1. Trang chủ
  2. » Vật lý

Nghệ thuật ngắm hoa của người Nhật Bản

44 9 0

Đang tải... (xem toàn văn)

Tài liệu hạn chế xem trước, để xem đầy đủ mời bạn chọn Tải xuống

THÔNG TIN TÀI LIỆU

Nội dung

Nội dung và các yêu cầu cần giải quyết trong nhiệm vụ đề tài tốt nghiệp (về lý luận, thực tiễn, các số liệu cần tính toán và các bản vẽ).. Các số liệu cần thiết để thiết kế, tính to[r]

(1)

BỘ GIÁO DỤC VÀ ĐÀO TẠO

TRƯỜNG ĐẠI HỌC QUẢN LÝ VÀ CÔNG NGHỆ HẢI PHỊNG

-ISO 9001:2015

KHĨA LUẬN TỐT NGHIỆP

NGÀNH: NGÔN NGỮ ANH – NHẬT

Sinh viên : Đinh Thị Thu Phương Giảng viên hướng dẫn: ThS Phạm Thị Huyền

(2)

教育訓練省

ハイフォン経営・技術大学 -

日本人の花見について

卒業論文

専門:英語-日本語学

学生 :ディン・ティ・テゥ・フォン

指導教官 :ファム・ティ・フエン, M.A

(3)

BỘ GIÁO DỤC VÀ ĐÀO TẠO

TRƯỜNG ĐẠI HỌC QUẢN LÝ VÀ CƠNG NGHỆ HẢI PHỊNG

-

NHIỆM VỤ ĐỀ TÀI TỐT NGHIỆP

(4)

NHIỆM VỤ ĐỀ TÀI

1 Nội dung yêu cầu cần giải nhiệm vụ đề tài tốt nghiệp (về lý luận, thực tiễn, số liệu cần tính tốn vẽ)

……… ……… ……… ……… ……… ……… ……… ……… Các số liệu cần thiết để thiết kế, tính toán

……… ……… ……… ……… ……… ……… ……… ……… ……… Địa điểm thực tập tốt nghiệp

(5)

CÁN BỘ HƯỚNG DẪN ĐỀ TÀI TỐT NGHIỆP Người hướng dẫn thứ nhất:

Họ tên: Phạm Thị Huyền Học hàm, học vị: Thạc sĩ

Cơ quan công tác: Khoa Ngoại Ngữ, Đại học Quản lý Cơng nghệ Hải Phịng (Đại học Dân lập Hải Phòng)

Nội dung hướng dẫn: 日本人の花見について

Người hướng dẫn thứ hai:

Họ tên: Học hàm, học vị: Cơ quan công tác: Nội dung hướng dẫn:

Đề tài tốt nghiệp giao ngày … tháng … năm …

Yêu cầu phải hoàn thành xong trước ngày … tháng … năm …… Đã nhận nhiệm vụ ĐTTN Đã giao nhiệm vụ ĐTTN

Sinh viên Người hướng dẫn

Hải Phòng, ngày tháng năm 20

Hiệu trưởng

(6)

QC20-B18

CỘNG HÒA XÃ HỘI CHỦ NGHĨA VIỆT NAM Độc lập - Tự - Hạnh phúc

PHIẾU NHẬN XÉT CỦA GIẢNG VIÊN HƯỚNG DẪN TỐT NGHIỆP

Họ tên giảng viên: Đơn vị công tác: Họ tên sinh viên: Chuyên ngành: Nội dung hướng dẫn:

1 Tinh thần thái độ sinh viên trình làm đề tài tốt nghiệp

2 Đánh giá chất lượng đồ án/khóa luận (so với nội dung yêu cầu đề

nhiệm vụ Đ.T T.N mặt lý luận, thực tiễn, tính tốn số liệu…)

Ý kiến giảng viên hướng dẫn tốt nghiệp

Được bảo vệ Không bảo vệ Điểm hướng dẫn Hải Phòng, ngày … tháng … năm

Giảng viên hướng dẫn

(7)

QC20-B19

CỘNG HÒA XÃ HỘI CHỦ NGHĨA VIỆT NAM Độc lập - Tự - Hạnh phúc

PHIẾU NHẬN XÉT CỦA GIẢNG VIÊN CHẤM PHẢN BIỆN

Họ tên giảng viên: Đơn vị công tác: Họ tên sinh viên: Chuyên ngành: Đề tài tốt nghiệp:

1 Phần nhận xét giáo viên chấm phản biện

2 Những mặt hạn chế

3 Ý kiến giảng viênchấm phản biện

Được bảo vệ Không bảo vệ Điểm hướng dẫn

Hải Phòng, ngày … tháng … năm

Giảng viên chấm phản biện

(8)

目次

謝辞

はじめに

内容

I.概要 がいよう

II 花見の歴史 れ き し

III 花見というのはどういう意味ですか。

IV 世界に伝えたい日本文化~なぜ日本人は花見好き?海外との6つ の違い

5.弁当 べんとう の発展はってん 14

V 桜から料理 16

1 花見団子 だ ん ご 16

2 花見弁当 16

3 まとめ 17

☞(注意点) 18

1 エア花見 18

2.問 題 もんだい 18

VI 現在の花見 20

1.開花 か い か ・満開まんかい時期の地域差ち い き さ 20

VII 日本人なぜ桜の下で花見をするのか? 22

1 の時代から桜は、はかなく美しい存在だった 22

2. 桜、梅うめの後塵こうじんを拝はいす 22

3. 平安時代、桜が植物界の天下を取る 23

(9)

7. ソメイヨシノとともに日本全国に花見が広がる 25

VIII 花見の 樹 種

じゅしゅ

(10)

謝辞

最近の卒業論文が完成する間に、私はたくさんの助けと時宜 じ ぎ

を得た支援 し え ん

を受けて、割り当てられた卒業課題をよく 修しゅうりょう了 するためにすべての困

難を克服こくふくするように 奨 励しょうれいした、私は本当にありがとうございます。

まず第一に、ハイフォン私立大学のチャン・フー・ギ(Trần Hữu Nghị)

校長にお礼を申しあげたいと思います。校長先生のおかげで、最初の卒 業式の仕事を受けてくれて、時間通りに卒業できたのである。私は心か ら感謝する。

第二に、私はチャン・テイ・ゴック・レン(Trần Thị Ngọc Liên)学部長

をはじめ、ハイフォン私立大学の外国語学科の先生に感謝することを表 したいと思う。レン先生は価値のある情報、タイムリーなサポートと

熱 狂 ねっきょう

的なガイドを 提 供ていきょうしてくれた。ですから、私が時間通りに卒業す

る機会を逃さないようになる。

特に、私は 年間教えて、3 ヶ月間私の論文を完成するのを指導してく

れた日本語教師のファム・ティ・フエン(Phạm Thị Huyền)先生に非常

に感謝している。フエン先生は熱心な先生で、忙しい仕事なのに、でき

るだけ多くの学生を支援するために自分の貴重な時間を調整した。 先生

は心をこめて教え、それぞれの間違いを細かく修正して、それにフェン

先生に多くの役に立つ知識を与えた。 そのおかげで、今日私は学校が割

り当てた卒業の仕事を完了することができる。 心からお礼を申し上げる。

卒業論文は私が見つけるものだ、多くの欠点があるだろう、私は各先生 からのご意見を受けたいと思う。

ハイフォン、2019年 6月

学生

(11)

