So sánh ảnh hưởng của đạo thiên chúa tới nhật bản và việt nam nghiên cứu trọng tâm ảnh hưởng tới chữ viết

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So sánh ảnh hưởng của đạo thiên chúa tới nhật bản và việt nam nghiên cứu trọng tâm ảnh hưởng tới chữ viết

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ĐẠI HỌC QUỐC GIA HÀ NỘI TRƯỜNG ĐẠI HỌC NGOẠI NGỮ KHOA NGƠN NGỮ VÀ VĂN HĨA PHƯƠNG ĐƠNG KHỐ LUẬN TỐT NGHIỆP SO SÁNH ẢNH HƯỞNG CỦA ĐẠO THIÊN CHÚA TỚI NHẬT BẢN VÀ VIỆT NAM NGHIÊN CỨU TRỌNG TÂM ẢNH HƯỞNG TỚI CHỮ VIẾT GIÁO VIÊN HƯỚNG DẪN: TRỊNH THỊ NGỌC LAN SINH VIÊN : NGUYỄN THỊ MINH NGUYỆT KHÓA : K42 – 2008 HÀ NỘI – NĂM 2012 ハノイ国家大学 外国語大学 東洋言語文化学部 卒業論文 キリスト教の影響日越比較研究 ―文字への影響に中心― 指導教員:TRINH THI NGOC LAN 学生 : NGUYEN THI MINH NGUYET クラス :K42 08J5 ハノイ 2012 年 月 日 誓約書 本稿は自分の知識に基づき書かれ、参考資料、推論基礎以外、コミュニ ケーションメディアに投稿、揚載しておらず、未公表の論文であることに 誓約する。それに、投稿に際して、筆頭研究者が了解していることを誓約 する。 謝辞 2011 年の 月に、父親が亡くなって以来、多数くの困ったことがあ り、論文を止めろうと思ったこともあるが、いつも助け、励ましてくださ った母親に厚く感謝の意を申し上げたいと思います。 さらに、本論文を完成するに際し、日頃からご丁寧で、ご親切な指導、 ご支援をいただいた Trinh Thi Ngoc Lan 先生に厚くお礼を申し上げたいと思 います。長い間、本当にいろいろ大変お世話になりました。 そして、私が悲しい時、さびしい時にいつもお世話になり、心強く支 えてくださった Nguyen Ngoc Tuan さんを心より深い感謝いたします。 2012 年 月 日 はじめに 外国語学習者にとって、言語のみならず、その国の国民生活精神、習 慣、ある社会問題に対する考え方も理解するのが必要だと思われる。現在 ハノイ国家大学外国語大学の四年生である筆者は、大学で日本語の文法だ けではなく、文化文明·文学歴史大学·地位学·などの科目を習っている。その 科目の中で、特に文化文明は面白いと考えられる。その科目を通じて日本 人の生活習慣·死生観·労働意識·教育制度を教えられた。勉強している過程に おいて宗教に興味を持ち、日本の宗教について調べたものである。 日本における三大教は神道、仏教、キリスト教だと言われている。 元々日本固有の宗教である神道及び六世紀に日本に伝えられ、長い間の時 間で発展してきた仏教に比べ、ヨーロッパの文化から深く影響を受け、新 しく伝教されたキリスト教の信徒は少ないわけである。 文部科学省の宗教統計調査により、日本国内で神道の信徒数は約 億 700 万人、仏教の場合は約 9800 万人であり、一方、キリスト教の信徒数は 公式数としては約 300 万人程度であり、人口比では 1% しか占めないと書か れている。 しかしながら、日本に伝教された、キリスト教はさまざまな特色な影 響を与えたと言えるであろう。建築や文学や音楽などの文化及び日本人の 生活だけではなく、日本の文字にも影響を与えた。 本論の目的は日本のローマ字及びベトナムの国語字を中心にし、日本 およびベトナムに伝教した際に、キリスト教は日越の文字にどんな影響を 与えているか詳しく述べたい。 国際比較について、日越両国の社会・経済・文化等がかなり違うこと は十分に了解している。しかしながら、16 世紀にベトナムに伝教されたキ リスト教も日本と同様にベトナムの文字に大きく影響を与えた。その点で は両国は歴史的・文化的背景が共通しており、その古い歴史から前提にし て比較検討を行っていきたい。 本論文は 章構成で成り立っている。 第一章は研究テーマの目的・対象・方法及びキリスト教概念等の全体 的フレームワークについて、とくにキリスト教の教理・教義について検討 している。 