平成 29 年度 修士論文 日本に伝来するチャンパ裂 —日本とベトナムの織物の交易— FABRICS CALLED CHAMPA IN JAPAN – TEXTILE TRADING BETWEEN JAPAN AND VIETNAM 指導教員:吉田雅子教授 京都市立芸術大学大学院 美術研究科 修士課程 芸術学専攻 芸術学 16551 Nguyen Duong Quynh Anh 目次 はじめに 第 章 研究に関する概念 第 節 「名物」と「名物裂」 1.名物と茶入 2.名物裂 第 節 チャンパ王国の概要 1.チャンパの歴史 2.チャンパの文化 3.チャンパの織物 第3節 日本の縞物の概要 12 1.江戸時代以前の日本の縞物 12 輸入された外国の縞物と日本の和製の縞物の発展 18 江戸町人と縞物の流行 22 4.輸入の縞物と日本製の縞物 26 第 節 輸入の木綿縞物の主な種類 28 1.文献の調査 28 2.現物の調査 36 .縞物の種類のまとめ 43 第 章 茶道具に関する文献の調査 47 第 節 『名物裂事典』に挙げられている古文献 47 1.『万宝全書』 48 2.『雅遊漫録』 49 3.『茶家酔古襍』 51 第 節 『古今名物類聚』 52 第 節『大正名器鑑』の調査 55 『大正名器鑑』のまとめ 63 第 節 茶道具に関する文献調査のまとめ 64 第 章 現物の調査 66 第 節 五島美術館所蔵の「ちやむは」袋 66 1.五島美術館所蔵の現物の概要 66 2.挽家袋の表地 69 3.挽家袋の裏地 72 第 節 サンリツ服部美術館所蔵のチャンパ裂 75 第 節 東京国立博物館所蔵のチャンパ裂 79 東京国立博物館所蔵のチャンパ裂の概要 79 寸法と文様 81 組織 82 第 節 鈴木時代裂研究所蔵のチャンパ裂 84 1.裂(1) 86 裂(2a)と(2b) 92 裂(3a)と(3b) 95 裂(4) 98 裂(5) 101 第 節 現物調査のまとめ 104 第 章 チャンパ裂の由来の経緯 110 第1節 16-17 世紀のアジア海洋貿易の概要 110 1.ヨーロッパ商人 110 2.アジア商人 116 第2節 ベトナム・日本の貿易の概要 120 1.16-17 世紀ベトナムとチャンパの歴史 120 2.東京(トンキン)の貿易状況 122 3.交趾(コーシ)の貿易状況 125 4.チャンパの貿易状況 133 第3節 交易経緯に関する筆者の仮説 149 1.チャンパ裂がチャンパ産である場合 149 2.チャンパ裂が他国産である場合 152 3.交易経緯に関する可能性をまとめ 154 おわりに 156 参考文献 162 図版出典 167 はじめに 室町時代から江戸時代にかけて、日本には様々な織物が海外貿易によって舶載された。 輸入の織物のうち、インド・東南アジア・中国南部等からの縞物は当時非常に流行し、 江戸時代における日本製の縞物の発展において大きな役割を果たした。これらの中には、 「チャンパ」あるいは「占城」と称された縞物がある。「チャンパ」とはベトナム中部 にあったチャム族の王国の名称である1。したがって、「チャンパ」の縞物はチャンパ王 国に関係している可能性がある。本論で以下「チャンパ裂」と言う場合、江戸時代に日 本でチャンパと称された裂を指す。本研究は、近世に日本に輸入されたこの「チャンパ」 と呼ばれる縞物について考察するものである。 従来、日本には名物裂に関する研究所と史料が多いが、チャンパ裂についての先行研 究は極めて少ない。たとえば、『古今名物類聚』、『大正名器鑑』等の茶道具の文献には、 しばしばチャンパ裂の袋について記載されている。また、澁江終吉『名物裂の研究』、 山辺知行『名物裂』、鈴木一『名物裂辞典』等の名物裂の基本的な研究書には、チャン パ裂について数行の概説を確認することができる。しかしながら、これらの資料は、チ ャンパ裂がどのようにして日本に運ばれたのか、また、いつから茶の湯に用い始められ たのかについては解説していない。さらに、現在日本にはチャンパ裂が数点保存されて いるが、これらの裂を詳しく考察した上で、日本に現存するチャンパ裂の特徴を明らか にする研究は行われていない。 国史大事典編集委員会、第 14 巻、1993、p.678 そこで、本研究では、以下 点を研究目的としたい。