目次 論文要旨 - 序章 - 第一節 本研究の目的と問題設定 - 第二節:先行研究と本研究の位置づけ - 第三節:研究範囲、研究対象、研究方法 - 第四節 本研究の構成と各章の概要 - 第一章 江戸時代後期の漢詩の特徴 - 10 - 第一節 漢詩の詩題の多様化 - 10 第二節 日常的な物事を詠む詩 - 13 第二章 家庭生活及び塾における子ども - 20 - 第一節 家庭生活における子ども - 20 第二節 塾における子ども - 27 第三章:風景を詠む詩における子ども - 35 第一節:田舎の風景における子ども - 35 第二節:都会の風景における子ども - 46 終章 - 49 参考文献 - 54 - 論文要旨 本論文は、江戸後期の漢詩の詩題の多様化によって、漢詩の詩題となった子どもに着目し、江 戸後期の漢詩における子どもの表象について検討を行った。本論文では、江戸後期の漢詩にお ける子どもはどのように表現されたのか、またなぜ子どもが描写されたのかというリサーチク エスチョンを設定している。 江戸後期の漢詩は最も重要な特徴は写生的な詩風であると、多くの先行研究で論じられている。 抒情的な詩風から写実的な詩風への漢詩の転換を基に、江戸後期の漢詩における詩壇・詩人の 詩風及び詩論を論じた研究は十分ある。また、先行研究における各詩人の漢詩の解釈では、漢 詩の全体の意味が問われ、中国の古典詩歌との比較や詩において新たな展開があるかについて の検討がなされている。しかし、漢詩の特定のモチーフを分析し、そのモチーフから漢詩のど のような意味が読み取れるのかに関する研究は尐ない。さらに、植物というモチーフを対象と しての研究はなされているが、人間を一つのモチーフとして取り上げた研究はまだなされてい ない。 本論文では、漢詩を解釈する際に、子どもというモチーフを中心として分析した。事例として、 漢詩で描かれている子どもを取り上げ、子どもの表象に内実を明らかにしていった。子どもを 詠む詩は家庭、塾、田舎、都会という空間によって分類し、それぞれの空間における子どもが 詩の全体に対し、どのような役割をもつのか検討していった。さらに、子どもという漢詩のモ チーフとして検討するだけでなく、人物描写論に基づいて、漢詩という文学作品における子ど もの機能も考察した。 このような手法により、以下の四つの結論を導き出した。第一に、子どもと大人という二者 の対比的な関係が浮び上がってくる。子どもの無邪気さは大人の悩みを浮き彫りにする。第二 に、純粋である子どもと汚れた社会の対比が読み取れる。第三に、子どもは家族の表徴である ことが言える。第四に、後世の人間の代表として子どもの姿を読み取ることができる。 -2- 序章 第一節 本研究の目的と問題設定 日本の文学において子どもは上代文学から現代文学にいたるまで多くの作品に登場してきた。 それぞれの時代の文化的・社会的な環境に忚じて、文学作品に登場した子どもの様相は多様で ある。しかし、どのような時代でも、子どもの世界は大人の世界と異なり、未熟さと無邪気さ を持っている。江戸時代の文学の豊富な作品の中で、小説や俳諧などに子どもは登場している。 文学における子どもは、その時代あるいは文学形態に忚じて様々な視点から描写され、それに ついて研究もなされてきた。しかし、中国から日本に入ってきた漢詩というジャンルにおいて 子どもがどのように表現されたのかに関しては、まだ十分に研究がなされていない。 日本における漢詩は、漢文学が盛んになった江戸時代に最も隆盛し、漢詩人も多く輩出され た。江戸時代の漢詩は江戸前期と江戸後期の二つの時期に大きく分けられる。そのうちで、江 戸後期は漢詩人・漢詩ともに豊富な時期であったと言える。江戸後期は十八世紀後半から幕末 までの約百年である。江戸後期の漢詩は江戸前期の漢詩と異なり、写生的な詩風を重んじる傾 向がある。詩人は眼前の物事を忠実に詩に反映する。このような眼前の物事を詠じる中で、自 然はもちろん、人間の生活も詩題となっていった。詩人と同じ世界を共有する大人以外に、別 の世界を有する子どももまた大切な詩題となった。江戸後期の以前に子どもを詠む詩は尐ない が、江戸後期の漢詩には多く登場してきた。 本研究の目的は、江戸後期の漢詩において子どもの表象を明らかにすることである。本研究 で「漢詩における子どもの表象」を研究テーマに選んだ理由は、写生的な詩風を特徴とする江 戸後期の漢詩のなかに、子どもが詠まれたものがあることを知り、子どもはどのように描写さ れたのか、なぜ子どもが漢詩に登場したのか、解明したいと考えたからである。これらは本研 究における二つのリサーチクエスチョンである。 第二節:先行研究と本研究の位置づけ 2.1.先行研究 -3- 江戸時代の漢詩に関するこれまでの研究には主に二つの傾向がある。ひとつは江戸漢詩の変 容や転換などを取り上げ、江戸漢詩全体の特徴に注目したものであり、もうひとつは各漢詩人 の詩風・詩論について分析したものである。 ① 江戸漢詩についての先行研究 a 松下忠『江戸時代の詩風詩論―明・清の詩論とその摂取』(明治書院、一九六九) 松下は江戸漢詩を四期に区分し、それぞれの時期の漢詩の詩壇及び代表的な詩人の詩風・詩 論を論じた。さらに、江戸時代の漢詩人がどのように中国の詩歌における「格調説」、「性霊 説」、「神韻説」を受容したか、またそれをどのように展開したのかを明らかにしたものであ った。すなわち、詩人の詩論を読み解くことで、唐・宋・明・清の詩論・詩風」のどの部分に 価値を見出し、受容していったのかを分析した研究であると言えよう。 松下の研究によれば、十八世紀後半以降は、宋詩を積極的に受容(模倣)していた詩人、ま た性霊説の影響を受けた詩人が圧倒的に多いという。そして、宋詩、性霊説に影響を受けた詩 人たちの詩風の特徴として、「真実・自由・個性的・清新」などが挙げられていた。 しかし、松下の研究は、中国の影響を中心として分析しているため、漢詩が日本文学の一つ のジャンルとして、日本国内でどのように変容していったか、まだ十分に分析されていない。 