第二章及び第三章は世界及び日本におけるキリスト教の発展の歴史を 述べ、影響を分析したいと思われる。 また、第四章ではベトナムにおけるキリスト教の発展述べ、ベトナム の各分野への影響を分析している。 第五章では教育への影響、特に中心にし、キリスト教による日本のロ ーマ字及びベトナムの国語字の生み出されたことの目的・背景、さらに、 両国の各分野への影響を比較検討している。 最後に以上の 章の比較研究の結果をまとめ、今後の課題について述 べている。 はじめに 第一章 研究テーマへのフレームワーク 第一節 研究テーマの目的.対象.方法 1. 研究の目的 2.研究の対象 10 3.研究の方法 10 第二節 キリスト教の概念・教義・教理 10 1. キリスト教の定義 10 2. キリスト教諸教派 11 3.キリスト教の教義・教理 12 第二章 キリスト教の発展歴史及び各分野への影響 16 第一節 キリスト教の発展歴史 16 1. キリスト教成立 16 2. キリスト教の発展歴史 17 3.現代におけるキリスト教の動向 18 第二節 世界におけるキリスト教の影響 19 1. 建築への影響 19 2.美術への影響 20 3. 音楽への影響 22 4.文学への影響 25 5. 哲学への影響 26 6. 科学への影響 28 7.キリスト教に基づくとされている習俗 31 第三章 日本におけるキリスト教 36 第一節 日本におけるキリスト教の発展歴史 36 1.第一期 キリスト教の伝来から鎖国·禁教令のと迫害期まで(1549 年から 1639 年 まで) 36 2.第二期 プロテスタント宣教も始まる(1867 年から 1945 年まで) 39 第三期 初めて信教の自由が得られた時代(1945 年から 2000 年まで) 40 第二節 日本の各分野へのキリスト教の影響 43 1.日本建築への影響 43 2.日本文学への影響 45 3.日本の教育への影響 45 4.日本人の生活文化への影響 49 第四章 ベトナムにおけるキリスト教 51 第一節 ベトナムにおけるキリスト教の発展歴史 51 第二節 ベトナムにおけるキリスト教の影響 54 1.キリスト教はベトナム及び世界との文化交流に貢献した事 54 ベトナムの国語字を作り出した事 55 3.キリスト教がベトナムの文化を豊かにした事 56 第五章 日越のキリスト教により作り出された文字の影響分析 58 第一節 日本のローマ字の影響 58 第二節 ベトナムの国語字の影響 60 1.政治の分野への貢献 61 2.教育への貢献 62 3.文学発展への貢献 63 第三節 つのキリスト教により生み出された文字の日越比較 64 1. 共通点 64 2.類似点 66 終わりに 68 第一節 結論 68 第二節 今後の課題 69 謝辞 70 参考文献 71 第一章 第一節 研究テーマへのフレームワーク 研究テーマの目的.対象.方法 研究の目的 16 世紀に日本に伝えられたキリスト教は神道及び仏教に比べると信 徒数は少ない。しかしながら、キリスト教は少なくとも日本に積極的に変 化させてきた。例としては、日本の建築や文学や日本人の生活習慣などに 影響を与えた。なぜかと言うと、宗教が来たことと共に外来文化も入り、 日本の文化等に影響を与えたからである。 伝教のため、宣教師が日本語を表記するのに、ひらがな及びカタカナ 以外の他の文字を作り出した。それは現在よく使われているローマ字であ る。それにより、外来宗教だけではなく、欧米からの文化がスムーズに日 本に入ったわけである。外来文化の影響を受け、教育のみならず、美術、 建築、さまざまな社会問題についての国民観念も積極的に変化してきた。 キリスト教が日本を変わらせたと言えるだろう。 さらに、日本と同じく、ベトナムの場合も、16 世紀にキリスト教を 伝えるためやって来た外国からの伝教師もベトナム人の発音に基づき、表 記した文字を作り出した。現在、その文字はベトナムの国語字だと言いわ れている。両国は歴史・地位・政治などが違いが、ある面では、キリスト 教の伝教のため、ローマ字及びベトナムの国語字を生み出したことが両国 の共通点だと思われる。個人的な意見であるが、この点が面白いと考えら れる。 このように、本論の目的は日越両国の各分野への文字を中心にし、特 にローマ字・ベトナムの国語字の作られたこと、そして、両国に伝教を伝 えるため、キリスト教は両国の各分野へどんな影響を与えているか詳しく 述べたい。 研究の対象 世界におけるキリスト教の発展歴史を述べ、文学・建築・教育などの 日本の各分野へ、その中、ローマ字の作り出したことを中心に日本への影 響を分析する。その中、キリスト教と日本のローマ字を生み出すこととの 関係を検討する。 さらに、ベトナムにおけるキリスト教及びベトナムの国語字が作られ たこととの関連を検討する。