第一は、チャンパ裂がいつ頃日 本に運ばれたのか、また、いつ頃茶の湯の世界で用いられたのかを解明することである。 第二は、日本に現存するチャンパ裂の現物を調査し、チャンパ裂の特徴を明確化するこ とである。第三は、日本とベトナム・チャンパの間で行われた交易を調査し、チャンパ 裂がどのような社会的背景の中で日本に舶載されたのかを考察することである。 これらの問題を解決するために、筆者は以下の つの調査を行い、研究の柱とする。 第一は、チャンパ裂について記録する一次史料を検討することである。これらの文献 の調査によって、チャンパ裂がいつ頃日本に輸入されたのかを特定できると思われる。 第二は、日本に現存するチャンパ裂の作例を探し出し、これらの現物を調査して、チ ャンパ裂の特徴を明らかにすることである。 第三は、文献調査によってチャンパ裂の渡来の時期を確認した後、当時の日本とチャ ンパ・ベトナムの間の交易背景を調査し、チャンパ裂が日本に舶載された経緯を推察す ることである。 2016 年から 2017 年にかけて、筆者は上記の調査を行い、チャンパ裂の特徴について 考察してきた。上述した通り、日本の古文献と名物裂の研究書には、チャンパに関する 記載はあるが、チャンパ裂が実際にどのような織物であるかを考察した研究はない。そ のため、チャンパ裂の調査は名物裂の研究に貢献するものと考えられる。また、名物裂 研究はこれまで主に金襴、緞子等が中心で、縞物に関して本格的な研究が少ない。本研 究は日本に舶載された縞物研究の一歩となることが期待される。 第 章 研究に関する概念 日本に伝来しているチャンパ裂は、茶器に付属しているものが多い。また、日本の茶 道具に関する古文献には、チャンパ裂の記載を認めることができる。このような理由か ら、チャンパ裂について研究するためには、まず、茶の湯と輸入織物に関する概念を理 解する必要がある。 また、チャンパ裂は「チャンパ」と呼ばれることから、チャンパ王国に関係がある可 能性が高い。チャンパ裂がどのような社会背景の中で日本に輸入されたのかを考察する ため、本章ではチャンパ王国の歴史・文化についても検討したい。 そして、日本製の縞物の発展において、チャンパ裂をはじめとする渡来の縞物の役割 を理解するために、日本の縞物の歴史と江戸時代の縞物の文化を概括的に調査する必要 があると思われる。 当時、縞物はチャンパ裂以外にも、中国・インド・東南アジアから日本に輸入されて いた。したがって、日本に現存するチャンパ裂の特徴を確認するために、他の種類の縞 物の特徴について調査し、それらをチャンパ裂と比較したい。 第 節 「名物」と「名物裂」 1.名物と茶入 日本に保存されているチャンパ裂は、名物茶入に付属するものが多い。茶の湯に おける名物とは、由来を持ち、固有な銘がある優れた茶器である2。名物の銘の大半 吉岡、1980、p.65 は、有名な所有者、伝来の逸話等に由来する3。名物は一般的に大名物、名物、中興 名物に分けられている。最も簡潔に定義にすれば、大名物とは有名な茶人であった 千利休(1522-1591 年)以前に評価されたものであり、名物とは千利休の頃に名が 付けられたものであり、また中興名物とは千利休の後に活躍した小堀遠州(1579- 1647 年)の頃に名付けられたものである4。 茶道具のうち、抹茶の濃茶を入れる容器である茶入は、最も重視された道具の一 つである。茶入を包む袋である仕服は主に金襴、緞子、間道等の輸入の織物で作ら れた。また産地によって、茶入は唐物、島物、和物の三種類に大別された。唐物と は中国から到来した茶入、島物は南海から輸入されたもの、和物は日本で制作され たものである5。和物の中で最も多いのは、瀬戸で制作された瀬戸焼茶入である。江 戸時代に入り、瀬戸焼の茶入は窯や本体の制作年代によって様々な種類に分けられ た。これは窯分けと呼ばれる。その種類には古瀬戸・春慶・真中古・金崋山・破風 窯・後窯等がある6。瀬戸以外の茶入、すなわち、薩摩・信楽・高取・備前・丹波等 の日本の地方で制作された茶入は国焼と総称された。茶入の形によって分類するこ とがある。形による茶入の種類には肩衝・文琳・茄子・大海・瓢箪・丸壺・鶴首等 がある7。 