1

はじめに

子供の頃から、日本は桜の国であることを知っていた。それは、日本の アニメやテレビドラマ、ゲームなどのメディアの中で、満開

まんかい

の桜が舞い 落ちているシーンをよく見てきたからだ。

大学に入り日本語を勉強してから、新渡戸稲造に と べ い な ぞ うの『武士道』の冒頭ぼうとうにあ

る「武士道ぶ し ど うは、日本の 表 徴ひょうちょうである桜花にまさるとも劣おとらない、日本の

土壌 どじょう

に固有こ ゆ うの華はなである」や、本居もとおり、桜は日本の 象 徴しょうちょうであり、あるいは

日本人の精神世界せ い し ん せ か いとつながっていると考えるようになった。さらに、ル

ース・ベネディクトの著作 ちょさく

である『 (

菊 きく

と 刀 かたな

』 )

に 影 響 えいきょう

され、桜から日本 の国民性

こくみんせい

を見出 み い だ

そうとする考えに辿 たど

りついた。

このように、桜は日本の代表的な花であり、日本人に古くから愛されつ

つ、それに、日本人の精神せいしんを代表していると思ったのは、私のような外

国人はともかく、大勢の日本人も同じであろう。

ただ、日本と桜との関係の実態じったいはどうなのであろうか。桜について周り

の先生に聞いてみたが、「満開 まんかい

の桜はきれいで好きだが、その時期を過 ぎると、あまり桜について考えていない」とか、「花より団子、桜が好

きというより飲むほうが好き」とか、「桜は自分の精神せいしんを表しているこ

となど考えたことはない」など、今までの自分の考えを裏切う ら ぎったような

答えが続々と出てきた。つまり、桜と日本の国民性こくみんせいや日本人の精神性せいしんせいと

の関係については、当の日本人の多くでさえも、深く考えていないとい うことである。つまり、当初筆者

とうしょひっしゃ

が持っていた日本と桜との関係につい

ての認識にんしきから大きなズレが生じた。このズレに対する戸惑いは、本論文

(12)

2

富士山とともに、桜は日本人の強さと忠誠心ちゅうせいしんの 象 徴しょうちょうだ。 これは風水ふうすい、陰陽おんよう、唐とうの土地と ち の運命うんめいだと言う人もいる。

この卒業論文では、日本の伝統なお祭り、花見について深く究めると申

し上げる。 桜が日本のような言語における洗練

せんれん

で、儀式 ぎ し き

を重視する国の

象 徴

しょうちょう

的な民族みんぞくお祭りとなったのは当然とうぜんじゃない。

花見について私が知っているほど、繊細せんさいな視点し て んをはじめ、日本人の知性ち せ い や才能などに感心する。

本論文では、桜と伝統的な外国祭りの比較 ひ か く

を行う。比較

ひ か く

の側面 そくめん

は形成 けいせい

開発 かいはつ

の歴史 れ き し

といったものに基 もと

づいている。どうして花見は日本人に大切

だろうか?本論文は主要しゅような項目こうもくから含ふくめる 。それは日本人の伝統的なお

(13)

3

内容

I.

概要

が い よ う

花見は、主に桜の花を鑑賞かんしょうし、春の 訪おとずれを 寿ことほぐ日本古来こ ら いの風ふう習しゅだ。梅

や桃の花でも行われる、 別 称

べっしょう

は観桜

かんおう

である。

桜は、日本全国に広く見られる樹じ ゅ木も くだ。花見で話題

わ だ い

になる 代 表 だいひょう

的な品

ひん

しゅ

のソメイヨシノはクローンであるため、各地で「きゅう休 眠みん打だ 破は 」がなさ

れてから各地か く ちの春の一時期じ き において、おおむね地域毎ち い き ご とに一斉に咲き競きそい、

日本人の季節感

き せ つ か ん

を形成 けいせい

する 重 要 じゅうよう

な春の風物

ふうぶつ

となっている。

サクラは開花 か い か

から散 ち

るまで 週間足らずであり、「花吹雪 は な ふ ぶ き

」となって散

り行くその 姿すがたは、人の命の 儚はかなさになぞらえられたり、または古来こ ら い、

「桜は人を狂くるわせる」と言われしてきた。

独 ひと

りで花を眺ながめるだけでなく 、多人数た に ん ず うで花見弁当や酒を愉たのしむ宴えん会かいを

開くことが伝統的である。花を見ながら飲む花見酒は な み ざ けは 風 流ふうりゅうなものでは

あ る が 、団 体な ど の 場 合 、 乱痴気騒

ら ん ち き さ わ

ぎ と な る こ と も 珍 し く な い

(「諸問題しょもんだい」の項こうを 参 照さんしょう)。陰おんみょう陽 道どうでは、桜の陰かげと宴会えんかいの陽ようが対にな

(14)

4

花見は、訪日ほうにち外国人旅行の来日目的になったり、風習としてアジアや欧

米に伝わったりしている。北半球と南半球は季節が 逆 転ぎゃくてんしているため、

地域ち い き毎に年中行事として花見の時は異なる。

II.

花見の歴史

れ き し

日本の花見の歴史 れ き し

は下記か き に書かれている。

「日本の花見は奈良な ら 時代の貴き 族ぞくの行事が起源き げ んだといわれる。奈良な ら 時代に

は中国から伝来でんらいしたばかりの梅うめが 鑑 賞かんしょうされ、平安へいあん時代に桜に代わって

きた。それは歌にも表れており、『万葉集』には桜を詠

んだ歌が 43 首、 梅を詠

んだ歌が 110 首程度

て い ど

みられる。これが 10 世紀初期

し ょ き

の『古今和歌

集』では、桜が 70 首に対し梅が 18 首と 逆 転ぎゃくてんしている。「花」が桜の

別 称

べっしょう

として使われ、女性の美貌び ぼ うが桜に例えられるようになるのもこの

ごろ

からである。

『日本後紀

ごおさむ

』には、嵯

天皇

てんのう

が 812 年 月 28 日(弘

こう

にん

3 年 月 12 日)

に神泉しんせん苑に「花宴はなえんの節せつ(せち)」を 催もよおしたとある。時期じ き 的に花は桜が

主役

しゅやく

であったと思われ、これが記録き ろ くに残る花見の 初 出しょしゅつと考えられてい

る。前年に嵯峨天皇さ が て ん の うは地主じ ぬ し神社じんじゃの桜を非常に気に入り、以降い こ う神社から毎

年桜を 献 上けんじょうさせたといい、当時と う じ、桜の花見は貴族き ぞ くの間で 急 速きゅうそくに広まり、

(15)

5 宮 中 きゅうちゅう で天皇てんのう主催しゅさいの定例行事ていれいぎょうじとして取り入れられた。その様子よ う すは『源氏げ ん じ 物語』「花宴はなえん」にも描か かれている。また、『作庭記』にも「庭には花 (桜)の木を植えるべし」とあり、平安時代において桜は 庭作にわづくりの 必需品 ひつじゅひん となり、花見の名所 めいしょ である京都 きょうと ・東山もこの頃に 誕 生 たんじょう したと考 えられている。 鎌 かま 倉 くら ・室町 むろまち 時代には貴族 き ぞ く の花見の 風 習 ふうしゅう が武士階級 ぶ し か い き ゅ う にも広がった。吉田 よ し だ 兼好 かねよし

は『徒然草』第 137 段で、身分のある人の花見と「片田舎か た い な かの人」の

花見の違いを説と いている。わざとらしい風流振ふうりゅうぶりや騒さわがしい 祝 宴しゅくえんに対 して冷ややかな視線し せ んであるが、ともあれ『徒然草つれづれぐさ』が書かれた鎌倉末期ま っ き から室町初期 し ょ き の頃には既 すで に地方 ち ほ う でも花見の宴 えん が 催 もよお されていたことが 窺 うかが える。 織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画 か い が 資料から確認される。こ

の時期の大規模だ い き ぼな花見は、豊臣秀吉が行った吉野の花見(1594 年(文禄

3 年))や醍醐の花見(1598 年 月 20 日(慶長 年 月 15 日))があ る。 花見の 風 習 ふうしゅう が広く庶民 しょみん に広まっていったのは江戸 え ど 時代といわれる。こ の頃、桜の品 種 改 良ひんしゅかいりょうも盛さかんに行なわれた。江戸で最も名高な だ かかった花見