また、個々の詩人の詩風の考察では、詩人が関心を持っているテーマに基づいて詠まれた詩と いう事例を出したが、このような事例においてどのようなところに格調説・性霊説などの影響 が見られるのか、明らかにされていない。 b 揖斐高『江戸詩歌論』(汲古書院、一九九八) 揖斐の研究では、江戸時代の漢詩の特徴及び変化について論じていた。その中では、江戸前 期の漢詩において、荻生徂徠(一六六~一七二八)が果たした役割として、唐詩の積極的な需要 を促したことが挙げられていた。そして、十八世紀半ばより、唐詩の格調派への批判として、 精霊説が台頭してきた事情を論じていた。さらに、江戸時代の漢詩のもっとも重要な特徴とし て「擬古典主義から現実主義的・個性的詩風への転換」を挙げた。 また、江戸時代の漢詩の中で、「詠物詩」という漢詩の一つの種類を挙げ、漢詩と俳諧の接 点について考察した。揖斐によれば、日常性や写実性の要素をもつ詠物詩は俳諧の特徴と近似 -4- するという。さらに、事例を通じて、近世の漢詩の現実主義化、すなわち日本化という特徴を 明らかにしていた。 しかし、揖斐の研究では、特定の詩壇及び詩人が選定されており、江戸後期の漢詩の事例の 数が限られている。また、江戸前期から江戸後期へ転換について、事例を通じての分析、比較 はまだされていない。 ② 漢詩における子どもについての研究 a 中村真一郎『江戸後期』(岩波書店、一九八五) 中村は江戸時代後期の漢詩を自然、家庭生活、都会生活、海外などといういくつかの題材に 基づいて分類し、江戸後期の多くの詩人の漢詩を解説した。それぞれの題材において、各詩人 の漢詩の解釈することを通じて、江戸後期の漢詩に見られる写実的な詩風を確認した。また、 その中で取り上げられた題材の中で子どもを詠む詩の分析があるが、描かれた子どもの表象を 明らかにするところまでは至っていない。 b.西原千代『菅茶山』(白帝社、二〇一〇) 江戸後期の漢詩において、子どもに関する漢詩を最も多く詠んだのは菅茶山(一七四八ー一 八二七)である。西原の研究には「子どもを詠む詩」という一節があり、菅茶山の詩における 子どもの特徴と詩への効果が検討された。しかし、菅茶山の漢詩における子どもの特徴につい ての検討にとどまり、江戸後期の他の詩人における子どもの描かれ方との相違は明らかにされ ていない。漢詩における子どもという人物像を中心に分析する研究はほとんどなさていない。 2.2.本研究の位置づけ ここに挙げた先行研究から分かるように、これまでの江戸後期の漢詩の研究は、詩の意味の 解釈及び詩人の詩風を論じることが一般的であった。 本研究はこのような先行研究における論点に基づいて、江戸時代後期の詩風の特徴を展開し て、子どもを詠む詩という事例を通じて論じていく。まずは、江戸後期の漢詩の自由・日本化 という特徴の背後にあったのは詩題の多様化であったということを論証する。漢詩の自由さを 重視するため、どのような物事も詩題として詠まれるようになった結果、詩題が多様化された。 本研究では、このような多様な詩題が詩でどのように表されているのか、子どもを詠む詩と いう特定のテーマに即して、検討していく。先行研究では、各詩人の個別の考察であるが、子 -5- どもというモチーフを軸として、多くの詩人の漢詩を取り上げるところに本研究の特徴がある。 その子どもというモチーフを通じて、詩人の詩風の共通点・相違点を浮き彫りにしていく。ま た、自然・家庭生活・都会生活という場面を詠む詩は先行研究で別々に考察されていたが、本 研究では各場面における子どもという共通の詩材を分析する。 第三節:研究範囲、研究対象、研究方法 本研究は、漢詩における子どもをテーマとするが、扱う範囲を日本の江戸時代後期に限定し た。江戸時代の漢詩は、いくつかの時代区分がある。松下の説では、江戸時代の詩壇に「第一 期」(一六〇三~一六七九)、「第二期」(一六八〇~一七五九)、「第三期」(一七八〇~ 一八三六)、第四期(一八三七~一八六七)という四期に区分する i。また、杉下の接では、 江戸時代の漢詩には「江戸前期」(十七世紀)、「江戸中期」(十八世紀の前半)、「江戸後 期」(十八世紀の後半から十九世紀の前半まで)、「幕末」(十九世紀の半ば以降)があると いうii。このような江戸漢詩の時期の分け方は、江戸漢詩の詩風の転換や政治史の時期区分な どに基づいたものである。十八世紀の半ばに漢詩の宋詩の影響下にある多くの漢詩人のが登場 する時期を転換点とし、十八世紀前半以降である江戸前期と江戸後期に大きく分ける。そのう ち、江戸後期は十八世紀の後半から幕末までの約百年の程度とする。 また、本研究で「子ども」という存在を対象として検討するため、詩で詠まれている「子ど も」がどのような存在であるか、明らかにする必要がある。すなわち、詩で詠まれている子ど もとはどのような人物像を指す言葉なのかという、子どもの定義を明らかにすることが必要で ある。江戸時代では十五歳以上は成人であると考えられていたため、十五歳未満は子どもと言 えよう。ただし、漢詩において、「子ども」の年齢は述べられないことがほとんどである。 「子ども」に関連する語句が用いられているとき、その主眼は、子どもの年齢を確定すること よりも、子どもの未熟さや無邪気さを強調することにある場合が多い。さらに、年齢に関わら ず、家族の一員としての子どもを表す場合がある。その場合、最も多いのは詩人の娘や息子の ことを指す用例である。詩人は家庭生活を詠む詩に、自分の十五歳以上の息子や娘を指す存在 について描写することもある。しかし、家族における子どもはどのような年齢でも、父親であ i 松下忠『江戸時代の詩風詩論―明・清の詩論とその摂取』(明治書院、一九六九)、九頁 杉下元明『江戸漢詩:影響と変容の系譜』(ぺりかん社、二〇〇八)、十頁 ii -6- る詩人にとっては幼い存在であろう。本論文は、年齢を問わず、大人と違う世界の存在であり、 未熟で幼い特徴が詩人によって観察され、「児童」、「稚子」、「幼児」などの表現が用いら れる存在を「子ども」として扱う。 本研究の研究方法については、文学的なアプローチを適用する。