同上 切畑、1994、p.92 国史大事典編集委員会、第 巻、1998、p.450 五島美術館学芸部編、1996、p.5 同上 2.名物裂 「名物裂」とは、掛物の表具や茶道具の袋として珍重され、独自の名称が付けら れた渡来の織物の総称である8。日本に保存されている名物裂は室町時代以後、江戸 時代までに舶載されたと考えられている。渡来の織物は、織法・文様・色彩が当時 の日本製の織物と異なっていたため、茶の湯の世界で専ら評価されて茶入の仕服等 に利用された。そして、名物裂の渡来は日本に新しい技術や文様をもたらし、日本 の染織の発展に重要な役割を果たした。さらに、名物裂は、他国の染織の研究にお ける貴重な資料であると言える。なぜなら、本国ではすでに失われた織物が日本に 保存されているためである9。 名物裂には様々な種類があるが、金襴・緞子・間道が中心である。まず、金襴と は、主に綾織や繻子織の地に平金糸を織り込んで文様を表した織物である。中国か ら日本に輸入され、名物裂のなかで最も尊ばれた染織品である10。次に、緞子とは、 一般的に先染めの絹糸を用いるもので、繻子組織で文様を織り出す場合が多い。落 ち着いた風合とやわらかい手触りのため、緞子は茶入の仕服として愛用されている 11 。そして、間道とは、縞・段・格子などが入った平織の絹・木綿の名物裂で、室 町時代から江戸時代にかけて輸入された 12。現在保存されている間道には絹物が多 国史大事典編集委員会、第 巻、1998、p.450 切畑、1994、pp.88-89 10 切畑、1994、p.3 11 淡交社編集局編、2013、p.21 12 五島美術館学芸部編、2001、p.91 いが、交織と木綿物もある。絹の間道は中国で制作され、木綿の間道はインド・東 南アジア等で織られた 13。特に、間道の中には絣の縦縞も含まれており、太子間道 と称された14。 また、室町時代から江戸時代にかけて、様々な種類の木綿縞物が日本に輸入され た。茶の湯の世界では、これらの木綿縞物で茶入の容器である挽家の袋として作ら れたものがある。さらに、こうした木綿縞物は日本製の縞物の発展に大きな役割を 果たしたが、この縞物の種類に関しては、本章の第 節において詳述する。 第 節 チャンパ王国の概要 1.チャンパの歴史 チャンパは 世紀から 19 世紀にかけてベトナムの中部に存在したチャム族の王国 りんゆう チャンパ である。中国の古文献の中で林邑 と呼ばれ、やがて占城 として知られた15。奈良時 代の「林邑楽」という宮中雅楽はチャンパから日本に伝わったと考えられている16。 2世紀に、チャンパは中国の支配から独立国となり、海上貿易によって発展した。 しかしながらが、10 世紀に入ると北ベトナムも独立国となり、チャンパとの競争が 幾度も発生した17。1485 年に、大越(古代ベトナム)の王の黎聖宗(レ・タイン・ トン)はチャンパのヴィジャヤ(Vijaya)を攻撃し、ヴィジャヤはベトナムの領土 13 淡交社編集局編、2013、p.24 14 五島美術館学芸部編、2001、p.92 15 国史大事典編集委員会、第 14 巻、1993、p.678 16 桃木、1999、 p.41 17 国史大事典編集委員会、第 14 巻、1993、p.678 3.交易経緯に関する仮説のまとめ 以上の通り、チャンパ裂の輸入の経緯には 通りの場合が考えられる。この中で は、(2)の仮説が最も可能性が高いと思われる。なぜなら、縞木綿が交趾シナから 日本に運ばれた記録があるからである。先述の通り、元禄 年(1695 年)に出版さ れた『華夷通商考』には、交趾シナの土産の中に「島木綿」と記載されている。こ の縞木綿の中に、チャム人が制作した布が入っていたのかは確認できないが、これ は交趾シナから日本に運ばれた木綿縞があったという事実を示している。 一方、先述したチャンパ王国の貿易状況の調査では、チャンパ王国から輸出した 商品に関する記録に、木綿縞物を確認することができない。『華夷通商考』の初版に よると、チャンパの産物は奇楠、沈香、白檀枝花、鮫、樹皮、束香、梹榔子、椰子 油、藤、魚膠であり、布は含まれていない。