その上、日本のローマ字及びベトナムの国語 字の作られた原因及び価値観について明確したい。 研究の方法 研究は日本の発展におけるローマ字の地位・役割関係の分析を中心と して、さらにベトナムのアルファベットの作られた背景・原因も分析し、 日本のと比較する。関連する文献や資料を集め、その問題に関する統計資 料などを基にし、歴史的な生み出し、発展することについて考察する。 第二節 キリスト教の概念・教義・教理 1. キリスト教の定義 『宗教学辞典』により、キリスト教( ギリシア語: Χριστιανισμός, ラ テン語: Religio Christiana, 英語: Christianity)とは、ナザレのイエスを救世主 10 第五章 日越のキリスト教により作り出された文字の影響分析 以上述べた第 章及び第 章は日本・ベトナムにおけるキリスト教の 発展歴史及びキリスト教の両国の文学・住民の生活習慣・教育などの各分 野への影響について述べた。第 章及び第 章から分かるように、日越両 国の社会・経済・文化等がかなり違うが、16 世紀であったほぼ同じ時期に キリスト教が日本だけではなく、ベトナムにも着き、宗教を伝えたことと ともに、ベトナムに影響を与えた。 日越に与えたキリスト教の影響の中で、共通したのが外国人の宣教師 たちが新しい文字を作り出したことである。本章は日越の文字の影響を比 較したいと思われる。なぜかと言うと、キリスト教を伝えていた過程には 外国の宣教師たちにとって、両国の言語の差が多きな問題であったと考え られるからである。日本語を表記するローマ字及びベトナム語を表記する 国語字がなければ、伝教がは現地の住民にスムーズに行われていなかった と思われている。それにより、伝教に文字は非常に大切な物であり、さら に、両国の各分野の発展にも一定のある貢献を果たしたと考えられる。以 下、伝教への影響の以外、日本及びベトナムの新しい文字の影響を次々に 述べ、2 つの文字の作り出された目的・背景及び両国の各分野への影響を明 らかにしたいと思われる。 第一節 日本のローマ字の影響 ポルトガルの宣教師が日本に着く前に、日本の主な文字として存在し、 使われていたのがびひらがな、カタカナ及び漢字である。当時、日本人は 神道・仏教・中国の孔子 112 の思想を受けていた儒教を信じたから、宣教師 孔子は紀元前 551 年 月 28 日‐紀元前 479 年 月 11 日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学 者。儒家の始祖である。 112 58 たちが中国から日本に入った漢字及びカナを使わずに、日本人の発音を基 づき、ラテンの字を使い、日本語を表記した。その文字は現在、ローマ字 と呼ばれている113。宣教師たちのローマ字を作り出した最初目的はキリス ト教の伝教のためであった。つまり、外国人宣教師によるキリスト教の布 教活動により日本にローマ字が導入された。伝教のため、宣教師がローマ 字を作り出したが、ローマ字の役割は伝教のためではなく、日本の各分野 にも役立つ物である。 現在、英語は世界の主な言語として、よく使われるから、日本の学校 では、学生たちは小学校の時から、英語を勉強しいる。しかしながら、漢 字を多数く持つ日本語の特徴で、英語をよく出来るように、ローマ字を勉 強する事が必要だと考えるようになっている。それにより、日本の小学校 では、平仮名・カタカタ・簡単な漢字だけではなく、学生たちは早くロー マ字を勉強させられる。日本人がローマ字を学習するのは、英語を学習す るためである。それゆえ、割り算ができないと社会に出てから困るのと同 じで、ローマ字ができない学生にとって、社会に出てから非常に困る114。 さらに、英語だけではなく、コンピュータも現在の生活に無ければな れないものになってきた。コンピュータの使い方の勉強の一緒に、ローマ 字を勉強する必要がある。原因としてはカナ及び漢字である日本語の文字 を扱えないコンピュータ環境などで日本語を表記するローマ字を用いるか らである。なぜかと言うと、日本におけるコンピュータの入力は日本語入 力システムに限定されず外国語の入力方法もある。それゆえ、外国語の場 合は英字キー入力から外国語文字に変換するため、ヘボン式・日本式など のローマ字の表記法を使う事が必要である。 『国語シリーズ No.23 ローマ字問題資料集 第 集』1955 年(昭和 30 年)3 月 30 日、p.175 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6264422.html 113 114 59 日本人の生活に、カナ・漢字と同様に、ローマ字も一定のある貢献を 果たした。例えば、旅券の氏名記載・道路標識・駅名標のことに用いられ る。