テーマに沿った漢詩を選定 し、作品の内容及び作品で用いられている文学的な表現を分析することを通じて、リサーチク エスチョンへの回答を探求する。本研究では、漢詩における子どもの表象を明らかにするため、 人物描写論という理論に基づいて、検討していく。この方法論では、作品のおける人物はどの ように描写されているのか、そしてそのような人物の描写を通じて、詩人はどのようなことを 伝えたいのかを論じる。また、その分析のなかで詩人のスタイルが見えてくることもある。本 研究では、漢詩と子どもを作品と人物に相当させ、子どもがどのように描写されているのか、 また子どもの表象はどのような機能を担っているのかを検討するため、人物描写論に基づいて 考察を行う。 また、江戸時代の漢詩を対象とする本研究に歴史的なアプローチも含まれている。本研究で 分析する資料は江戸後期の詩人たちの詩首であるが、漢詩が作成された時期の順番に基づいて、 分析を行うわけではない。各首の漢詩の共通のモチーフを検討し、事例の分析と比較を行う。 江戸後期の詩人の数は多いが、すべての詩人を把握することができないため、主に『日本漢詩 人選集』及び『江戸詩人選集』で紹介されている江戸後期の漢詩人を検討していく。その中で、 良寛、頼山陽、市河寛斎、村瀬栲亭、成島柳北、広瀬淡窓、柏木如亭、中島棕隠の漢詩におい て、子どもを詠む詩がみられる。この二つの漢詩選集における子どもを詠む詩首の以外に、紹 介されている詩人の詩集に子どもを詠む詩があれば、それも研究の資料とする。例えば、この 二つの漢詩選集のほかに、茶山の『黄葉夕陽村舎詩』という詩集も検討の対象とする。 第四節 本研究の構成と各章の概要 第一章、第二章、第三章の各章では以下の問題を設定し、論じていく。 第一章の問題設定は、なぜ江戸後期の漢詩において、子どもが多く詠まれていたのかという ものである。その問題を解決するために、江戸後期の漢詩の特徴について概観する。江戸後期 の漢詩の「題材の多様化」をもっとも大きな特徴として論じていく。江戸後期の漢詩の「自由」 及び「身近な物事を詠む」という性質は漢詩の題材を多様化させた。さらに、このような多様 -7- 性のある題材の中で、日常的な物事を詠む詩が登場した。漢詩の題材の多様化と日常的な物事 を詠む詩の登場について、中国からの影響という外的な角度からと、日本の社会あるいは文学 という内的な角度から考察を行う。日常的な物事を詠む詩が隆盛する中で、詩人と同じ空間に 存在する人物は詩の一つの素材になっていった。詩人と同じ世界に属する大人が素材となった のはもちろんであり、それに加えて、詩人とは違う世界に属する子どもも素材となった。また、 江戸後期の漢詩における子どもは詩の素材としてだけでなく、詩の題材としても扱われ、子ど もの言動が詳細に描写された詩も尐なくない。 第二章と第三章では、第一章の考察を基に、子どもが具体的にはどのような場面で描かれて いたのかを明らかにする。ここでは、子どもが登場する空間ごとに分けて、分析を試みる。空 間は「内」と「外」で分類を行った。第二章では、内的な空間である、家庭生活及び塾に着目 する。第三章では家庭と塾の外側にひろがる、田舎あるいは農村、都会の風景における子ども を対象とする。家族は、子どもにとってもっとも親しいものであろう。子どもは生まれた瞬間 から、家族と不可分な存在である。その後、大きくなり、家を出て、塾に行ったり、田舎か都 会に遊びに行ったりするようになる。また、家庭や塾という空間では、子どもたちは詩人の家 族の一員あるいは生徒でもあるため、詩人はその子どもをよく知っていることになる。それに 対して、田舎と都会の風景を詠む詩における子どもは、詩人が知らない子どもであることが多 い。それは、詩人が田舎及び都会でたまたま出会った子どもを詩に反映したものが多いからで ある。 第二章では家庭生活と塾における子どもの表象を明らかにする。家庭生活における子どもを 詠む詩としては、父親また祖父である詩人の詩を取り上げ、子どもの言動、行為、外見の描写 を中心として分析を行う。また、子どものこのような特徴だけでなく、家庭生活における子ど もの表徴的な特徴についても検討していく。次に、教育機関である塾における子どもの分析を 試みる。塾における子どもは、多くの詩人に詠まれているわけではなく、そのほとんどが菅茶 山の詩であるため、茶山の塾における子どもの姿に絞って分析する。茶山は塾の教師として多 くの視線から子どもを観察し、詩で描いた。 第三章では、風景を詠む詩における子どもの表象を分析していく。その際に、描かれた風景 は、田舎のものと都会のものの二つに分類した。田舎における子どもは農村の生活を送ってお -8- り、遊ぶ姿や手習いをする姿だけでなく、働く姿も詠まれている。さらに、詩人は子どもを観 察するだけにとどまらず、子どもとの交流することもあり、その様子が詩に詠じられることも あった。一方、都会における子どもについては田舎の子どもと比べて、どの程度、江戸時代の 社会の「俗」の影響を受けたのかという点についても検討していく。 終章では、江戸後期の漢詩における子どもはどのような表象として機能したのかという結論 を述べていく。また、本論文の結論には、文学研究における人物描写論がどのように適用でき たのかも論じていく。最後は本研究の今後の課題を挙げていく。 -9- われうた かれ これ 我歌渠打之 我 歌えば 渠 之れを打つ 打去又打来 打ち去り 不知時節移 時節の移るを知らず う さ じせつ 行人顧我笑 う 又 うつ き 打ち来たり し こうじん われ 行人 我を 顧 みて笑う なに 何因其如斯 また う よって 何に 因 か かえり わら それ かく 其 斯の如きと ごと ていとう これ 低頭不忚他 低頭して 伊に忚えず 道得也何似 道い得るとも い かちゅう 要知箇中意 元来只這是 う い こた また いか 也 何に似せん し に ねが 箇中の意を知らんと要わば がんらい ただ これこれ 元来 只 這是 (『良寛詩集』) この詩は二月の明るい一日の良寛と子どもたちについて描かれている。良寛が出かけようと すると、子どもたちに見つかった。