また、イギリス東インド会社の書簡に は、チャンパ王国の産物は伽羅木、沈香、白檀、黒檀等の山産物であると記されて いる。さらに、前述の通り、ジャック・デ・クトルの旅行記録によると、ポルトガ ル人がチャンパからマラッカに運んだ品は沈香・伽羅木・安息香であった。つまり、 管見の限り、チャンパ王国から輸出された木綿縞に関する記録は確認できない。 また、『雅遊漫録』にはチャンパ裂は「おらんだ織木綿」と記されているため、チ ャンパ裂とオランダ貿易には何らかの関係がある可能性が高い。先述した貿易の調 査によると、オランダ東インド会社は交趾シナと日本との間の仲介貿易を行ってい たことがある。一方で、16 世紀末から 17 世紀にかけて、チャンパ王国とオランダ東 インド会社との間における交易活動はなかった。 154 したがって、先に述べた仮説の中で、(1)、(3)、(4)はいずれも交易港がチャン パ王国であるため、これらの可能性は低いと言える。 そのため、(2)の仮説、すなわち、チャンパで制作されたチャンパ裂、あるいは 交趾シナに住むチャム人によって制作されたチャンパ裂がホイアンに運ばれ、その 後日本に舶載されたという仮説が最も可能性が高いと考えられる。 155 おわりに 日本で江戸時代にチャンパと称された裂(チャンパ裂)の特徴と渡来の経緯を明らか にするために、筆者はチャンパ裂について記載されている文献を精査し、また、日本に 現存しているチャンパ裂を実見調査し、日本とベトナム・チャンパ間の貿易関係につい て検討した。 澁江終吉『名物裂の研究』、鈴木一『名物裂辞典』等の従来の名物裂の研究書におい ては、日本でチャンパと称されたこれらの裂がチャンパで織り出されたものであるかど うか判然としないにもかかわらず、殊に疑問を呈さずにチャンパ裂とはチャンパ王国で 織り出されたものであると記してきた。 チャンパ裂が日本に舶載された時期を明らかにするため、筆者は江戸時代の古文献を 調査した。チャンパ裂の縞柄に関して、『万宝全書』には「木綿嶋赤筋有」、『雅遊漫録』 には「おらんだ織木綿の赤嶋也」と記載されている。これらの古文献から、チャンパ裂 は木綿の赤い縦縞であることが分かった。また、『雅遊漫録』に「竪嶋の中に小もやう 入地味よし」との記録もあるため、チャンパ縞物には、縦縞の中に小さい文様が織り込 まれたものもあると考えられる。 そして、日本の史料における最も早いチャンパ裂の記録は、管見の限り、1694 年 (元禄 7)の跋がある 『万宝全書』の『和漢諸道具見知鈔』において確認されることが 分かった。この史料から、17 世紀末にはチャンパ裂はすでに日本に舶載されていたこ とが明らかである。また、『雅遊漫録』には、チャンパ裂は「おらんだ織木綿」と記さ れているため、チャンパ裂とオランダ貿易との間に留意すべき関係がある可能性が考え られる。 156 茶道具に関する史料である『古今名物類聚』と『大正名器鑑』の調査によると、チャ ンパ裂は茶入の容器である挽家の袋として作られたものが多い。また、チャンパ裂が付 属する名物の大半は瀬戸の焼き物である。さらに、筆者は『大正名器鑑』に記されてい る名物の伝来を調査することで、チャンパ裂が付属する名物には、小堀遠州(1579- 1647 年)と遠州に関わる人物が所持していたものが多いことを確認した。チャンパ裂 の茶道における使用については小堀遠州が何らかの形で関与していたものと思われる。 チャンパ裂が付属する瀬戸の焼き物が用いられるようになるのは 16 世紀末以後であ る。また、チャンパ裂が付属する名物は 16 世紀末から 17 世紀中頃に活躍した小堀遠州 に関連している。以上の通り、チャンパ裂が茶道に用いられるようになったのは 16 世 紀から 17 世紀中頃のことと見てよいのではないだろうか。したがって、日本でチャン パと称されたこれらの織物が日本に輸入され始めたのも、この時期、16 世紀から 17 世 紀中頃のことと考えられる。 かたや現物の調査において、筆者は五島美術館、東京国立博物館、鈴木時代裂研究所、 サンリツ服部美術館が所蔵するチャンパ袋を調査した。これらのうち、五島美術館蔵と サンリツ服部美術館蔵の裂は 1801 年(寛政 1)から 1803 年(寛政 3)まで刊行された 『古今名物類聚』において、「ちやむは」、「チャンハ」と記されている。