の名所めいしょが 忍 岡しのぶおかで、天海あ ま みだいそうじょう大 僧 正(1536 年(天てん文ぶん5 年)? - 1643 年(寛かん永えい

(16)

6

い寛永かんえい寺で人々が浮う かれ騒さわぐことは許ゆるされていなかったため、1720 年

( 享きょう保ほう5 年)に徳川とくがわ吉宗よしむねが浅草あさくさ(墨田川堤すみだがわつつみ)や飛鳥あ す か山に桜を植えさせ、 庶民 しょみん の行楽こうらくを 奨 励しょうれいした。吉宗よしむねは生 類 憐しょうるいあわれみの令以降途絶い こ う と だえていた鷹たか狩かり を復興 ふっこう させた際、鷹狩 たかがり が農民 のうみん の田畑 た は た を荒 あら す事への対応策 たいおうさく として、鷹狩 たかがり の 場ば に桜の木を植えることで花見客が農民たちに 収 入しゅうにゅうをもたらす方策ほうさくを とったとされている。江戸え ど の城下じょうか・近郊きんこうの花見の名所めいしょは上野寛永寺う え の か ん え い て ら、 飛鳥山あ す か さ ん、隅田川堤すみだがわつつみの他にも、御殿山ご て ん や ま (品川区し な が わ く)やら愛宕あ た ご山やら玉川たまがわじょうすい上 水 など少なからずあった。この時期の花見を題材 だいざい にした落 らく 語 ご としては、 『長屋な が やの花見』や『あたま山』、飛鳥あ す か山の花見を想定そうていして作られた『花 見の仇討あだうち』などがある。 明治に入ると、桜が植えられていた江戸の庭園や大名屋敷だいみょうやしきは次々と取り 壊 こわ されて桜も焚た き木とされ、江戸時代に 改 良かいりょうされる多くの品種ひんしゅも絶滅ぜつめつ の危機 き き に瀕 ひん した。東京・駒込の植木職人 うえきしょくにん ・高木孫右衛門 た か ぎ ま ご え も ん はこれを集 あつ めて

自宅の庭に移植いしょくしたり 84 の品種ひんしゅを守まもり、1886 年には荒川あらかわつつみ堤の桜並木な み き

造成

ぞうせい

(17)

7

III.

花見というのはどういう意味ですか。

春の初めから奈良な ら 時代に、いくつかの神々かみがみが皇帝こうていの咲く花を運はこんだ際

に形成された。でも、江戸え ど 時代の 17世紀初頭せ い き し ょ と うになって初めて、桜の

桜 村 さくらむら

を形成 けいせい

した公園に新しい桜が植 う

えられた。春が来ると、日本中、

そして東京、大阪、横浜 よこはま

のような大都市 だ い と し

で花の祭りがあるところに桜

が咲く。東京だけでも、3、4 月に桜まつりで台東区た い と う くの上野う え の公園、

新 宿 しんじゅく

公園など 21 の公式こうしきポイントが開催かいさいされた。日本各地か く ちで約 週間

桜が咲いているので、今度は桜の美しさを楽しみ、春の空気が 訪 おとず

る最高の時期 じ き

、祭りとなる。 花見は昼夜 ちゅうや

を問わず約 週間続く。あ

ちこちで、空に 輝かがやく桜の花を見た。肌寒はださむい天候ではそれぞれの風が

たくさんの桜の花を咲かせて吹ふ いて、美しく魅惑み わ く的な景色け し きを作り出し、

人々の心を揺ゆ さぶった。みんな咲く桜の下で集まってパーティーを開

いた。

花見の由来ゆ ら いは、古来こ ら いから祓はらいのための宗 教 的 行 事きょうてきぎょうじ、元々は神事し ん じでお 祭りだった 桜の木の下での春の楽しみといえば、お花見だ。「三日

見ぬまの桜かな」と歌われたように、うっかりするとすぐに散ち ってし

まったのが桜である。 定番 ていばん

のお花見といえば、桜の木 き

の下 した

で日頃 ひ ご ろ

(18)

8

日においてはお花見とは名目で、本当は桜は酒の肴にすぎず、飲み食 いに重点があるようである。

しかし、花見の由来は、古来から祓 はら

いのための 宗 教 しゅうきょう

的行事 ぎょうじ

だった

ようである。期日き じ つが設定せっていされ、野山の や まに出で かけ花を愛あいで、その下で楽し

むことで、厄やくを祓はらい神さまと過ごすとされていた。 かつては、秋の

稔 みの

りを願い、花の下でお祭りをし、花で 収 穫しゅうかくを 占うらなったのである。開

花は神様が降りられた証で、パッと散ると凶とされた。

お花見は平安時代より貴族が始め、今の京都の 二 条 城にじょうじょうのあたりに

天皇 てんのう

が 行 幸 ぎょうこう

し桜見物を行ったそうである。その後、貴族 き ぞ く

・武士 ぶ し

の 間 あいだ

で盛さかんになり、豊臣秀吉とよとみひでよしが 行おこなった「吉野よ し のの花見」は有名だ。江戸時

代になると庶民しょみんの娯楽ご ら くとして 定 着ていちゃくする。桜の季節が近づくとなぜか

心が弾はずむ。日本人にとって、花見はきってもきれない春の楽しみにな

ってしまったのである。お花見といえば 「桜」、何故 な ぜ

だろうか? 「花」といえば「桜」をさすほど日本人にとっては大切な花となった。

また桜は山の神が降りてくる時の目印 めじるし

になる木として、特別に

神聖視し ん せ い しされており、お花見に付き物のお酒も、本来ほんらいは神かみに供そなえたお下 がりを皆でいただくものであった。

さくらの「さ」は山の神さま(田た の神がみさま・稲いねの神かみさま)、「くら」

は山の神かみさま(田た の神がみ様・稲いねの神かみ様)のおわします座ざ を意味し、桜の

(19)

9

あり、花といえば桜、咲くといえば桜だったとしたら、これも長い歴 史の中で日本列島れっとうに受う け継つ がれてきた精神的遺産せ い し ん て き い さ ん(無意識む い し きの日本人好 みの花として)ということだろうか。

IV.

世界に伝えたい日本文化~なぜ日本人は花

見好き?海外との6つの違い

春といえばやっぱり花見!満開 まんかい

の桜の木の下で仲間 な か ま

や友人とごちそ

うを囲かこむ宴会えんかいは格別かくべつだよね。毎年お花見をするたびに「日本人で良か

ったなー」と思う人も少なくないはず。日本から離はなれて生活してみる

と、お花見こそ日本や日本人の良さを 凝 縮ぎょうしゅくした行事ぎょうじだなと思うこと

もしばしばだ。古くから日本人に愛されてきたお花見桜であるが、こ の伝統文化が時代を超

えて現在 げんざい

も日本人に愛されるには理由がある。 そこで今回は、日本の素晴らしい文化“お花見”が日本人に愛される 理由海外との違いを6つご紹介する。

1 四季し き を楽しむ心

日本人は古くから四季の移 うつ

ろいや自然美 し ぜ ん び

を感慨深 かんがいぶか

く感じる民族で ある。俳句は い くには季語き ご を入れて、四季を一つ一つ 情 緒じょうちょ的にとらえる という感性を育てた。奈良時代に日本に伝わったと言われるお花

見は、“日本らしさ”が大事にされ、独自ど く じの文化が生まれた平安

時代に発展はってんした。平安時代の貴族き ぞ くたちは桜を植えてパーティを開

き、美しさをうたいた。これが現代げんだいの日本人にも受け継つぎがれてい

(20)