子どもたちはうれしくて、友達を呼んで、みんなを寺の門 の前に集めていた。子どもたちは良寛を待ち構えていたので、良寛が出てきてうれしいのであ ろう。 良寛と子どもとの遊びは詳細に描写されている。良寛は子どもと一緒に楽しく遊んで、時間 の経つのも忘れた。良寛は子どもの世界に入って、その世界の一員として過ごしていた。大人 であるにも関わらず、子どものように無邪気に遊んでいた。 このような良寛の様子は、道行く人から見れば、おかしく見えるであろう。最後良寛が子ど もらしい生活をしているのではなく、良寛が子ども好きであることが分かる。 このような友達を呼んで、騒ぐ子どもたちの姿は茶山の「春日雑誌一」の句を連想させる。 じどう 児童喚其侶 そ きんきん 欢欢戯路岐 よ ろ き たわむ 欢欢として 路岐に 戯 る いた 傷此單居客 とも 児童 其の侶を喚び こ たんきょ きゃく 傷む 此の單居の 客 - 41 - ゆうかい まさ 幽懐 将に誰にか 訴 えんとする 幽懐将訴誰 だれ うった (『黄葉夕陽村舎詩』) 菅茶山の詩における子どもの行為は良寛の詩におけるものと同じだろう。春の日に友達を呼 んで、嬉しそうに道に出て、元気いっぱいの子どもたちが菅茶山の目に止まった。しかし、良 寛と異なり、茶山と子どもたちとの交流はそれほどなくて、子どもの楽しみを描くことによっ て、茶山の孤独な気持ちの対比がより強調され、浮かび上がっている。 良寛にとって子どもたちと遊ぶことは人生の一部であった。それは詩の中に反映されている。 日々日々又日々 に ち に ち また にちにち 日々日々 又 日々 のどか 閒伴児童送此身 じどう ともな こ み おく 閒 に 児童を 伴 って 此の身を送る きゅうし りょうさんこ 袖裏毬子両三個 しゅうり 袖裏の毬子 両三個 むのう ほうすい たいへい 無能飽酔太平春 無能 飽酔す 太平の春 はる (『良寛詩集』) 良寛の漢詩には子どもと毬が登場することが多い。子どもと一緒にならば、毬で遊びながら、 手毬つきの歌も歌う。子どもと毬は良寛の人生にとって欠かせないものであろう。 良寛は子どもと過ごす時間を楽しんでいるが、病気の時は、子どもと会えなかった。その寂 しい時間を良寛はどのように過ごしていたのだろう。良寛の作品の中に「病中作三首」がある が、そのうちの「一」を取り上げる。 ひと 独臥草庵裡 終日無人視 ふ そうあん 独り臥す うち 草庵の裡 しゅうじつ ひと 終日 人の視る無し み はつのう なが 鉢嚢永掛壁 鉢嚢 永く壁に掛け うとう まった 烏藤全委塵 烏藤 ゆめ 夢去翔山野 ちり か まか 全 く塵に委す ゆ さんの かけ 夢は去きて 山野を翔り たましい 魂帰遊城闉 かべ な かえ 魂 は帰りて じょういん あそ 城 闉 に遊ぶ - 42 - はくじょう 陌上諸童子 しょどうじ 陌 上 の諸童子 きゅう 依旧待我臻 よ われ 旧 に依りて いた ま 我が臻るを待つ (『良寛詩集』) 病中の良寛は一人で「草庵」に住んでいた。病床で良寛は様々なことを考えていた。人はだ れでも寂しい時に、幸せな思い出について考えるのだろう。その幸せな思い出の中で、良寛は 子どもの姿を思い出した。いつものように、子どもたちは一緒に遊ぼうと、良寛のことを待っ ていたが、病気である良寛は子どもと遊べないのである。元気な子どもと病気の良寛、または 楽しく遊ぶ子どもと一人で孤独な良寛の身体的及び心理的な対比が見られる。この詩は第二章 で解釈した茶山の「病中即時二首」を連想させる。良寛と茶山にとって、子どもは特別な存在 であるからこそ、どのような場面でも子どもの姿が想像されてくるのであろう。元気な時には、 子どもと遊んだり、手習いを教えたりしていたが、病気でこのような日常的な活動ができず、 寂しい気持ちが表されている。 これまで解釈してきた漢詩は、大人である詩人がどのように子どもを見るのかについて詩に 詠んだものが多いが、逆に子どもの大人に対する見方を詠む詩もある。 良寛は僧侶として時々、乞食もする。乞食する時に、周りの生活や景色を見ており、道や町 などにおける子どもの、良寛への態度と行為を「乞食」の詩首に詠んでいた。 十字街頭乞食了 じゅうじがいとう こつじき 十字街頭 乞食し了わり お はちまんぐうへん まさ 八幡宮辺方徘徊 八幡宮辺 方に徘徊す 児童相見共相語 児童 相見て じどう きょねん 去年癡僧今又来 あいみ はいかい とも あいかた 共に相語るらく ちそう いま またき 去年の癡僧 今 又来たると (『良寛詩集』) 町の子どもたちは乞食を済ませた良寛を見かけた。そして、友達同士目を見交わして、「去 年のお坊さんがまた来た」と言った。どのような子どもであるか具体的に描かれていないが、 良寛に好奇心を持っているのだろう。子どもたちにとって、良寛は他の人間と違って、特別な 人間であるので、子どもたちは去年に来た良寛のことをまだ覚えているのだろう。良寛がこの - 43 - ような子どもと会ったのち、子どもと話すのか、毬で遊ぶのか、どのような交流をするのか詩 で詠まれていないが、読者は想像を膨らませることができる。 この詩において良寛は自分について「癡僧」という言葉を用いている。遜った自称か愚かな 良寛であろう。しかし、このような愚かな良寛を見かける大人であれば、子どものような あいみ 「相見て とも あいかた 共 に相語 る」という行動をしないだろう。しかし、無邪気な子どもは大人と異な り、自分の考えを隠さずに、反忚していた。このような、子どもの行為を通じて、良寛も自分 のおかしさをより意識した。 このような、大人を見る子どもの描写は亀田鵬斎(一七五二~一八二六)の詩首にも見られ る。 春風陌上欹烏帽 しゅんぷう はくじょう うぼうそばだ 春風 陌上 烏帽欹つ さけ こうむ ほうか て う い 被酒放歌拍手行 酒を 被 りて 放歌し 手を拍ちて行く じどう かくにん ひと 児童確認斉相喚 児童 確認して 斉しく相い喚び わら ゆびさ 笑指金杉酔学生 かなすぎ 笑って 指 す あ よ すいがくせい 金杉の酔学生 (『鵬斎先生詩鈔』) 酔った鵬斎が歌を歌ったり、拍手したりするのは、傍目からするとおかしい行動であろう。 