それは、よく漢字で書かれる日本人の名前、地名、社名を間違えるが 傾向がある外国人たちにとって、役立つだと言えるであろう。 このように、ローマ字は日本の教育に一定のある貢献を果たすと思わ れる。そして、ある面では、キリスト教が間接的に日本の教育に影響を与 えたと考えられる。 第二節 ベトナムの国語字の影響 16 世紀に外国からのキリスト教の宣教師たち商人と一緒にベトナム に着いた。日本と同様に、宣教師が来る前に、ベトナムでは公式な書き言 葉として、20 世紀にいたるまで用いられた漢字、そして漢字語語彙以外の ベトナム固有の語を表記するための文字としてチュノム 115 であった。チュ ノムは 13 世紀に発明されて以降知識人の間などで長い年使用されてきたが、 チュノムの習得が難しく、統一した規範も整備されなかったため、18 世紀 の西山朝116などの一時期を除き、公文書では採用されなかった。習得し難 いと言う漢字及びチュノムの特徴で、ベトナムに来たヨーロッパの宣教師 にとって、2 つの文字は難しすぎた117。さらに、当時、孔子の思想を深く受 チュノム(ベトナム語:Chữ Nôm 𡨸喃)はベトナム語を表記するために漢字を応用して作られ た文字。𡨸喃を置き換えた字喃の「字」は、13 世紀から 20 世紀初期まで使われた。 115 西山朝( ベトナム語:Nhà Tây Sơn)は、1778 年から 1802 年の間、ベトナムに存在した短期王 朝。 117 Lê Văn Hảo「Sự quan tâm người Pháp văn hóa Việt Nam 」nha xuat ban Thanh Ho Chi Minh, 1988, tr 199-217 117 ベトナムではフランス殖民だとよく使われている。 116 ファン・ゴク・リエン 『ベトナムの歴史 -ベトナム中学校歴史教科書』 今井昭 夫監訳、伊藤悦子・小川有子・坪井未来子訳訳、明石書店〈世界の教科書シリーズ 21〉、2008 年。 117 60 けていたベトナム人にキリスト教を伝えるため、宣教師たちがベトナム人 の発音を基づき、ラテンの字を使い、現在ベトナム国語と呼ばれている新 しい文字を作り出した。目的としては、現地の住民のための文明開化では なく、ヨーロッパの宣教師が新しい文字を漢字・チュノムを抵抗する手段 として使った。漢字・チュノムを忘れた人はだんだん孔子の思想、仏教の 思想も忘れてきた。しかしならら、国語の役割は伝教だけではなく、ベト ナムのさまざまな分野にも積極的に貢献した。 1.政治の分野への貢献 1858 年にはフランス帝国 118 がベトナムの中部であるダナンで、公式 的にベトナムとの戦争を行った。1867 年から、南ベトナムの経済・政治・ 文化がフランス帝国に直接管理られた119。1869 年 02 月 02 日漢字の代わり に、政府の文書では国語字は公式な書き言葉として使うとなっている議定 が発行された120。1879 年にはフランス語及び国語字を同時のベトナムの教 育システムに導入され、学校では漢字・チュノムの代わり、国語字を教え られた。1919 年まで、国語字がベトナム中、導入された。国語字はキリス ト教のベトナムへの伝教の手段及び、フランス帝国のベトナムを支する手 段だと思われる。しかしながら、フランス殖民に抵抗した段階、ベトナム 人の平和を取り戻す事業に国語字が大きく貢献した。 ベトナムがフランス帝国により侵略し、管理された時、ベトナムの愛 国者が漢字・チュノムに比べ、国語字が勉強しやすし、覚えやすいと言っ た特徴で、住民の知識を向上したり、革命の思想を伝えたり、国民を教育 118 ベトナムではフランス殖民だとよく使われている。 ファン・ゴク・リエン 『ベトナムの歴史 -ベトナム中学校歴史教科書』 今井昭 夫監訳、伊藤悦子・小川有子・坪井未来子訳訳、明石書店〈世界の教科書シリーズ 21〉、2008 年。。 119 フランス人であった Marie Gustave Hector Ohier 副提督より 1869 年 02 月 22 日に承認された。 120 61 したりするための手段として国語字を使うことを主張した。Phan Bội Châu は同時の愛国者の一人であった。 フランス帝国だけではなく、日本・アメリカ・中国などとの戦争を起 こった時期に、国語字の役割がいつも重んじられ、さらに、十分発揮され たため、ベトナム人の共和を取り戻す事業・革命が強く発展した。雑誌、 新聞が住民の生活に高い地位を占めた時、ベトナム共産党が国語字を使い、 新聞や雑誌などを通じて、国民の愛国心を向上する主張があった121。 特に、1943 年に開催されたバンホアキュウコク協会がベトナム及び 外国との戦争での国語字の地位を高く評価し 122、短編小説・詩・小説など 文学のさまざまな種類を通じ、住民を教育した。 