10

実際に、日本人が「日本にうまれてしあわせだなぁ。」と思う

ことに関するアンケートによると、「四季の美しさ」と答えた人

が2番目に多く(5003 票中、664票。1位は“食べ物がおいし い”で 1085 票)、(参照:NHK https://www.nhk.or.jp/school/)日本の

四季の美しさを誇ほこりに思う人の割合が高いことがわかる。日本人

は季節の移 うつ

り変わりや自然 し ぜ ん

の変化 へ ん か

に敏感 びんかん

で、それを 情 緒 じょうちょ

的に捉え るという感性が海外にはない独特な日本人の心のようだ。

2 お酒が飲める

会社の花見会の主催 しゅさい

が新入社員の初仕事 は つ し ご と

という企業 きぎょう

もあるようだ が、日本で花見が職場でも家族間でも、友人同士の集まりでもさ れるようになった理由のひとつに、「お酒が飲める」という要素 よ う そ

があることは明白である。

1979年、バラクーダーが歌ってヒットした『日本全国酒飲み 音頭

お ん ど

』の一節に、「4月は花見で酒が飲めるぞ」と歌っている。

この歌はとにかく、嬉うれしいにつけ、悲しいにつけ、花が咲いても、

雪が降っても、何かにかこつけて年中どこでも酒を飲んで陽気よ う きに

はしゃぐ日本国民の 姿すがたを 象 徴しょうちょうした歌だが、お酒の席を楽しむ日

本人を代表する。もし、お花見でお酒が飲めなかったら。きっと

(21)

11

ちなみに、海外でもアメリカ・ワシントン DC のポトマック河畔か は んの

桜などは有名ですが、ワシントン D.C.では屋外おくがいでの飲酒が禁じら

れているため、桜の木の下にレジャーシートを敷し くピクニックス

タイルではなく、桜並木 さくらなみき

の下をお散歩 さ ん ぽ

するのが主流である。お酒

を飲むのはおろか、お弁当を食べたり、お団子だ ん ごを食べたりもでき

ない。桜の木の下を人波ひとなみに押お されながら歩くので、立ち止まって

ゆっくり桜の花を 観 賞かんしょうすることもできない。せいぜい記念の写真

を撮 と

りたい。

そうなると、日本の花見のイメージとは少し違った感じするよね。 公共の場で酔っぱらって暴

あば

れるのはどこの国でもだが、日本では 公園で飲酒ができる国であ

るという点が花見の発展に 繋

つな

(22)

12

3 気候き こ うの良さ

公 共 こうきょう

の場でお酒が飲めること以外にも花見の発展に繋 つな

がった要因が ある。例えば、桜が咲く時期の気候の良さ。アメリカ以外にも日本

から桜が贈おくられた国があるが、例えばフランスでは芝生し ば ふの上でビニ

ールシートを広げ、ワインを片手か た てにバゲットにチーズやハムを挟はさん

で食べるピクニックをしている人をよく見かけている。日光浴にっこうよくの大

好きなヨーロッパ人はもちろんピクニックも大好きだ。でも、パリ 近郊の桜の木がたくさん植えてあるソー公園にはフランス人の姿が ない。その原因はパリの気候にあるそうだ。

桜が咲く時期の3月下旬げじゅんから4月 上 旬じょうじゅんのパリは、気温が低ひくく雨の

日も多いため、とてもピクニック日和 び よ り

とは程遠 ほどとお

い気候である。パリ で桜が見ごろの時期に、花見をするにはいろんな偶然

ぐうぜん

が重ならない

となかなか難しいのが 現 状げんじょう

である。それに比べると、日

本の春の陽気よ う きは気温もちょう

(23)

13

でお花見が楽しめるのも、素晴らしい春の気候のおかげだ。

4 マナーの良さ

花見が日本全国どこでも楽しめるのは、日本人のマナーの良さの

おかげだと言えた。「数字す う じでわかる!日本人と中国人の違い」で

紹介した通り、日本人は最もマナーの良い観 光 客 かんこうきゃく

の第 位に選ば

れるほどマナーの良い秩序ちつじょ的な国民である。特に、「行儀ぎょうぎが良い」

「礼儀正れ い ぎ た だしい」「ホテルで大騒ぎをしない」といった点が世界の

人から見えると評価ひょうかすべき

ところだと言う。桜が折 お

れて傷きずつけることなく、美

しい花を 観 賞かんしょうできるのも そんな日本人のマナーの良 さがあってのこと。反対に、

花見の場所で暴あばれて喧嘩け ん かする人が増加したり、犯罪はんざいが発生したり、

ゴミが散乱さんらんするなどの問題が多く見られる場合はお花見ができな

くなってしまうかもしれない。私たちが現在も花見を楽しめるの

は、マナーの良い先祖せ ん ぞたちのおかげである。

しかし最近では、前もって広い場所を占有せんゆうする団体だんたいや、カラオケ

の使用や音楽を流 なが

したり、火気 か き

の使用 し よ う

、立 小 便 たちしょうべん

、ごみの放置 ほ う ち

(24)

14

大きな社会問題となっている。これからも日本で花見を楽しめら れるように、花見客一人一人がルールを守るようにしよう。

5.弁当

べんとう

の発展

はってん

おいしいお弁当を食べることも花見の楽しみの一つである。 風 流 ふうりゅう

を解さない人を批判ひ は んするときに「花より団子だ ん ご」ということわざを

用うが、やっぱりお弁当やごちそうなども花見の醍醐味だ い ご みではない

だろうか。

そして、日本で花見が楽しまれる理由のひとつは弁当の発展にある と言える。日本では、古くか

ら弁当の習慣が起こり、他の 諸国

しょこく

では例を見ないほどの 発展

はってん

を遂と げていきた。最近で

は海外でも、日本のマンガを 通して“BENTO”が知られる

ようになったが、まだまだ弁当は外国人にとっては真新まあたらしいものだ。

冷めたものを食べる習慣があまりない海外では、ピクニックで食べる ものと言えば、サンドウィッチとスナック菓子だ。しかしこれでは少

し華はなが欠けてしまった。

その点、日本の弁当は色味い ろ みも華はなやかで、ビニールシートに広げるだ

けで何だか楽しい気分になれる。日本で楽しくお花見ができるのは、

(25)

15

6 自然崇拝し ぜ ん す う は い

日本は「万物ばんぶつに神宿かみやどる」として「山」や「木」そして人の手によ

って作り上げられた「物」に対しても敬意け い いと感謝かんしゃを以て接せっする自

然崇拝 すうはい

の国と言われている。桜の木も例外 れいがい

ではなく、桜はその昔、 神様

かみさま

が宿やどる木と考えられていたそうだ。

そのため、ごちそうを持って花見に出かける「山遊び」という

習わしが日本全国に広がった。神様かみさまである桜の木をもてなすため

にごちそうを持っていき、田植 た う

えの前に山の神様にお米の豊作 ほうさく

を 祈

いの

っていたそうだ。

他にも、農家の人は花が開くのを田植えの時期の目安にしたり、

良くさく年は豊作ほうさくなどと 占うらなったりして桜に親したしんできた。桜の木

は稲 作 中 心いなさくちゅうしんの日本人の生活や日本人の 純 潔じゅんけつ信仰心しんこうしんに深い関わり のある植物だと言える。

まとめ

桜は日本人に一番なじみの深ふかい花だ。日本の桜の8割を占し めるソメ

(26)

16

がなく清らかな精神せいしんで、日本人が花見を楽しめる時代がこの先もず

っと続いてくるように。平安時代に 貴族がうたったように、いつの時代

も美しい桜を眺ながめられるそんな日本

であってほしいと思う。

V.

