても成り立つということがわかる。日本語では、「人」と「人以外のもの」を一文に取り込むとき、「人」のほうが、主語に選ばれる傾向があると述べました。森田(2002)は、日本語では、基本はあくまでも自分が基点で、自分の周りにある世界の物事や現象といったものを

「自己の視点」で把握するのだという。これに関して、安藤・小川(2001)はこのように述べている。「この一つの文に人が2人現れるとき、主語は次のような順で選ばれやすい。一人称(私)>二人称(あなた)>三人称。こうして主語が選ばれた結果、受身文が使われることがあるとしている。」という。特に文脈がなければ、話し手の損害を表すため、一人称主語であることが明らかである。動作の受け手は話し手である「私」であることが明らかである。

1.2.3.4 敬語表現における一人称主語の省略

文表現によって一人称主語が暗示されるのは敬語表現の場合もある。そもそも日本語における敬語は相手に対する敬意・思いやり・丁寧に対する考慮を払うときに使用されることばであり、それによって相手との関係を位置付け、誰のこと

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を指しているのか明白にさせる。

三輪(2000)は日本語では適当な敬語表現で人称代名詞を回避できると指摘した。相手のことを言及するときに尊敬語を使い、自分のことを言及するときに謙

譲 語 を 使 う こ と に よ っ て 、 人 称 代 名 詞 の 使 用 を 避 け る こ と が で き る 。 成 山

(2009)によると、「日本語では敬語を使うことにより、上下関係から誰が/誰になどを言わなくても容易に分かるので、主語や目的語が省略される」と指摘している。

日本語の敬語は従来から大体以下のような三種類に分けられている。

尊敬語 相手(その行為、持ち物などを含む)に対する敬意を表す語 謙譲語 自分(その行為、持ち物などを含む)を卑下している語

以上は文構成によって一人称主語が確定できるため省略が可能な4つの条件を紹介してきた。しかし、文中にこれらの表現や述語があっても、いつでも一人称主語が省略されるわけがない。省略は話し手、書き手の意図でうまく情報を伝えるために行う発話のストラテジーの一つであるので、省略されるか省略されないかは話者の自由となる。具体的には、甲斐沢(1992)は、「~と思う」と一人称代名詞の現れ方について、平变文かつ主語が一人称代名詞の場合は、主語がないの

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(2002)は、「私は~」の日本語は「特別の状況」での発話であって、普通は自分を対象化して文面に提示することをしない。「特別の状況」というのは自分を外の世界の一員として対象化する、つまり、他者との「対比」や、特に自分を何らか

の意味で「取り立てる」場合である。

1.3 ベトナム語の主語省略についての概要

1.3.1 ベトナム語の省略について

どの言語にでも省略の現象がある。ベトナム語は例外ではない。ベトナムでは省略についての様々な定義がある。例えば、レ・ドゥック・チョン( Le Duc Trong)(1993)の言語学述語説明の辞書には、省略は場面や状況によって元に復元できる発話の一部や一要素を省くということが書いてある。ヂェップ・クァン・バン(Diep Quang Ban)(1998)もこのように省略を定義した。「省略は文中に表出するはずだった文の一部がある理由で落とされても、この文を理解するのに影響を及ぼさない」ということである。フィン・コン・ミン・フン(Huynh Cong Minh Hung)(1998)は、「省略はゼロ形で代用法である。省略の語義機能は文脈上の構成や語義によって、内容は前文の内容によって指摘される」と述べている。ファン・ヴァン・ティン(Pham Van Tinh)(1999)によると、文章中の省略法は文と文の間に行われ、確定した文脈における文と文の関係によって読み手が理解できる要素を略してはぶくことである(必要十分な文脈)という。

V.I.Lenin は頭がいい人は聞き手がわかっていることを言わないと語った。発話連鎖には繰り返し要素が多く、つまり、前文と次々文に同一指示の要素があって、それらを省略できる。省略されるところは主語、述語、目的語等である。

1.3.2 ベトナム語の主語省略について

ベトナム語における省略の一種類として主語省略についての先行研究もある。

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ホアン・チョン・フィエン(Hoang Trong Phien)(1980)は省略文とは空主語の文あるいはゼロ主語がある文だとしている。本研究では、主語省略に関するグェン・トォン・フン(Nguyen Thuong Hung)(1992)の研究に従うことにした。 グェン・トォン・フン(1992) は主語省略についてこのように指摘した。 「Tỉnh lược là bỏ một ngữ đoạn mà sự có mặt trong câu không cần thiết để tránh lặp lại các yếu tố cùng một sở chỉ (nghĩa là tránh sự nhắc lại một từ hay một ngữ đã được nói đến trước đó trong câu), và do sự lược sở chỉ này mà tập trung được sự chú ý của người đọc hay người nghe vào thông báo mới Trong hoạt động ngôn từ, chủ ngữ là thành phần dễ bị tỉnh lược trong câu Chủ ngữ trong các kiểu câu tỉnh lược không hiện diện nhưng có thể xác định được qua hoàn cảnh của câu Tỉnh lược đưa đến các hệ quả: chủ ngữ hiểu ngầm, chủ ngữ zê-rô và chủ ngữ ẩn.」