このように、ベトナムの独立を設立ことには、国語字の貢献を否定で きないと思われる。 教育への貢献 国語字はベトナムの教育に大切な影響を与えると思われる。 フランスとの戦争では、国の共和を取りも出すこのに国語字の大切さ の認知したベトナム人民共和国の臨時政府が「Bình dân học vụ」123と言った 運動を実行した。このような運動は当時のベトナム政府に対する大きい問 題の一つである「giặc dốt」124と言った問題を解決するためであった125。 フランス帝国の殖民地として管理されたベトナムの 90% の国民がが 文盲126であった。1945 年 月 日にハノイで開催されたベトナム政府の最 初の教会におき、ホーチミンが「無知な国民は弱い国民である」と述べ、 Gs.Ts Đồn Thiện Thuật – Khoa ngơn ngữ học, trường đại học KHXH NV, Đại học Quốc Gia Hà Nội http://www.lichsuvietnam.vn/home.php?option=com_content&task=view&id=266&Itemid=33 123 ベトナム共産党により、1945 年 月 日に承認され、全国実行した 124 文盲が敵と例えられた事である。 125 David G Marr (1984) Vietnamese Tradition on Trial, 1920-1945、182p 126 文盲:文字の読み書きを学習する機会がなくて、読み書きできない人たちのこと。 121 122 62 「文盲の問題を解決」と言った運動を実行すると主張した。この運動は早 くベトナム全国に広がり、国民に向けるクラスを行った127。 1946 年の終わりに、当時の政府の文部科学省がベトナムにおける北 部・南部の 2520678 人の程度が国語字を書たり、読んだりすることが出来 ると発表された128。それにより、キリスト教により生み出された国語字及 びベトナム共産党の良い政策のおかげで、ベトナム政府が人民の文盲とい った大きな問題が解決された。教育に大きく貢献したと言われる。 さらに、現代は、ベトナムの諸学校における教えられている文字は国 語字である。国語字の普及する事のため、ベトナムの教育が発展し、人民 の認識・知識を強化し、向上するのが出来ると思われる。それにより、ベ トナム及び世界の先進国との交流・貿易活動がスムーズに展開できるよう になったと思われる。それに、人間の知識・外国の先端的な技術を受ける ことが簡単になったと考えられる。そして、ベトナムに着き、ベトナム語 を勉強している外国の留学生の数量も多くなって来た事のおかげで、外国 との教育交流がだんだん発展し、ベトナムの学生たちに対して、このよう なことも多きなチャンスであると言えるであろう。 3.文学発展への貢献 キリスト教がベトナムに来たとともに、外来文化も入ってきた。国語 字の生み出され、盛んになった事と外来文化の影響を深く受ける事により、 ベトナムの文学が突破に変化した。特に、1930 年から 1945 年までの時期に は文学が強く発展し、多数くの文学種類の生み出されたことにつながった。 例えば記事・レポート・小説などであった。同時、有名で、高く評価され た文学作家も多くなってきた。例としては、Sóng Hồng 、Lê Đức Thọ、 127 128 VTV 64 năm phong trào bình dân hoc vu http://vtv.vn/Article/Get/84283 David G Marr (1984) Vietnamese Tradition on Trial, 1920-1945、184p 63 Xuân Thủy 、Tố Hữu 、Nguyễn Công Hoan、 Vũ Trọng Phụng、 Ngô Tất Tố な どである。 さらに、当時の文学題材も豊かになった。ベトナム共産党・革命の事 業・農地である農民の生活・個人の幸福・男女恋愛などが強く利用された。 この時代の作品はベトナムの国語字で書かれ、フランス語で書かれた作品 もあった。 つけまして、国語字の作り出されたことにより、当時の殆どの新聞が 国語で印刷され、代表としては「Đơng dương tạp chí」(1913 年)、「An nam tạp chí」(1962 年)、「Tạp chí Tiền Phong」(1945 年)などが有名で、 人気があった。このような新聞・雑誌はベトナム人の生活に大切な地位を 占め、一定のある程度でベトナム発展に貢献したと思われる。 このように、漢字・チュノムが普及した時と比べ、国語字が本当にベ トナム文学歴史のマークになったと考えられる。 