桜から料理

1

花見団子

だ ん ご

花見には団子がつきものといわれている。「花見団子」などと

もいい、庶民しょみんの花見の供ともとして江戸時代え ど じ だ いから定番ていばんとなっており、

桜色(薄うすい赤色あかいろ)・ 白 色はくしょく・ 緑 色みどりいろなどの色で華はなやかな色彩しきさいを付つ

けた。この 色の組く み合あ わせが一般的で桜色は桜を 表あらわして春の

息吹い ぶ きを 、 白 は雪で 冬の 名残な ご りを 、 緑みどりはヨ モ ギで 夏 へ の予兆よちょうを 表 現

ひょうげん

している。

「花より団子」ということわざ諺 は花見団子に由来し、花の 観 賞かんしょうとい

う審美し ん び的な行為こ う いより団子という実質じっしつを選ぶ行動こうどうを揶揄や ゆ した物だ。

天然

てんねん

記念物クラスの枝振え だ ぶりが見事み ご とな桜や梅、歴史のある桜や梅

などの下では茶席

ちゃせき が設

もう

けられる事が多い。

2

花見弁当

江戸時代から花見には花見弁当が欠 か

かせない物としてあり、日 本酒も持ち運べる構造こうぞうの段重だんかさねの 重 箱じゅうばこなどが使った。現在でも、

(27)

17

3

まとめ

(28)

18

☞(注意点)

1 エア花見

花見シーズンは、気温き お んの面めんで三寒さんかん四よんあつし温とも呼よ ばれる不安定さが あり、日較差も大きい(最低気温さ い て い き お んと最高気温さ い こ う き お んの差が大きい) 傾向

けいこう

もあるため、花見当日 は な み と う じ つ

の気温 き お ん

に見合った防寒対策 ぼうかんたいさく

をしない と 体 調たいちょうを崩くずす可能性か の う せ いがある。また、予定よ て いしていた花見の日に

風雨ふ う うに見舞み ま われることもあるし、花見会場での混雑こんざつやトラブル

を嫌きらう人も多い。さらに、花見シーズンはスギ花か かふん粉 の飛散ひ さ ん時期

とも重なり、スギ花粉

か ふ ん

症患者 かんじゃ

にとって野外での花見は症 状 悪 化 しょうじょうあっか

を来る。

このように、野外での花見は様々な困難を乗 の

り越 こ

えて実施 じ っ し

され るため、それらを回避か い ひできる屋内おくないで、疑似的ぎ じ て きな花見が出来るサ

ービスが生れていた。桜の生花や造花をオーナメントとして飾かざ

り付つ ける店舗て ん ぽはしばしば見られるが、これを 有 料ゆうりょうの宴会えんかいパッケ ージとした 飲 食

いんしょく

のサービスにした場合、「エア花見」と呼ばれ る。

2

問題

もんだい

花見は人気が高い行事ぎょうじで、酒宴しゅえんを 伴ともなうことが多いため、酒酔よ い

(29)

19 的に、まだ明るいうちから陣取じ ん どり用ように広げられたビニールシー トは景観けいかんを損そこなう。 花見が始まった後も、カラオケを歌ったり音楽を大 音 量だいおんりょうで流し たりする、火気 か き の使用 し よ う 、立 たち 小 しょう 便 びん 、酔 よ った 勢 いきお いで桜の枝を折 お っ たる樹き を傷きずつけたりする等して桜に悪 影 響あくえいきょうを与あたえる等、他の花 見客や近 隣 住 民きんりんじゅうみんに対する迷惑行為こ う いを行う集団・団体が増えたり、 帰路き ろに飲酒運転を行うなど、大きな社会問題となっていた。 特にコンビニエンスストアの増加により、弁当やペットボトル などをレジ 袋ふくろに入れて容易よ う いに入手可能になっる半面、花見で出 るゴミの量が急増する。ごみを放置ほ う ちして帰ったり、帰路き ろ に 所 構ところかま わない捨てたりする花見客が増えて、各地で花見客によるゴミ 散乱 さんらん が問題になっている。これらへの対処たいしょのため、警察けいさつ官かんがパ トロールしたり、自治体じ ち た いや観光団体かんこうだんたいが警備け い び員いんを雇やとったりするこ ともある。福岡ふくおか市し はてんじんちゅうおう天 神 中 央公園で、場所取ば し ょ とり合戦かっせんへの対策たいさくと して予約制 せい を 導 入 どうにゅう

したことに加えて、2018 年には 有 料 制

ゆうりょうせい (1 区画 時間で 500 円)を施行した。

(30)

20

VI.

現在の花見

1 開花か い か・満開まんかい時期の地域差ち い き さ

桜は品種 ひんしゅ によって開花 か い か ・満開 まんかい 時期が異 こと なる。各地域 か く ち い き での桜の開花 か い か 予想 よ そ う

日は、毎年 月から 月にかけて各民間気象かくみんかんきしょう会社から 発 表はっぴょうされ、同

じ日に開花か い か予想された地域ち い きを結んだ線せんは桜前線ぜんせんと呼ばれる。この前線ぜんせん は各地か く ちのソメイヨシノ(クローン)の標本木ひょうほんきを基準きじゅんにしているため、 気候や地形によっても開花の時期が前後 ぜ ん ご する。ただし北海 ほっかい 道 どう では道南 どうなん や札幌 さっぽろ ではソメイヨシノを用いるが、それが育たない他の地域 ち い き ではエ ゾヤマザクラ、さらに開花の遅い根室ね む ろなどではチシマザクラが用いら れる。 逆ぎゃくに開花の早い沖縄おきなわでは標本木ひょうほんきにカンヒザクラを用いた。 緯度 い ど の違いや気候 き こ う や品種 ひんしゅ

の違いから、日本全国の開花時期は 月から 月までの長期

ちょうき

にわたる。 気 象 庁

きしょうちょう

では、サクラの開花日とは「標本木ひょうほんきで 5〜6輪りん以上の花が開い

た 状 態じょうたいとなった最初の日」を指し、満開日とは「標本木ひょうほんきで 80%以上

のつぼみが開いた状態となった最初の日」を指す。開花から満開まんかいまで

の間は、咲き具合によって「五分咲き」などと表現された。

このように花見の適期て っ きは地域によって異なる。年度末の 月が適期の

地域では卒業式や送別会、年度初めの 月が適期の地域では、入学式

や始業式、歓迎会などとのイメージと重なり合い、それらを祝う宴会 えんかい

(31)

21

北海道では 月-5 月の開花である蝦夷霞え ぞ か す み桜もみられる。秋の紅葉シ

ーズンに「かんかえで観 楓会」と呼ばれる宴会が実施じ っ しされる習慣がある。

花見では 食 品しょくひん・酒類しゅるいが多く消費しょうひされ、宿泊を伴って多数た す うの観 光 客かんこうきゃくが 訪

おとず

れる「桜の名所」もある。このため春には日本各地で、経済効果 け い ざ い こ う か

を期待き た いして「桜まつり」等の 名 称めいしょうでイベントやキャンペーンが開か

れる。例えば、青森あおもり県弘前ひろさき市は弘前ひろさき城での桜の満開まんかいが、関東かんとう地方で桜

の多くが散ち った後のゴールデンウイークの重なることが多いため花見

目的の旅行先として人気が高い。近年は連休に合わせた「弘前 ひろさき

桜さく

らまつり」より満開が早まる傾向けいこうがあり、桜の樹の根元ね も とに雪を積み上

げて 連 休れんきゅうに重なるよう開花・満開時期を遅らせる 調ちょうただし整 が試みられ

たこともある。

桜吹雪ふ ぶ きとは 桜 林さくらばやしや桜並木さくらなみきのある所で風などにより数多かずおおくの花弁はなびらが舞ま

い散るさまであり、その美しさも愛でられる。全て散ち った後には葉は

桜 ざくら

と呼ばれる 状 態 じょうたい

になる。

2.