日本語に翻訳したら、次のようになる。「省略というのは同一指示の要素を繰り返さないように、文にこのいらない詞句を省くということである(先行文に出現した語や句の繰り返しを避けるという意味である)。この省略のため、読み手や聞き手に新しい情報を注目させる。言語活動には、主語は文中に省略されやすい部分である。出現しない主語は各省略文に、文の背景や文脈から指摘される。省略は暗黙の主語、ゼロ主語、暗示する主語といった主語の種類を及ぼす。」

1.3.3 ベトナム語の主語省略との比較

グェン・トォン・フン(1992)の研究から暗黙の主語、ゼロ主語、暗示する主語という3種類の主語が分かった。このベトナム語と英語における主語省略の比較対照に基づいて、ベトナム語の主語省略と日本語の主語省略をある程度比較してみよう。ベトナム語の例文はグェン・トォン・フンの研究に出てきた例文をそのまま使い、日本語の例文はフォンドン大学で使用されている教科書の文章から取り出す。

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1)暗黙の主語について

暗黙の主語がある文、いわゆる「主語なし文」には省略された主語は文脈やコミュニケーションの場面、コンテクストから分かるので、元に復元できる。

例 Hoa thơm mơ mãi vườn tiên giới,

Chuốc mãi men say rượu ái tình

(Nguyễn Bính)

「夢を見る」(mơ)、「 飲む」(chuốc)の主語は文の中に表出していないが、筆者のことだと分かる。

上のベトナム語の例文と同様に、次の日本語の文章から主語省略の現象を見てみよう。

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かれる手も自分のことを聞いていることが分かる。この例文から場面に出てきた人物について話していると読み手が分かる。

日本語の会話でもそのような文がある。

例 遅くなってごめん。

もう食べた?

これらの例文には成山(2009)の日本語の省略の基本ポイント1に沿って、平变文では話し手は一人称の「私」が、質問文では聞いている相手に対する二人称の「あなた」が省略された。

② 主語は筆者に当たる

多くの文脈には、筆者は自分の意見、感想、批評、あるいは行動を取り上げて主語を使わなくても、読み手はそれらの行為の主体は筆者であることがわかる。多くの場合は、筆者は人称代名詞(私)を使いたがらわず、主語を省く。(一人称代名詞(私)を使うと、悪い印象を引いたり、謙譲しなかったりするかもしれない)。

例 Hai tay ôm lá vào lòng,

Than ôi, chiếc lá cuối cùng là đây !

例 「先週の日曜日、近くの図書館へ行きました。辞書で日本語のことば

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の意味を調べました。2時間かかりました。それから、柔道の本を読みました。柔道の本は絵や写真がたくさんあってよくわかりました。来月から学校で柔道を習います。尐し疲れましたから、図書館の横の喫茶店でコーヒーを飲みました。それから、また、図書館へ行って、ビデオで映画を見ました。図書館で映画を見ることができますから、とても便利です。でも、新しい映画はありません。図書館を出るとき、柔道の本を借りました。辞書とビデオは借りることができませんでした。早く日本語の辞書を買わなければなりません。お金があったら、電子辞書が欲しいです。小さくて便利ですから。」

『みんなの日本語初級 II 漢字英語版』第26課『日曜日の図書館』 以上の例では連鎖文における動作の主体は筆者であるので、はじめから主語が省略される。

日記では動作の主体は筆者であるならば、主語は普通省略される。

例 Còn tối như bưng đã phải đi,

Đường đi khúc khuỷu lại gồ ghề,

Trượt chân nhỡ bước sa vào hố,

May nhảy ra ngoài, suýt nữa nguy!

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ああ、疲れた・・・。東京へ来て、1週間過ぎた。新しい工場で働いて、今日で3日目。生活も、仕事も、全然違うから、大変だ。早く慣れなければならない。中略」

『みんなの日本語初級 I 漢字英語版』第36課『若子さんの日記』 ③ 主語は談話に出てきた人物

このような場合は、主語はコンテクストの先行文に一回提示したから、次々の文には明示しなくてもいい。

例 Anh không xứng là biển xanh,

Nhưng cũng xin làm bể biếc

20歳になったとき、国の政治の仕事を始めました。そしてお寺を造ったり、日本人を中国に送ったりしました。中国から漢字や政治のし方や

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町の造り方などを習いました。本も書きました。(中略)」

『みんなの日本語初級 I 本冊』第23課『聖徳太子』 「聞く、始める、造る、送る、習う、書く」といった行動の主語は聖徳太子であり、文頭に一回だけ明示してきた。三上(1969)の「ハのピリオド越え」で最初の文に明示した「聖徳太子ハ」は最後の文まで及び省略されている。

④ 主語は一般的なものである

この主語は概略の意味を持つ文、特に成語やことわざなどによく見られる。

例 Trèo cao, ngã đau 高く上れば、痛く転ぶ

Đi đêm lắm có ngày gặp ma 夜ばかり行けば幽霊に会える

日本語のことわざにもこのような主語はよく省略される。

例 急がば回れ

ことわざは教訓・真理などを巧みに言い表し、古くから世間の人々に知られてきた短い言葉である。知られてもらうのが特定の人ではなく世間の人々なので、主語が必要なく省略される。

例 急げ!

やめろ!

⑥ 主語は~ことができる、~べきだ、~ほうがいい、~なければならないなどの述語を含める文にある。

Ngày đăng: 09/03/2020, 19:09

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