第三節 つのキリスト教により生み出された文字の日越比較 共通点 1.1 文字を生み出した背景・目的 ほぼ同じ時期に、キリスト教の宣教師が日本及び、ベトナムに着き、 キリスト教の教義及び教理を教え、活躍した。伝えられていた時、最初は キリスト教の外国人の宣教師が自由に伝教したが、その後、両国の政府が 鎖国の政策を挙げたり、キリスト教を禁じたりした。 しかしながら日本及びベトナムの政府が米国からの影響を受けたこと により、宣教師が活躍出来るようになった。 64 伝教していた時、宣教師たちにとって、問題になったのは言語だと思 われる。その際、各国の言葉を発音に従い作られたのがローマ字であり、 ベトナムの国語字である。 当時、外国人の宣教師たちはラテン語のアルファベットを使い、日本 人及びベトナム人の発音を表記し、日本のローマ字及び現在のベトナムの 国語字を作り出した。宣教師が最初の新しい文字の生み出した目的は両国 の国民のためや、両国の経済発展でもなく、キリスト教を伝えることだと 考えられる。 あくまで外国語は日本語及びベトナムの単語が違うから、宗教を伝え るのに発音に基づき、書くためのローマ字及びベトナムの国語字が必要だ ったと思われる。 新しい文字を作り出した後、日本のローマ字及びベトナムの国語字が 承認され、盛んになってきた。日越両国の社会・経済・文化等はかなり違 うがキリスト教は日本だけではなく、ベトナムの言語システムにも大きく 影響を与えた。その点は両国の共通点だと言えるだろう。 1.2 新しい文字の大切さ 日本語及びベトナム語を習いたい外国人たちにとって、両国の国民の 発音が一番難しい。発音新に基づき、表記されたローマ字及びベトナムの 国語字は外国人たちに両国の言語の勉強に大切だと思われる。 さらに、当時、キリスト教の伝教だけではなく、日本及びベトナムに 外来文化も伝えられ、宣教師が作った新しい文字により日越両国の発展に 影響をあたえ、一定の貢献を否定することが出来ないと考えられる。新し い文字のおかげで、欧米国をはじめ、外国のさまざまな影響を受けやすく なったと考えられる。19 世紀から 20 世紀の両国の文学もすごく発展した。 そして、その時、有名であり、よく評価される価値を持っている作品が多 65 くなってきた。特に、ベトナムの場合であった。フランス人であった宣教 師によって生み出されたベトナムの国語字のおかげで、20 世紀における文 学の小説、詩、記事などのさまざまな種類に属した優秀な作者が多くなっ た。 つけまして、その時のあまり発展いていなかった国であった日本及び ベトナムの経済を発展するため、新しい文字が外国の先端的な技術、人間 知識に接触すること、他の民衆の生活習慣の良い点を受け入れるに対し、 重要であると思われる。ベトナムの場合も、日本の場合も、元々は農業の 国であるが、アメリカやフランスやイギリスなどの欧米国の工業及び、化 学技術を取得した以来、どちらの経済も突破したことが見えるだろう。特 に、長い間、戦争の後、損失を受けた日・越の経済が驚くほど、回復し、 日本が先進国になり、ベトナムの場合はだんだん自分の地位をアジア地域 で占めることが出来ると思われる。新しい文字がなかったら、現在の成功 がないのではないでしょうか。 2.類似点 ほぼ同じ時代に、キリスト教が日・越に着き、伝教のために日本のロ ーマ字・ベトナムの国語字を作り出した。それにより、外国からの宣教師 たちが文字の作った最初の目的は現地の人民及びその国の発展のためでは なく、ただ、宗教を伝えるのことである。しかしながら、2 つの文字の文字 は両国の国民たちにキリスト教の宣教する事に貢献を果たしたのだけでは なく、日・越両国の各分野にも影響を与えた。それは以上に述べた共通点 である。 両国の言語の特徴の差を問わず、基本的には日本のローマ字及びベト ナムの国語の違いが つあると思われる。 66 最初は文字の名前から分かるように、日本の場合は、ローマ字が生み 出された後、カナ及び漢字が除かなく、現在まで、日本の主な文字として 存在し、使われていることである。特に、ローマ字は日本語を習っている 外国人たちを向け、日本語の表記法として使われる。逆に、ベトナムの場 合は、国語字が生み出された以来、中国から来た漢字及びチュノムの影響 がだんだん薄くなった。一方、国語字が盛んになり、ベトナムの主な書き 文字として使われてくる。現在国語字が規定・議定・法令などの政府の公 式的な書類に書かれ、手紙・メールなどの住民の生活の通信方法に使われ ている。それに、文部科学省から発行された教科書も国語字で書かれてい る。現在のベトナムでは、漢字及びチュノムがベトナム語を表記されない ようになった。日本のローマ字と比べ、ベトナムの国語字が本当にベトナ ムの国の書き言語になったと考えられる。 次の両国の文字の違いを述べたいのは国の発展に貢献することである。 