そして、このおかしさは子どもの反忚を通じてより強調されている。愚かな良寛に対して、子 どもたちは友人と話し合ったが、酔った鵬斎の面白い姿に対して、子どもは指を指して、笑っ た。両方の場面は天真爛漫な子どもの姿を表している。 子どもは良寛と鵬斎など、大人たちのおかしい姿に対する反忚以外に、あまり見慣れない物 事についても、激しく反忚する。中島棕隠はこのような子どもを描いていた。 お 老求安便携一嬢 あんびん もと いちじょう たづさ 老いて安便を求めて 一 嬢 を 携 う きゃくゆう したが ところ しじょう と 客遊随処把詩情 客 遊 を 随 う 処 、詩情を把る 村童不慣看紅紫 村童慣れず、紅紫を看るに そんどうな みち 攔路笑嘲京様粧 さえぎ こうし しょうちょう み きょうよう しょう 路を 攔 つて 笑 嘲 す、 京 様 の 粧 - 44 - (『棕隠軒西集』) この詩は棕隠の愛人同行の旅について詠んでいるが、それがどのような旅であるかは詳細に 描かずに、田舎にいる子どもがどのように都会の棕隠らを見たのかを詠じている。田舎の子ど もは都会のあでやかなの着物を見たことがないため、棕隠らの道を遮り、からかっている。田 舎の無邪気な子どもの姿が窺える。都会と田舎の装いの違いはだれにでもわかるが、子どもに とっては面白く感じられるのだろう。また、子どもは驚いて彼らを見るだけでなく、道を遮っ て笑うという反忚を示した。やんちゃで天真爛漫な子どもの登場は棕隠の旅の一部として詠ま れているが、そこには子どもの目から見た都会と田舎の対立が隠されていて、詩の面白さとな っている。 子どもの描写は、農村風景とともに詠まれることがもっとも多いと言えよう。江戸後期は江 戸や大坂だけでなく、地方からも多くの詩人が輩出された。その詩人たちは、都会ではなく田 舎で生活を営んでいた。詩人は目の前の物事、あるいは日常生活を詠むので、題材となるのは 田舎の生活となる。田舎の自然はもちろん、田舎に生きている人間も大きな主題のひとつであ った。その中でも、子どもという存在は多くの詩の素材になった。子どもといえば、手習いを しているか遊んでいることが多い。しかし、江戸後期の漢詩では遊ぶ子どもはもちろん、働く 子どもも多く描かれている。江戸時代に子どもは労働力の重要な一部であった。大人のように 働く子どももいれば、まだ仕事に慣れておらず大人から仕事を習っている子どももいる。どの ような場面でも元気で溂溁とした子ども像が描出されていることが多い。 しかし、詩人は目の前の子どもの様子をそのまま詩に反映するだけではない。田舎の風景を 詠む時に、子どもは詩の一つの素材として選ばれた。そして、子どもについて詠む時、子ども の新たな特徴が発見され、子どもは詩の素材だけでなく詩題にもなっていった。また、詩人は 子どもを観察するだけでなく、子どもとともに遊び、その交流の様子を詩に詠むこともあった。 詩人は子どもに対する愛情を持ち、大人の詩人と対比する形で子どもの姿を描写る。そして、 その姿を通じて、詩人の気持ちと感情が表されるのである。 子どもとの交流は詩人の人生の過ごしかたの一つで、人生の寂しさを忘れることが目的であ ろう。一方で、元気な子どもの姿を詠むことで、病中の詩人の孤独な気持ちが強調されること もある。 - 45 - さらに、大人である詩人は自分の様子を表すために、自分自身の言葉で詩で詠むのではなく、 子どもの見方を借りて、大人の特徴ををより浮かび上がらせるという手法を用いることもあっ た。 第二節:都会の風景における子ども 田舎における子どもは自然の動植物と一緒に楽しく遊んで、畑や水上などで働くことが多い が、都会における子どもはどのような空間にいるところを詩人によって描写されていたのか、 本節で検討していく。 柏木如亭(一七六三―一八一九)は「春興」という詩首で、都会における子どもの姿を詠ん でいる。 はな 遇花無酒又無銭 あ さけな ぜにな 花に遇ひて 酒無くまた銭無し なんえん ざちゃく じんじつねむ 坐着南簷尽日眠 南簷に坐着して尽日眠る 識得群児鬧街口 識り得たり 群児の街口を 鬧 すを し 風中紙破落庭鳵 え ぐんじ がいこう さわが ふうちゅう かみやぶ にわ 風中 紙破れて 庭に落つる鳵 お とび (『木工集』) これは、ある春の日を描出する变景詩である。如亭はその春の日に花見をしていた。花見を しているのであるが、お酒もお金もなく、如亭の生活は貧しい。仕方がないのでそのまま座っ て一日中寝ている。寝ていたら、子どもたちが遊んで騒いでいるのが解った。如亭の庭に子ど もたちの破れた凧が落ちたと言って騒いでいるのである。この詩は遊んでいる子どもを描いた ものだが、菅茶山の詩と異なって、これは田舎ではなく都会を舞台にしている。町にいる子ど もは川や谷などで水遊びをせずに、凧を揚げている。「群児」は多くの子どもという意味であ る。子どもたちが一緒に町のあちこちを走って凧を揚げる景色が想像できる。しかし、凧が如 亭の庭に落ちてしまったので、子どもが騒いて、如亭は起きてしまった。子どもたちは凧が破 れて落ちたことを残念に思い、どうすれば如亭の庭に落ちた凧を持ち帰れるのかについて騒い でいたのだろう。これは、現実を反映した詩であり、寂しい気持ちを抱えた如亭と元気で楽し く遊んでいる子どもたちの対比が表れている。子どもたちは如亭を眠りから起こすだけの存在 ではなく、つらい生活を過ごしている如亭に春の楽しみを思い出させる存在としても、描かれ - 46 - さけな ぜにな ているではないだろうか。人生への悩みを持っていない子どもと「酒無くまた銭無し」という 悩みを持つ如亭との対比も読み取れる。 如亭の詩は自分の生活の空間の一端を詠んでいるものであるが、その空間の外の、都会の生 活について詠んだものに、村瀬栲亭(一七四四-一八一九)の一首がある。 じょじじゅっさい あう さと そ うて まり きず けんつき し んか し 女児十歳慧於鶯 女児十歳、鶯よりも慧し 双手築毬妍月軽 双手、毬を築きて、妍月のごと軽し 新歌不識歌何事 新歌は識らず、何事を歌うを 数出金閨多尐情 数へ出す、金閨多尐の 情 かず だ なにごと きんけいたしょう かる うた じょう (『栲亭二稿』) この詩は町にいる女児について描いたものである。