一方、東京国 立博物館蔵と鈴木時代裂研究所蔵の裂は、一次史料によってチャンパとの関連性を確認 することができない。 江戸時代にチャンパ裂として認識されていた五島美術館蔵とサンリツ服部美術館蔵の 裂を調査した結果、当時チャンパ裂と理解された縞物の特徴に関して、以下の 点に注 目するべきである。まず、これらの裂には深い赤縞が織り出されていたことが分かった。 157 この特徴は江戸時代の文献である『万宝全書』と『雅遊漫録』に見られる記述に一致す る。次に、五島美術館蔵の裂は経糸の太さがまばらであることがこの裂の重要な特徴で ある。そして、サンリツ服部美術館蔵の裂の縞の中には細かい文様が織り出されていた。 この特徴は 1763 年に出版された『雅遊漫録』の記載と合致する。一般の研究書では、 チャンパ裂の文様は縦縞であると指摘されてきた。しかしながら、現物の調査の結果、 チャンパ裂には縞の中に文様が織り込まれたものもあることが明らかになった。 さらに、戦後の研究者やコレクターによってチャンパと分類された鈴木時代裂研究所 と東京国立博物館が所蔵する裂の現物を調査したところ、東京国立博物館蔵の作例はチ ャンパには該当しないことが分かった。東京国立博物館に所蔵されているチャンパ裂は 山辺知行『名物裂』に写真と記録が掲載されている。山辺氏はおそらく渋江氏の『名物 裂の研究』の記述を引用したと思われ、この裂は木綿の経糸と絹の緯糸を用いて織り出 された縦縞であると記している。しかしながら、筆者の現物調査の結果、この裂は野蚕 糸の経糸と木綿の緯糸を用いて織り出されたものであることが判明した。縞の方向も縦 縞ではなく、横縞である。チャンパ裂に対して『万宝全書』では「木綿嶋」と記載され ており、また、『雅遊漫録』では「織木綿の赤嶋也」、「竪嶋」と記されており、チャン パ裂は木綿の縦縞である。そのため、東京国立博物館蔵の裂は江戸時代にチャンパ裂と 記述されたものとは別種のものと見た方が良いであろう。 また、鈴木時代裂研究所蔵の作例 種類のうち 種類は、糸使いと文様において、江 戸時代にチャンパと認識された五島美術館蔵の裂に極めて類似していることが明らかに なった。 158 さらに、五島美術館蔵の裂の経糸の太さはまばらであるため、この生地はインド産の 縞物のように柔らかくなく、粗く感じられるが、この粗い手触りもチャンパ裂の特徴の 一つであると考えられる。 最後に、筆者はチャンパ裂の渡来の経緯を考察するために、16 世紀から 17 世紀のチ ャンパ・ベトナムと日本の間で行われた貿易について調査した。その結果、当時チャン パ・ベトナムと日本の間で活動していた主な貿易勢力と航路が明らかになった。それに 基づきチャンパ裂の渡来の経路を考えたいが、ここで問題になるのは、チャンパ裂の産 地である。管見の限り、現在ベトナムには 17 世紀のチャンパの縞物が現存していない ため、チャンパ裂がチャンパで制作されたかどうかを確認するための比較資料が存在し ていない。また、日本に輸入された染織品や陶磁器の中には、輸出された土地や港に基 づいて名称が付けられた品がある。そこで、以下 通りの場合の交易ルートを考えた。 第一は、チャンパ裂がチャンパで制作された場合である。第二は、チャンパ裂が他国で 制作され、チャンパ海港から輸出された場合である。 1. チャンパ裂がチャンパ産である場合:チャンパ裂がチャム人によって制作された場 合については、以下の つの経路が考えられる。 (1) チャンパ海港からの輸出:チャンパ裂はチャンパ海港から日本朱印船・中 国商船・ポルトガル商船・イギリス商船によって日本に舶載された可能性 がある。 (2) 交趾シナからの輸出:チャンパ王国で制作されたチャンパ裂は、交趾シナ に運ばれ、その後、日本朱印船・中国商船・ポルトガル商船・オランダ商 船によって日本に舶載された可能性がある。また、チャム人は交趾シナに 159 も住んでいたため、チャンパ裂は交趾シナに住むチャム人によって織り出 された可能性もある。 2. チャンパ裂が他国産である場合:チャンパ裂が他国で制作された場合に関しては、 以下の2通りが考えられる。 (3)カンボジアあるいはシャムでの制作:チャンパ裂がカンボジア・シャム で制作され、チャンパ海港に運ばれ、そこから日本に舶載された可能性が ある。 (4)マレー諸島・インドネシア・インド等での制作:チャンパ裂がマレー諸 島・インドネシア・インド等で制作され、チャンパ海港に運ばれ、後に日 本に舶載された可能性がある。 貿易の調査によると、縞木綿が交趾シナから日本に運ばれた記録がある。元禄 年 (1695 年)に刊行された『華夷通商考』には、交趾シナの土産の中に「島木綿」と記 載されている。これは交趾シナから日本に運ばれた木綿縞があったという事実を示して いる。一方、管見の限り、チャンパ王国から輸出された木綿縞に関する記録はない。ま た、『雅遊漫録』にはチャンパ裂は「おらんだ織木綿」と記されているため、チャンパ 裂とオランダ貿易には何らかの関係がある可能性が高い。しかし、16 世紀末から 17 世 紀にかけて、チャンパ王国とオランダ東インド会社との間における交易活動はなかった。 上記に述べた仮説の中で、(1)、(3)、(4)はいずれも交易港がチャンパ王国であるた め、これらの可能性は低いと考えられる。したがって、(2)の仮説、すなわち、チャ ンパで制作されたチャンパ裂、あるいは交趾シナに住むチャム人によって制作されたチ 160 ャンパ裂がホイアンに運ばれ、その後日本に舶載された可能性が最も有力であると結論 付ける。 なお、ベトナムではフランスによる植民地化と長期にわたる戦争のため、植民地以前 の文化財の大半は破壊され、あるいは国外へ流出した。特に、ベトナムに現存する染織 の文化財は極めて少ない。かつてのチャンパ王国の建築・彫刻の現物がベトナムに数点 残されているが、伝統的な染織品についてはほとんど残されていない。日本においてチ ャンパ王国との関連がある染織品が発見されることは、ベトナム人の研究者が予期しな いことであり、その特徴を明らかにすることはベトナム美術の研究において非常に肝要 である。以上のように、チャンパ裂の研究は、ベトナム・チャンパの美術史の研究と日 本・べトナム間の交流の研究において重要な意義を有している。 161 参考文献 古文献 大枝流芳編『雅遊漫録』大阪渋川清石衛門・大賀惣兵衛刊 1763 年 湖月編『茶家酔古襍』初輯 1842 年・二輯 1844 年・三輯 1845 年・四輯 1847 年・五輯 1848 年 松平不昧編『古今名物類聚』1787 年 編者不明『万宝全書』京都菊屋七郎兵衛刊 1718 年 書籍 日本語書籍 石田千尋『日蘭貿易の史的研究』吉川弘文館 2004 年 上田正昭監修『講談社日本人名大辞典』講談社 臼井勝美『日本近現代人名辞典』吉川弘文館 浦野理『日本染織総華 2001 年 2001 年 縞・格子』文化出版局 1973 年 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』霞会館 切畑健『名物裂』京都書院 1996 年 1994 年 熊倉功夫『茶の湯と茶人の歴史』思文閣出版 2016 年 国史大事典編集委員会『国史大事典』吉川弘文館 国書総目録編集委員会『国書総目録』岩波書店 1979~1997 年 1970 年 五島美術館学芸部編『遠州の観た茶入 : 中興名物茶入を中心として』五島美術館 1996 年 162 五島美術館学芸部編『名物裂 : 渡来織物への憧れ』五島美術館 三省堂編修所『コンサイス人名辞典』三省堂 2001 年 1976 年 サンリツ服部美術館編『茶入と棗 : サンリツ服部美術館コレクションの鑑賞』サン リツ服部美術館 2014 年 澁江終吉『名物裂の研究』工政會出版部 小学館編集『日本大百科全書』小学館 1933 年 1984-1994 年 新潮社辞典編集部『新潮日本人名辞典』新潮社 鈴木『名物裂事典』鈴木時代裂研究所 1991 年 2005 年 住友和子編集室・村松寿満子編『ミステリアス・ストライプ―縞の由来』INAX 出 版 2002 年 高橋義雄編『大正名器鑑』大正名器鑑編纂所 1922 年 滝本誠一編『日本経済叢書 第 巻』日本経済叢書刊行会 竹内誠、 深井雅海編『日本近世人名辞典』吉川弘文館 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