キリスト教の伝教の以外、ローマ字は教育の狭い範囲に影響を与えると思 われる。しかしながら、ベトナムの国語字が伝教だけではなく、政治・教 育・文学・新聞の発展など幅広い分野に強く貢献を果たした。特にフラン ス帝国・日本・イギリス・中国などの外国との戦争が起こった長い間、ベ トナム人により、国語字の役割が十分発揮され、キリスト教の伝教の手段 から、国語字がベトナム人の平和を取り戻す手段になったと言えるであろ う。国語字の大切さを強調するため、ベトナム言語研究者グエン・ラン・ ビンがベトナム政府に「国語字の日」を記念するべきである提案について の意見があった129。 129 http://thethaovanhoa.vn/133N/de-xuat-ve-ngay-chu-quoc-ngu-viet-nam-can-gan-voi-luat-ngon-ngu.htm 67 終わりに 第一節 結論 以上のことから日本国内を見れば、この数年間、キリスト信仰を公表 し、洗礼を受け、教会に登録されているクリスチャンは、総人口一億二千 七百万人の 1%弱であり、欧米国に比べ、低い率を占めているとされる が 日本の社会及び日本文化、日本人の生活に与える影響が否定することが出 来ないと思われる。 16 世紀から日本に伝えられたキリスト教は多数くの事を経、ある時 期に禁じられた事もあったが現在に至るまで、だんだん発展し、日本人の 生活精神に無ければならなく、一定のある貢献を果たした。その貢献の中 で、ローマ字を生み出した事は本当に大切であり、外国人が日本語を勉強 することに役立つものであると思われる。それにより、日本及び欧米国を はじめ、世界中の各国に接触し、交流することがやすくなり、世界の発展 に貢献したと考えられる。 国際比較についてベトナムは日本と同様に、ほぼ同じ時間にキリスト 教が伝えられた。日越両国の社会、経済、文化等がかなり違うがある面で は両国の新しい文字の生み出した背景、目的が共通していると言えるだろ う。それは最初外国の宣教師が新しい文字を作り出した理由は各国の発展 のためではなく、住民のためでもなく、実際はキリスト教の伝教のためで あることだった。この点では、100% の日本人だけではなく、ベトナム人で も、自分の国に関する事を知らないと思われる。 68 第二節 今後の課題 本研究ではキリスト教及び日本のローマ字の作り出された事との関係 を述べ、分析した。実際は過去の歴史を見るとアジアやアフリカにヨーロ ッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後、植民地支配がはじま った。それにより、「ヨーロッパ諸国はキリスト教の布教の後に軍隊を送 り、植民地にした」とよく言われている。 では、現地におけるキリスト教を伝えた事及びヨーロッパ諸国が現地 に軍隊を送り、植民地にした事はどんな関係があったかという問題は今後 に残された課題である。 69 謝辞 2011 年の 月に、父親が亡くなって以来、多数くの困ったことがあ り、論文を止めろうと思ったこともあるが、いつも助け、励ましてくださ った母親に厚く感謝の意を申し上げたいと思います。 さらに、本論文を完成するに際し、日頃からご丁寧で、ご親切な指導、 ご支援をいただいた Trinh Thi Ngoc Lan 先生に厚くお礼を申し上げたいと思 います。長い間、本当にいろいろ大変お世話になりました。 そして、私が悲しい時、さびしい時にいつもお世話になり、心強く支 えてくださった Nguyen Ngoc Tuan さんを心より深い感謝いたします。 2010 年 月 日 70 参考文献 「平成 19 年度 全国社寺教会等宗教団体・教師・信者数」 文部科学省 宗教 統計調査 (平成 18-12-31) 2009 年 月 日 『宗教学辞典』東京大学出版会 1973、p.146 松村明『大辞林第三版』株式会社 三省堂 230p 土井かおる『よくわかるキリスト教』PHP 研究所、2004 年、125 頁、p89 上智学院新カトリック大事典編纂委員会『新カトリック大事典』第 巻、 研究社、2002 年、412 頁、132p 宇田進ほか『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991 年、631 頁 上智学院新カトリック大事典編纂委員会『新カトリック大事典』第 巻、 研究社、2002 年、412 頁「信条 田川建三『イエスという男』第 版増補改訂版、作品社、2004 年p352 宇田進ほか『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991 年、p669 10 岡田暁生『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』中央公論新社〈中公新書〉、 