十歳の女の子は頭がよくて、両手で毬を つく。これは手毬つきという子どもの遊びであり、毬をつきながら歌を歌うものである。女児 が両手で滑らかに打っている毬は美しい月のようである。栲亭は女児が歌っている新しい歌を 知らないが、それは金閨について歌ったものである。 起句では栲亭が街で見た女児の紹介がされている。女児の年齢と特徴が述べられることから、 栲亭はこの女児のことを知っているのかもしれない。それとも栲亭は見た目で判断したのだろ うか。また、鶯は春の訪れを意識するものとして人に歓びをもたらし、愛される鳥である。女 児は鶯とともに描写され、それによって女児の明るさや可愛らしさが強調されているといえよ う。この詩は春の季節を詠んだものであろう。承句では子どもの行動を描いている。女児は両 手で手毬付きをしており、軽々と弾んでいる毬は美しい月のようである。元気で滑らかに毬を 操る女児の様子が目に浮かぶ。転句では毬つき歌について栲亭の面白い認識が示される。子ど もが歌う一般的な手毬唄は数え歌であるが、女児が歌っているのは艶歌のようである。栲亭の 詩における女児は明るくてかわいらしく、一般的な子どもの特徴を持っている。しかし、この 女児はまだ意味の分からない艶歌を歌っているのである。果たして、どこでこの歌を覚えたの だろうか。無邪気な子どもが当時の俗の生活から影響を受けたことに詩人は驚いたのだろう。 第一章で論じたように、江戸時代の社会の「俗」という要素は漢詩にも詠まれていた。しか し、この俗という特徴は愛欲または遊女の詩題として取り上げたものに見られることが多い。 - 47 - 栲亭は目の前の都会の風景をそのまま詩に反映しているのかもしれないが、俗社会における子 どもを描写することで、詩は新たな展開を迎えている。心が単純で、世の中の汚れを知らない 子どもと俗社会は対極に位置するかのようであるが、栲亭の詩を通じて、この二つの世界が接 近しているように見られる。都会における子どもからは当時の社会の性質が窺える。大人に対 して、子どもは弱い存在であろう。このような弱い人間は社会の事情がまだ全ては理解できて おらず、影響を受けやすいのであろう。 本章では田舎と都会という空間における子どもが漢詩にどのように反映されているのかを読 み解いた。写生的な詩風を重視した茶山や寛斎などの漢詩では、子どもの様子と言動が忠実に 描かれている。自由な詩風の良寛は自分自身の日常生活における子どもを多くの視点から描写 した。詩人は眼前にいる子どもを単に描写するだけでなく、子どもと、漢詩人あるいは大人と の身体的また精神的対比を利用し、大人の側の心中を描出することもあった。さらに、子ども の視点を通じて描くことで、物事の隠された一面をを浮かび上がらせる効果ももたらしている。 - 48 - 終章 漢詩ではよく自然が詠まれ、一般的にその自然を通して、人間の感情が伝えられる。しかし、 江戸後期の漢詩では人間を詩の中心として取り上げるという清新な詩風が登場してきた。詩の 中心となる人間は大人と子どもの二つに分けられ、それぞれに別の世界がある。子どもの性質 は大人と異なるが、両者は同じ空間で生活している。漢詩における子どもの表象を考察するこ とは、大人の世界の理解によって明らかになるだろう。 本論文では、江戸後期の漢詩のおける子どもの表象を考察することにより、大人とともに世 界に存在するものとして、子どもがどのように表現されていったのかを論じることができた。 江戸後期以前にはあまり詠まれていなかった子どもという存在を、漢詩の詩題へと構築して いったのは、本論文で取り上げた漢詩人たちの功績である。また、これは漢詩人の想像力と社 会的・文化的な文脈から生まれた構築物とも言えるであろう。 江戸後期の漢詩になぜ子どもが登場したのかについて、いくつかの理由が挙げることができ る。まずは、写生的な詩風を重視した江戸時代後期の漢詩の特徴が挙げられる。詩人の眼前に 子どもが存在したため、詩人はそのまま子どもの姿を詩に忠実に描写したというが、子どもが 漢詩に詠まれ始まりであろう。漢詩人が詩で子どもを詠むこと、漢詩には新しい展開がもたら されたと言えよう。はじめの段階では、詩人は目の前の子どもを詩で詠もうとするが、そこか ら一歩進めて、詩人が子どもの世界に入ることで、詩人が属する大人の世界とは異なる部分を 発見でき、その発見を通じて多くの側面から子どもを描写できるようになっていった。これは、 子どもが詩の「素材」から「題材」への変化していったことを意味しよう。詩人が自然や文学 研究の日常生活を詩題として詠む場合、また、ある思想・内容を詩という表現形式で述べる場 合には、何らかの素材が必要である。そのため、はじめ、子どもは川、畑などのいくつかの素 材と同じように詩で詠まれていた。それが、詩人が子どもの世界をより深く理解するに至って、 子どもは詩の「題材」となり、詩人は子どもを中心に描写するようになっていった。そのよう な詩では子どもの言動、行為が詳細に描かれていた。江戸後期の漢詩における子どもは詩の 「素材」から詩の「題材」へと転換したと言えよう。 - 49 - また、実際に目の前にいる子どもをモデルとする段階から、子どもを象徴として利用する段 階へと進むことで、詩の内容の転換がはかられた。すなわち、漢詩における子どもは現実的な ものから表徴的なものへと転換されていったと言えよう。以下の四点が挙げられる。 第一に、子どもを詠む江戸後期の漢詩を解釈することにより、子どもと大人という二者の対 比的な関係が浮かび上がってくる。子どもの未熟さや無邪気さなどは、詩人あるいは大人の人 生への悩みを浮き彫りにするであろう。子どもは大人のような知識を持っておらず、世の中の 悩みを知らない存在として楽しく生きているように詩人には見える。寛斎と茶山の詩では、子 どもの言動が忠実に描かれて、子どもがいる風景をそのまま詠んだと見られるが、子どもがい る風景によって詩人の情趣も膨んだと言えよう。