夜桜見物

よ ざ く ら け ん ぶ つ

夜に花見をすることは夜桜よざくらまたは夜桜見物よざくらけんぶつと呼ばれる。東京では上野う え の

公園や靖国

やすくに

神社など一部の桜の名所では夜桜のために、ぼんぼりを

設置せ っ ちすることがある。

東京国立博物館はくぶつかんなどのように普段ふ だ んは一般公開こうかいされていないが花見の

季節に特別公開されたり、六義園

よしえん

などのように幻想 げんそう

(32)

22

プし夜間や か ん特別公開された。こうした機会は秋の紅葉こうようでも持も たれるこ

とが多い。

VII.

日本人なぜ桜の下で花見をするのか?

長かった冬がようやく終わり、春がやってきたことを告つ げるかのよ

うに満開に咲き競う桜だ。桜の花は、入学や入社など人生の門出を 飾

かざ

る花として、日本人の心に鮮やかな印象を残してきた。

1 神話

し ん わ

の時代から桜は、はかなく美しい存在だった。

桜の長い歴史に基づいて、日本人と桜の縁えんは非常に古く、『古事記こ じ き 』や

『日本書紀し ょ き』では天孫降臨てんそんこうりんした 天 照あまてらす大御神お お み かの孫まご・邇邇芸命じ じ げ い い の ち(ににぎの

み こ と ) に 求 婚きゅうこんさ れ る 美 し き 木花咲耶姫き は な さ き や ひ めが 、 は か な く 散ち る も の の

象 徴 しょうちょう

(=桜の花)として書かれていて、桜という 名 称 めいしょう

は「咲耶 さ き や

」か

ら転てんじたという説がある。

また、民俗学みんぞくがくにおいては、田た の神がみを意味する「さ」と神の御座ご ざ の「くら」

が結むすびついたという説がある。満開の桜には田の神が宿り、田植えから

収 穫 しゅうかく

まで見守 み ま も

ってくれるありがたい存在として、農耕民 のうこうみん

から崇 あが

められ

ていたのである。

2. 桜、梅 うめ

の後塵 こうじん

を拝 はい

奈良な ら 時代になると大陸たいりく文化の 流 入りゅうにゅうによって、中国で愛好あいこうされていた香かお

(33)

23

は『万 葉 集まんようしゅう』に詠よまれた歌の数にも表れていて、桜の歌が 43 首、梅の

歌は 110 首。いかに梅が当時と う じの人々の心をとらえていたのかよくわかる。

しかし、庶民しょみんにとって春の花といえば、やはり桜。田の神が宿やどる木であ り、農耕 のうこう の時季 じ き を知らせてくれるありがたい花として、決して欠かせな い存在だったのである。 3. 平安時代、桜が植物界の天下を取る 遣唐使 け ん と う し が廃止 は い し され、国風 こくふう 文化が花開 はなひら いた平安時代になると、支配層 し は い そ う にお ける梅と桜の立場た ち ばも 逆 転ぎゃくてんする。平安京に遷都せ ん とした桓武天皇か ん む て ん の うが 紫 宸 殿むらさきしんとの に植えた左近さ こ んの梅が、仁明天皇に め い て ん の うによって桜に植え替えられたことも手伝 って、貴族たちは桜を 貴とうとぶようになったのである。 文献 ぶんけん に最も早い花見として 登 場 とうじょう

するのが天長 8(831 年)。嵯峨 さ が 天皇 てんのう が 神泉苑 しんせんその で行った「花宴はなえんの節せつ」が、それ以後い ご は 宮 中きゅうちゅうの定例行事ていれいぎょうじとなり、 その様子よ う すは『( 源氏物語げんじものがたり』の「花宴はなえん(はなのえん)」に描か かれている。

4. 平安人の桜 LOVE を今に伝える数多くの和歌

わ か

(34)

24

に重かさねて詠えいんたもの。ねがはくは花のしたにて春死は る しなんそのきさらきの

もちつきのころ。これは 桜さくらの名所めいしょ・吉野よ し のに通かよいつめ、桜への想おもい託たくし

た歌を数多かずおおく残のこした 西 行さいぎょうが、死ぬその時まで桜を愛でていたいと切望せつぼう

した歌。これら平安時代後期から鎌倉 かまくら

時代にかけての 首に「花」と詠 よ

まれているのはいずれも「桜」のこと。この時代に桜は花を代表するよ

うな圧倒あっとう的な存在になっていたことが

わかります。鎌倉かまくら時代も桜好みは受け

継つ がれ、吉田兼好よ し だ け ん こ うの随筆ずいひつ『徒然草つれづれぐさ』に

は、貴族が桜を上品に 鑑 賞かんしょうするのに

対して、 上 京じょうきょうしたての田舎者い な か し ゃは酒を飲み連歌れ ん がをして大騒おおさわぎをしていた と書かれている。

5. 秀吉ひでよしの大規模だ い き ぼな花見は な みがのちの宴会行事えんかいぎょうじのモデルケも で る け ースす にな る

そして、安土桃山あ づ ち も も や ま時代になると、豊臣秀吉とよとみひでよしによる大がかりな花見が世を にぎわせた。

文禄 ぶんろく

3(1594)年の「吉野よ し のの花見」は、大坂おおさかから1000 本もの桜を移植いしょく

した吉野の山に、徳川家康とくがわけやすしや前田利家ま え だ と し い え、伊達政宗だ て ま さ む ねなど有 力 武 将ゆうりょくぶしょうら 5000

人を招いて5 日間も行ったというかつてない盛大

せいだい

なスケール。続 つづ

慶 長 けいちょう

3(1598)年の「醍醐

だ い ご

の花見」は、醍醐寺 だ い ご じ

に 700 本の桜を移植

いしょく し、

1300人を招まねいたことが記しるされていた。(桜に覆おおいつくされた奈良な ら の

(35)

25 が 催もよおした大花見会だ い は な み か いを機きに、花見は な みは宴会行事えんかいぎょうじとして 定 着ていちゃくである。それに 伴 ともな って京都きょうとの寺社じ し ゃや山々やまやまには 桜さくらが植う えられるようになったと伝つたえる。 6. 暴れん坊将軍が桜の名所を江戸各所につくった。

さらに、江戸時代え ど じ だ いに入はいると 3代将軍徳川家光だいしょうぐんとくがわけひかりが創建そうけんした寛永寺かんえいてらに吉野よ し のの

山 桜 やまざくら が 大 量 たいりょう に 移植 いしょく さ れ 、 江戸 え ど で 初 め て の 桜並木 さくらなみき が 出 現 しゅつげん す る 。

その後、8代 将軍吉 宗だいしょうぐんよしむねは庶民しょみんの行楽こうらくのための桜の名所めいしょを江戸え ど の各地か く ちにつ

(36)

26

さした花だけが先に開き、いっせいに散ち り、その様子よ う すは華麗か れ いそのもの。

ソメイヨシノが全国に植えられることによって、桜の美しさやその意味 は全国に広がったのです。春の一時期だけしか見られないにもかかわら ない、日本人にとってこの上なく大きな意味をもつ桜。その理由は、 人々の暮らしに 密 着みっちゃくし、心に寄よ り添そ い続けてきた記憶き お くの 継 承けいしょうにある。 だからこそ桜は今も日本人にとって最もなじみ深く、特別な存在となり 得ているのである。

VIII.