2005 年、p73 11 コンスタンチン・コワリョフ『ロシア音楽の原点 ボルトニャンスキーの生 涯』ウサミ・ナオキ訳、新読書社、1996 年、37p 12 村上陽一郎『科学史からキリスト教をみる』創文社〈長崎純心レクチャー ズ〉、2003 年 p42-52 13 徳善義和・百瀬文晃編『カトリックとプロテスタント どこが同じで、どこ が違うか』教文館、1998 年、p235 14 日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史大事典』教文 館、1988 年、「景教」の項目 15 オリヴィエ・クリスタン(1998):「宗教改革」 大阪:創元社 16 佐藤敏夫『日本のキリスト教と神学』1978 年、p352 17 牛丸康夫『日本正教史』日本ハリストス正教会教団 1978 年、p135 18 『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社 p.352 19 土井かおる『よくわかるキリスト教』PHP 研究所、2004 年、90~94 項 20 東京基督神学校『日本開国とプロテスタント宣教 150 年』第五回日本伝道 会議いのちのことば社、1982、p37 21 杉田幸子『ヘボン博士の愛した日本』いのちのことば社フォレストブック ス、p.72 22 『国語シリーズ No.23 ローマ字問題資料集 第 集』1955 年(昭和 30 年)3 月 30 日、p.17 23 高谷道男『ヘボンの手紙』p.56 71 24 片子沢千代松『日本プロテスタント 150 年の歩み』YMCA 出版、204p 25 David G Marr (1984) Vietnamese Tradition on Trial, 1920-1945 26 Hannas, W C Asia's orthographic dilemma Honolulu, HI: University of Hawaii Press, 1997 tr 84-87 27 Taberd, Jean Louis Dictionarium Latino-Anamiticum Serampore, 1838 tr 78 28 Hoàng Xuân Việt Bạch thư chữ Quốc ngữ San Jose, CA: Hội văn hóa Việt, 2006 tr 374-375 29 Phê Bình Văn Học Thế Hệ 1932 - Chim Việt Cành Nam trích từ Phụ Nữ Tân Văn số 42 ngày 20-2-1930 30 Quỳnh Cư 「Nhà Nguyễn chín chúa mười ba vua」NXB Thuận Hóa、2004、 p102 31 Ve Ton giao Tin nguong Viet Nam Hien nay、1996 年、6 頃 72 ... 事情にある場合」に制限しながらもヘボン式の使用も認めるものとなった。 83 84 杉田幸子『ヘボン博士の愛した日本』いのちのことば社フォレストブックス、p.72 James Curtis Hepburn 47 1989 年には国際標準化機構(ISO)が訓令式を採用し、ISO 3602 として承 認した85。 このように、最初のキリスト教の宣教を目的にしたポルトガル式ロー マ字のおかげで、日本におけるローマ字が作り出し、長い間改変され、現 在のように完成できた。... 音楽への影響 イメージ3:グレゴリオ聖歌の楽譜の一例 出典:http://foucaultplus.org/post/17755297027 Viktor Mikhailovich Vasnetsov, 1848 年 月 15 日 - 1926 年 月 23 日)はロシア帝国の画家。神話 や宗教・歴史を題材とした絵画の専門家である。 24 22 「正教会聖歌作曲家25」により、キリスト教会では典礼での必要上、... どこが同じで、どこが違うか』教文館、 1998 年、p235 52 33 入れる立場と、それは教会や聖職者の仕事ではないとして受け入れない立 場が両方存在する。 イメージ 10:「教会式」結婚式 出典:http://www.soukouen.com/wp/?p=126 プロテスタントにおける結婚は、カトリックの秘跡に相当する聖礼典 には含まれない(そのため、聖礼典執行資格のない伝道師など下位教職で もこれを行うことが出来る)。ただし、人生の節目であることに違いはな

Ngày đăng: 16/03/2021, 09:41

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