悩みのない子どもを見ることで、詩人の心が 動き、詩人に詩を詠ませたのであろう。子どもは、子ども同士で交流し、子どもの遊びを楽し むことで日々を過ごしているが、大人は人生の孤独及び寂しさを感じ、自分の人生の楽しみが どこにあるのか見失ってしまうことがある。また、茶山と良寛は子ども好きな性格であるため、 子どもとよく交流し、大人の世界を離れて子どもの世界に入り、まるで子どものように単純な 喜びや楽しみを見出そうとすることがある。茶山と良寛には、病中に詠んだ詩首の中に、子ど もを登場させたものがある。元気で楽しく過ごしている子どもを見ると、病気で孤独な詩人は 慰められるのだろう。さらに、鵬斎と棕隠の詩では、子どもの世界の見方を通じて、大人の特 徴が見えるようになった。子どもによって、世の中のおかしさやおもしろさなどが無邪気に表 される。大人はこのような子どもの世界の見方を借りることによって、自分自身の言動の特殊 性が見出せる。 第二に、純粋な子どもと汚れた社会の対比も読み取れる。時とともに子どもは成長していく ものである。このように成長していく子どもは、だんだん子どもの世界を離れて、大人の世界 に入っていく。子どもは世の中に影響され、その純粋さは徐々に失われていくと言えよう。子 どもを描いた漢詩のなかには、社会に影響されて変化していく過渡期の子どもの姿を捉えたも のもあった。社会の事情から影響を受けるのは社会的に弱い立場にある子どもたちであった。 第三に、子どもは家族の表徴であることが読み取れる。頼山陽と栲亭の詩から分かるように、 子どもがいる家族からは暖かい雰囲気が想像でき、詩人の、家族への愛情が表される。また、 子どもがいる幸福な家庭は、複雑で悩みの多い「外」側の世界と対比して描かれている。世の - 50 - 中の混乱から逃げたい、世間の悩みを忘れたいと思ったときに、詩人の脳裏に浮かぶのは、暖 かい家族の存在であろう。これは「内」と「外」の世間との対比である。 第四に、後世の人間の代表としての子どもの姿を読み取ることができる。如亭と淡窓の場合、 詩人は、子どもの姿を見て、自分の生きてきた道を連想する。子どもがこれから、自分と同じ ような失敗をしないようにしてほしいと、子どもへの期待がこめられることもある。子どもを 通じて、すでに過ごした人生の追憶が描かれることもある。父親として、子どもを身体的にも 精神的にも成長させなければならない、詩人の悩みが描かれることもある。 江戸後期の漢詩における子どもの表象を明らかにするために、本研究は人物描写論という方 法論に基づいて検討を行った。文学研究では、小説における人物を研究するため、人物論とい う論じ方が一般的に用いられる。一方で、漢詩の研究の中では、漢詩における自然、また生活 における物事を対象として取り上げたものは多いのであるが、人物論の視点からの分析はまだ あまり存在していない。人物描写論において、作品の人物は作者にとっての現実を反映するこ と(客観的な機能)と作家のスタイル(本論文では詩風と言えよう)を表すこと(主観的な機 能)の二つの機能を持っている。そのため、作品における人物の特徴及び人間に関して、作者 の芸術的な観点の理解が必要である。このような理解に基づいて、人物の特徴によって表現さ れている現実の様相及び作者が人物を通じて伝えたいことを明らかにできる。人物は主に外見、 内心、行為、言語という四つの要素から形成されている。また、人物の分析は二つの方向が考 えられる。一つは人物に相当する物事あるいは人物の普遍性を明らかにするものであり、もう 一つは人物に相当しない物事あるいは人物の特殊性を明らかにするものである。作品における 人物が分析するためには、作者の目的の理解が必要である。具体的に、作者の何のために、作 品を作るのか、その作品を作成する過程では人物を造形するのはどのような目的であるかとい う点を理解しなければならない。また、文学における描写には、場面を作る(空間)という機能 と視点を作る(物事への観点)機能がある。 本研究は人物描写論に基づいて、子どもという人物の上述の二つの機能を明らかにすること ができた。前者の観点からは、詩人の家庭生活、塾、田舎と都会の風景を詠む場合、眼前の光 景にある子どもが詩人の目に留まって、詩に反映されるものと言えよう。後者の観点からは、 子どもという人物を通じて、詩人がどのようなことを伝えたいのかという表徴的なものが表さ - 51 - れることもある。これは、個々の詩人の考え及び事情に影響を与えられる。すなわち、詩人の 家庭生活、塾、田舎と都会の風景を詠むとき、その光景の一部をなす子どももまた読み込まれ るとき、子どもは場面を形成する機能を担う。また、詩人が自分の視点ではなく、子どもの世 界の見方を借りて、情景を描写するとき、子どもは視点を作る機能を担っているといえよう。 一般的には、子どもの特徴には未熟、かわいい、無邪気という共通点が見られるが、それぞれ の漢詩人が、子どもをどのような存在と見なすかは、当然のことながら、異なっている。子ど もは家族、後世の代表でもあり、大人と対比されるという意味もある。子どもの表現を通じて 特定の意図を表すことができる。漢詩における子どもは、詩の一首から子どもの外見、内心、 行為、言語を十分に読み取れることはほとんどなく、各詩人の詩首からをいくつか並置するこ とで、それぞれの子どもの特徴が見られると言えよう。また、本研究では子どもの普遍性と特 殊性をもとに明らかにできた。多くの漢詩において共通する子どもの特徴として、無邪気さや かわいらしさなどが見出せた。これは漢詩における子どもの普遍的な特徴であるといえよう。 一方、大人のように思いやりがある子どもや俗の社会の影響を受けたという子どもという特殊 な子どもの様相も見出すことができた。さらに、本研究では、子どもという人物が登場する空 間に分け、その空間における子どもの特徴を明らかにでき、詩人の詩作の目的が述べられた。 本論は、「人物描写論」に基づき、子どもの表象を詳しく分析することができた。 本論文はいくつかの作者の漢詩における子どもの表象を分析してきたが、子どもを詠む詩は 個々の詩人の性格や事情に影響されるため、詩風や詩論により、一律に分類しきれないという ことが分かった。