花見の樹 種

じゅしゅ

現代日本で桜の 8割程度わ り て い どをソメイヨシノが占めるようになったのは、

明治以降め い じ い こ うの 植 樹しょくじゅによる人為的い て きなものである。中世以前に和歌わ か に詠よ まれ

た桜の多くは山桜であった。江戸時代の花見は、様々な種類

しゅるい

の桜が次々 と咲く「 群 桜

ぐんざくら

」を楽しんでいる。

現在、全国に多数た す う植えられたソメイヨシノは寿命を迎えつつあり、病虫

害も起きている。このために多い公園などで桜の植え替えが行われてい

る、これにより開花時間が大きく異なっていた。例えば、三重県のとも

やま公園ではソメイヨシノの他に河津桜

づざくら

、吉野

よ し の

桜などを交互に植えるな

どして桜並木の延命えんめい作業を行っている。

このため開花か い か時期の異ことなる木が混在こんざいするなど、僅わずかながら花見の時期も 異

こと

(37)

27

IX.

日本国外の花見

1 日本統治と う ち時代がある台たい湾わんや韓国でも花見をする習慣がある。沖縄おきなわ県

より南に位置 い ち

する台湾では 月下旬 げじゅん

から 月頃まで様々な品種のサ

クラが咲き、特に旧正月明けから陽明ようめい山や阿里おくさと山といった名所に

多数た す うの花見客が押お し寄よ せる。新潟にいがた県とほぼ同緯度ど う い どにある韓国のソウ

ルでは、4 月 初 旬しょじゅん頃から桜が咲き始める。漢から江え 沿そ いの 1600 本以上

のソメイヨシノの桜 並木周 辺 さくらなみきしゅうへん では「永登 な が と 浦 うら 汝矣 なんじい 島春 はる の花祭 はなまつ り」が 開催 かいさい され、数百万人が 訪 おとず れるという。

2 中国では日本人が直接植ちょくせつうえたり贈おくったりしたサクラがある 大 連おおむらじ市

旅 順 りょじゅん

口区く ち く( 龍 王 塘りゅうおうつつみ桜花園、203高地こ う ち)、武漢ぶ か ん市(東湖と う こ桜花園、

武漢 ぶ か ん 大学)などが有名である。 個人 こ じ ん ・企業 きぎょう ・各種団体 かくしゅだんたい の民間国際交流 みんかんこくさいこうりゅう 、あるいは姉妹都 し ま い と 市 交 流 こうりゅう を 通じて、日本庭園ていえんが造つくられたり、街路樹が い ろ じ ゅとして桜並木さくらなみきが造られたり、 公園内に桜並木が造られたりし、花見及び日本文化祭が始まる例も

見られる。アメリカ 合 衆がっしゅう国の首都ワシントン D.C.のポトマック

河畔か は んには、1912 年に東京市から寄贈き ぞ うされた桜が植えられており、

(38)

28

アメリカでは他に、ジョージア州メイコンでは多数た す うの桜が植えられ

ており、「世界の桜の都」を自称じしょうしており、「国際桜祭り」が開か

れる。ハワイ 州しゅうは熱帯ねったいなので大規模だ い き ぼな桜並木な み きはなく、ハワイ島の ワイメアは高地にあり桜が育っていて、「ワイメア桜伝統祭り」 (Waimea Cherry Blossom Herirage Festival)が 月初旬に開か れた。

4 札さっ幌ぽろより緯い 度どうが高い北欧でも、フィンランドの首都ヘルシンキのサ

クラ公園(フィンランド語版ご ば ん)は 2007 年に造られたばかりだが、

既 すで

に花見と日本文化祭が開催されていた。スエーデンのストックホ

ルムの王立公園(Royal National City Park)にも、日本から寄贈き ぞ う

を受けた桜が多数植えられていて、桜祭りも行われた。デンマー

ク・コペンハーゲンの人魚姫にんぎょひめの像がある埠頭近ふ と う ち かくのランゲリニエ公

園(Langelinie Park)の噴水池ふんすいいけの 両 側りょうがわには、広ひろ島のアンデルセン

が寄贈 き ぞ う

した二列の桜並木があり、ここでも桜祭りが行われた。

5 ブラジルでは日系

にっけい

人移民がサクラの 植 樹 しょくじゅ

をする例が見られ、特に サンパウロのカルモ公園には約 4000 本のサクラがある。南半球に ある同市ど う しでは 月 初 旬しょじゅんの見頃の時期に合わせてさくら祭りが開催かいさい されており、多くの人々が集まる。なお、同じ日本文化である「七

夕祭り」の時期でもあるため、七夕の「短冊たんざく」が満開まんかいの桜の枝えだにく

(39)

29

ショッピングモールの飾かざりつけの つとして花見をモチーフにする

場合には、日本文化を象徴する様々なアイテムを混ま ぜ込こ む例れいも見ら

(40)

30

結論

本論文は、地域社会ち い き し ゃ か いの視点し て んに基づいて花見のリアリティを解明するため

に、これまで、桜についての研究は数多くみられる。花見に関する知識

のほとんどが桜の研究に内包な い ほ うされてきた。また、桜の研究のほとんどが、

桜を中心に、桜と日本との関係を単純化た ん じ ゅ ん かされた本質論ほ ん し つ ろ んで説明しようとす るものである。しかし、あくまでも植物しょくぶつの一種い っ し ゅである桜とその 象 徴しょうちょうす るものに目を向けるよりも、桜に意味を付与してきた人間の営みに注目 することが必要であると考える。そこで、そのもっとも重要な人間の営

みが花見である。従来じゅうらいの花見研究は文献ぶ ん け ん研究を主な手法としたものや、

花見の一要素よ う そだけを捉と らえるものがほとんどである。つまり、現代日本社

会における花見研究は方法論的ほ う ほ う ろ ん て きに 必かならずしも十分じゅうぶんに成熟せいじゅくしているとは言 えない。そこで、本論文では、文化人類学的現地調査じ ん る い が く て き げ ん ち ち ょ う さに基づいた事例じ れ い研 究という手法し ゅ ほ うを導入どうにゅうし、伊佐市大口い さ し お お ぐ ちという地域社会ち い き し ゃ か いにおける花見にまつ わる多様た よ うな人間に ん げ んの 営いとなみ、 即すなわち多様た よ うな「花見の実践じ っ せ ん」を 詳 述しょうじゅつし、本論文 を通して、花見のリアリティを解明し、花見がどのように現代日本社会 における一般的な行事として成り立っているのかという問いに迫る。本 論文の構成こ う せ いは以下い か のとおりである。

まず、花見を研究テーマとして選んだ問題意識を説明し、本論文の構成こ う せ い

について説明した。

(41)

31

第 II では、日本における花見文化の歴史的展開れ き し て き て ん か いについて、それを通し

て本論文の研究対象たいしょうである現代日本社会における花見の立ち位置を明ら

かにした。また、花見の受容に関する研究の必要性についても指摘し て きした。

第 III では、花見というのはどういう意味ですか?さくらの「さ」は山 の神さま(田た の神が みさま・稲い ねの神か みさま)、「くら」は山や まの神か みさま(田た の神が み さま・稲い ねの神か みさま)のおわします座ざ を意味し、桜の木は神様か み さ まの依よ り代だ いで ある。

第 IV では、なぜ日本人は花見好き?世界に伝えたい日本文化海外との 6つの違い。これは 四季を楽しむ心、お酒が飲める、気候の良さ、マ ナーの良さ、弁当べ ん と うの発展は っ て ん、自然崇拝し ぜ ん す う は いだ。

第 V では、桜から料理がたくさんある。たとえば、花見団子だ ん ごや花見弁当べ ん と う

だ。

第 VI では、現代日本社会に おける花見の存在の仕組し く み、 即すなわち花見は な みの

リアリティについて考察し。花見の一般性い っ ぱ ん せ いについて、従来じゅうらいの研け ん 究きわむの多お お

くはそれを 桜さくらに追お い求も とめてきたが、桜を意識い し きしない花見や桜が不在の花

見の事例も 存在するように、桜で花見の一般性を規定することはでき

ない。そこで、本論文ではその 桜の一般性を「娯楽」という概念が い ね んで説

明しようと試みた。花見と春先に 元々あった民俗行事み ん ぞ く ぎ ょ う じとの重要度じ ゅ う よ う どの 逆転

ぎゃくてん

が見られるが、それは、かつて協働農作業きょうどうのうさぎょうをベべ ースす にした集落しゅうらくに おいて、春先は る さ きに元々も と も とあった民俗行事み ん ぞ く ぎ ょ う じが強つ よい規制力き せ い り ょ くを持も っていたのに対し、