第一章で、江戸後期の漢詩には「詩題の多様化」という特徴があることを明 らかにしたが、子どもはその詩題の中の一つである。また、子どもを詠む詩では、子どもの行 為、言動、外見などが様々な角度から描かれて、一口に同じ子どもを詠む詩といっても、その 詩の内容は豊富と言えよう。第二章と第三章で子どもを詠む詩を解釈したことにより漢詩にお ける子どもには、写実的に描かれた子どもと、なんらかの表象的な機能を担った子どもの二つ のレベルがあることが分かった。さらに、第二章と第三章では、子どもを詠む詩は写実的な描 写を重んじている詩風として解され、それはすなわち变述性の詩であると言えるが、子どもの 表象が読み取れたことを通じて、そこから詩の浪漫的な特徴も見えるようになった。これは 個々の詩人の抒情性であると言えよう。 - 52 - 本研究では江戸後期の漢詩における子どもの表象を考察したが、それだけでは十分に検討で きなかった点を、今後の研究課題として提示する。 第一に、江戸後期の他の文学のジャンルにおける子どもが、漢詩における子どもと何らかの 関係を持っていたのかという点について検討していくことである。特に、漢詩は俳諧に近い特 徴を持つため、俳諧において子どもの表象が担った意味を明らかにする必要がある。江戸後期 の俳人の中では、小林一茶の俳諧にもっとも子どもの表現が多いと言える。例えば、一茶に 「正月の子供に成て見たき哉」、「泣くな子ども赤い霞がなくなるぞ」など句がある。一茶の 俳諧に登場してきた子どもと漢詩における子どもの表象の関係を今後の分析の対象としたい。 ゆくゆくは、それをさらにおし進めて、江戸後期に存在した様々な文学ジャンルにおける子ど もの表象の分析を行い、同時代の子どもの持つ特徴を明らかにしたい。 第二に、日本の漢詩に影響を与えた中国の古典詩歌における子どもの表象を解明することで ある。本論文でもいくつかの中国の詩句における子どもの表現を紹介したが、中国古典詩歌に おける子どもの表象はまだ十分に検討していない。江戸後期の漢詩は、中国の宋詩からの影響 がもっとも強かったため、宋詩における子どもと江戸後期の漢詩における子どもにはどのよう な共通点と相違点があるのか、考察したい。漢詩という一つの文学ジャンルに子どもがどのよ うに表現されるのかを明らかにすることはもちろんである。 - 53 - 参考文献 (発行年月順) 第一次資料 清田黙『范石湖四時田園雑興詩鈔』清田黙 (一八七九) 成島柳北『柳北詩鈔』博文館 (一八九四) 梁川星巌全集刊行会『註解梁川星巌全集』梁川星巌全集刊行会 (一九五六) 渡辺秀英『良寛詩集』木耳社;増訂版(一九七四) 島谷真三、 北川勇共 『茶山詩五百首: 黄葉夕陽村舎詩抄解』児島書店(一九七五) 柏昶永日(『如亭山人藁』三樹書房(一九八一) 菅茶山『黄葉夕陽村舎詩』 児島書店(一九八一) 富士川英郎『詩集日本漢詩 第 巻』(寛斎遺稿巻五)汲古書院(一九八五) 伊藤靄谿『山陽詩鈔』(山陽詩鈔新釈) 書芸界(一九八五) 10 富士川英郎『詩集日本漢詩 第 12 巻』(棕隠軒集・鴨東四時雑詞・行庵詩草ほか)汲古 書院(一九八七) 11 佐野正巳 『詩集日本漢詩 第 15 巻』(芸閣先生文集・鵬斎先生詩鈔・ほか)汲古書院 (一八八九) 12 黒川洋一『菅茶山・六如』岩波書店(一九九〇) 13 入谷仙介『頼山陽・梁川星巌』岩波書店(一九九〇) 14 揖斐高『市河寛斎・大窪詩仏』岩波書店(一九九〇) 15 日野龍夫『成島柳北・大沼枕山』岩波書店(一九九〇) 16 徳田武 『野村篁園・館柳湾』岩波書店 (一九九〇) 17 斎田作楽『鴨東四時雑詞』(鴨東四時雑詞註解)太平書屋 (一九九〇) 18 岡村繁『広瀬淡窓・広瀬旫荘』岩波書店(一九九一) 19 吉野 秀雄『良寛歌集』平凡社(一九九二) 20 水田紀久『葛子琴・中島棕隠』岩波書店(一九九三) 21 井上源吾 『広瀬淡窓の詩―遠思楼詩鈔評釈』葦書房 (一九九六) 22 鈴木瑞枝『館柳湾』研文出版(一九九九) 23 入谷仙介、富士川英郎、佐藤正巳、入矢義高、『柏木如亭』研文出版(一九九九) 24 富士川英郎、入谷仙介、入矢義高、 佐野正巳『広瀬旫荘』研文出版(一九九九) 25 入谷仙介『中島棕隠』研文出版(二〇〇二) 26 井上慶隆 『良寛』研文出版(二〇〇二) 27 林田慎之助『広瀬淡窓』研文出版(二〇〇五) 28 入矢義高訳注『良寛詩集 / [良寛著]』; 平凡社(二〇〇六) 29 蔡毅、西岡淳『市河寛斎』研文出版 (二〇〇七) 30 山本和義、福島理子『梁川星巌』研文出版(二〇〇八) - 54 - 第二次資料 1.松下忠『江戸時代の詩風詩論: 明・清の詩論とその摂取』明治書院(一九六九) 富士川英郎『菅茶山』筑摩書房(一九八一) 中村真一郎『江戸漢詩』岩波書店(一九八五) 中村幸彦『近世の漢詩』汲古書院 (一九八六) 石川忠久『漢詩の風景 ことばとこころ』大修館書店(一九八九) 志賀一朗『漢詩鑑賞読本』東洋書院(一九九〇) 松枝茂夫, 和田武司訳注『陶淵明全集 上』、『陶淵明全集 下』岩波文庫(一九九〇) 佐藤保『漢詩のイメージ』大修館書店(一九九二) 松浦友久編訳『李白詩選 / 李白 [著] 』岩波文庫(一九九七) 10 揖斐高『江戸詩歌論』汲古書院(一九九八) 11 鈴木健一『江戸詩歌の空間』森話社 (二〇〇〇) 12 杉下元明『江戸漢詩:影響と変容の系譜』ぺりかん社(二〇〇四) 13 松浦友久、 植木久行編訳『杜牧詩選 / 杜牧[著]』岩波文庫 (二〇〇四) 14 鈴木健一『江戸詩歌史の構想』岩波書店(二〇〇四) 15 吉川幸次郎『宋詩概説』岩波文庫(二〇〇六) 16 杉下元明『江戸漢詩: 影響と変容の系譜』ぺりかん社 (二〇〇八) 17 横山伊勢雄『宋代文人の詩と詩論』 創文社(二〇〇九) 18 西原千代『菅茶山』白帝社(二〇〇十) 19 川合康三 『杜甫』岩波文庫 (二〇十二) 20 富士川英郎『江戸後期の詩人たち』平凡社(二〇十二) 21 宇野直人『知っておきたい日本の漢詩 偉人たちの詩と心』勉誠出版 (二〇一八) - 55 -