そ の後の農業社会の激しい変化に伴い、花見の一般性である娯楽ご ら くがよ

(42)

32

拡大 か く だ い

すると、現代日本社会において、娯楽ご ら くの 行事ぎ ょ う じとしての花見は一種い っ し ゅ の結集けっしゅうの装置そ う ちとしての意味を持っていると言える。

第 VII では、日本人なぜ桜の下で花見をするのか?花見の 多様性た よ う せ い、

ある いは多様た よ うな実態じ っ た いを生う みだしたのは、各地域か く ち い き、集団しゅうだん、そして個人こ じ んに よる多様た よ うな「花見は な みの実践じ っ せ ん」であると言える。本章の結論として、現代日 本社会において、花見が一般的な行事として 成り立っている原理はま

さに花見のリアリティに由来し、それは、日本社会における多様た よ う な

地域ち い き、集団しゅうだん、個人こ じ んにおいてそれぞれに意味い み を持も ちながら、地域ち い き、集団しゅうだん、 個人間こ じ ん か んに お い て 、 多様た よ うな 意味い み が 互た がい に 干渉かんしょうせ ず 、 「 娯楽ご ら く 」 と い う 一般性

い っ ぱ ん せ い

に包括ほ う か つされているのだと言い える。

第 VIII では、花見の樹種じゅしゅだ。多くの公園などで桜の植え替えが行わ

れており、これにより開花時期が大きく異なっている。 第 IX では、日本外国の花見だ。

本論文の結論としては、 従 来じゅうらいの研究 では、現代日本社会げん だ いに ほん し ゃか いにおける花見

についての理解り か いが不十分ふじゅうぶんであると指摘し て きした上で、特定とくていの 地域社会ち い き し ゃ か いない

し 集 団しゅうだん、 或あるいは個人こ じ んによる「花見の実践じっせん」を記述きじゅつし、当該とうがいコンテキスト

におい て 解 釈 かいしゃく

するという新 あら

たな花見研究 はなみけんきゅう

のモデルを提示 て い じ

した。

そ し て 、 鹿児島県伊佐市大口か ご し ま け ん い さ し お お ぐ ちと い う 地域ち い き社 会 に お い て 、 忠元公園ただもとこうえんと

集 落 しゅうらく

の花見という形態けいたいの異ことなる つの花見の事例じ れ いを 中 心ちゅうしん に取と り上あ げ、

上記 じょうき

の花見研究モデルに沿そ って分析ぶんせきした。

それを通して、現代日本社会にお ける花見の二面性 に め ん せ い

(43)

33

それは、規制力きせいりょくが弱よわい代か わりに包括ほうかつ 性せいの強つよい「娯楽ご ら くの一般性いっぱんせい」と、

重 層 的 じゅうそうてき

なコンテキストにおける「花見の実践じっせん」によって 生しょう み出だ され

(44)

34

参考文献

これがこのエッセイを完成させるのに役立つ典型的なウェブサイトだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A6%8B

に桜の 花を し、春の ぐ日本古来こ の風ふう 。梅 や桃の花でも行 る樹 的な品 のソメイヨシノ クローンで 「休 日本人の 春の風物 の命 見弁当 酒を しむ宴 団 体な )。陰 、訪日ほうにち てアジアや 欧米に 。北半球と 南半球は 季節が 毎に年中行事として は奈良な 貴き され、平安へいあん は歌に 『万葉集』には桜を 10 世紀初期し の『古今和歌集』では 『日本後紀ごおさむ 嵯さ 812 年 月 28 日( 弘こう 2 月 12 日) に神泉しんせん は地主じ ぬ し 。831 年( 8 は『源氏げ ん じ 『作庭記』 ・東山も 鎌かま 室町むろまち 。吉田よ し だ は『徒然草』第 織豊期に 、豊臣秀吉が行 た吉野の花見( 1594 年( 文禄 年))や醍醐の花見( 1598 年 月 20 日( 慶長 3 月 15 日) は江戸え で、天海あ ま み 1536 年( 5 1643 年( 寛かん えられた上野恩賜う え の お ん し い寛永かんえい 、1720 年 ( 享きょう 年)に徳川とくがわ 浅草あさくさ 飛鳥あ す か は生 類 憐しょうるいあわ えていた鷹たか にも、御殿山ご て ん や ま 愛宕あ た ご 玉川たまがわ た落らく 『長屋な が や あたま山』、 『花見の仇討 明治に した。東京・ 駒込の り、1886 年には 荒川あらかわ し、1910 年には花見の (1912 年には 本がアメリカ 合 衆 国がっしゅうこく 首都し ゅ と 、ポトマック川畔あぜ 実際に、日本人が「日本にうまれてしあわせだなぁ。」と思う 花見には団子 桜色( は雪 はヨ モ ギ 天然てんねん で三寒 あり、日較差 う人も多い。さらに、花見シーズンはスギ花 、スギ花粉 。桜の生花 造花を オーナメントとして 酒酔 や集団心理 花見が始まった後も、カラオケ 、立たち る迷惑行為 に飲酒運転 きな社会問題 特にコンビニエンスストア やペットボトル などをレジ 袋 、警察 が警備 。福岡 天 神 中 央てんじんちゅうおう して予約制せい 同じようなゴミ問題 では神奈川 か つ区 の多摩川河川敷 のバーベキュー問 化や条 2 月から 4 月にかけて は桜前線 気候や地形によっても ではエ などではチシマザクラ にカンヒザクラを用い のつぼみ なる。年度 3 月が適期 地域では卒業式 域では、入学式 北海道では 5 月の開花であ る蝦夷霞え ぞ か す み みられる。秋の紅葉 「観 楓 。例えば、青森 弘前ひろさき が、関東 た後のゴールデンウイーク 桜吹雪ふ ぶ き は葉は 靖国やすくに 、ぼんぼり 東京国立博物館はくぶつかん 、六義園 は山桜 のとも に河津桜 吉野よ し の 日本統治 る台たい 韓国で る習慣が 。沖縄おきなわ クラが咲き、特に旧正月明けから 陽明ようめい 阿里おくさと せる。新潟にいがた のソウルでは、 。漢から では「永登な が と 汝矣なんじい 中国では る 大 連おおむらじ 旅 順りょじゅん 龍 王 塘りゅうおうつつみ 203高地こ う ち 武漢ぶ か ん 東湖と う こ 武漢ぶ か ん は姉妹都し ま い と 、日本庭園ていえん 東京市から 全米ぜんべい 。ニューヨークの ブルックリン植物園( 英語版ばん も第 、ジョージア州メイコンでは れる。ハワイ 州しゅう はなく、ハワイ島の ワイメアは (Waimea Cherry Blossom Herirage Festival)が 札 緯い い北欧でも、 フィンランドの 都ヘルシンキの サクラ公園( フィンランド語版ご ば ん 。スエーデンの ストックホルムの王立公園( Royal National City Park)にも、日本から 。デンマーク・ コペンハーゲンの 人魚姫にんぎょひめ 園(Langelinie Park)の には、広ひろ アンデルセン ブラジルでは 日系にっけい サンパウロの 「七夕祭 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A6%8B https://www.madameriri.com/2013/03/27/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87

Ngày đăng: 09/02/2021, 06:16

w